無料会員募集中
.社会  投稿日:2022/10/13

「石原さんとの私的思い出7」続:身捨つるほどの祖国はありや23


牛島信(弁護士・小説家・元検事)

 

【まとめ】

・石原さんは私に「恋愛を書けよ」と言った。

・石原さんは、『「私」という男の生涯』のなかで、高峰三枝子について書いている。

・プラトニックな恋愛を、叶わぬ恋を一番素晴らしいものとして心に抱き続けていたのではないか。

 

人。「忍ぶ恋」こそが本物の恋と、われとわが心のなかで憧れていたのではないか。

城山三郎にあなたのこと話してやったよ。

『あんたは牛島さんに比べて1000分の1も知らないさ。それに、もう書き尽くしちゃっていて、なんにも残ってないだろう。』と言ってやったんだ。もともと人間が描けない男なんだ。」

石原さんが、2005年12月31日の12時13分から13時01分の間、50分の長い電話の最後に放った言葉だ。

城山三郎氏がもう枯れてしまっている、という話はお会いしたときにも何回か伺ったことがあった。私にとっては、城山三郎といえばなんといっても『乗取り』の著者で、尊敬する作家の一人だった。いま調べてみると、石原さんよりも5歳年上だが、小説家としては石原さんの2年後に文学界新人賞を受賞されていて、後輩ということのようだ。

私は、私にとって最初の小説である『株主総会』のあとがきで城山三郎に触れている。

『乗取り』という城山三郎さんの小説を読んだ経験がなければ、私はこうしたことが小説に仕上げられるのだとは夢にも思いもしなかったろうと思う。」(幻冬舎文庫199頁)

『乗取り』のモデルとされた横井英樹氏がキャデラックを運転して地方銀行である関東銀行の頭取を歓迎すべく空港に向かう場面など、とても興味深々で読んだものだった。キャデラックといっても、城山三郎が『乗取り』を書いたのは1960年、昭和35年のことだ。モデルとなった白木屋乗取り事件そのものは、1953年から1956年にわたって敢行された乗取り劇だった。したがって、そのころのキャデラックは今のキャデラックではない。ロールスロイスでなければマイバッハといったところか。しかし、未だ大衆が車を持つ時代ですらなかったことを勘定にいれれば、ビジネス用のヘリコプターといった感覚だろうか。

『乗取り』のなかで、主人公は乗っ取り資金を出してもらおうと、関東銀行という名の地方銀行の頭取が飛行機で札幌出張から羽田に降り立つところを狙う。(なお関東銀行は実在の関東銀行とはなんの関係もないとの断り書きが末尾にある。城山三郎は関東銀行が実在すると知らないで書いたのだろうか。なんとも不思議である。)自分の秘書になりたての若い美人に大きな花束を持たせて出迎えるのだ。小説の設定では、飛行機の到着が30分早くなったのに迎えの関東銀行の人たちは知らないのを利用して、主人公の青井文麿が先に迎えに行くのだ。そして権藤頭取を自分の車、キャデラックに乗せる。「頭取、頭取」を繰り返せとあらかじめ秘書に指示しておくあたりも、なかなか読ませた。

「これという貸出先もないのに預金だけは豊かに抱え込んだ地方銀行の頭取は、その点、都市銀行の頭取よりも大事になれた一時期があった」(『乗取り』231頁 城山三郎全集第7巻 1980年新潮社刊)

なんとも昔話のようである。

「城山はね、『石原さん、あんたはいいなあ。政治家やってるから、いろんな経験が出来るだろう』なんて言うんだ。まったく、自分にはもう書くことがなくなってしまったって嘆いてるんだよ。」

そう石原さんに聞かされたこともあった。

城山三郎がなくなったのは2007年の3月のことだ。私が電話で石原さんと会話してから1年と3か月しか経っていない。城山三郎78歳。

私は城山三郎氏と面識があったわけでもない。石原さんから城山三郎氏の「悪口」もどきを聞いて、へえそんなものなのかと思ったくらいのことに過ぎない。城山三郎の作品のほとんど、例えば『毎日が日曜日』も読んでいたし、もちろん『総会屋錦城』は熟読していた。書くことがなくなったとすれば、取材して書く人という方々は、年齢とともに取材意欲が低下してそうなってしまうものなのかもしれない。

私の場合は、或る意味で毎日の仕事そのものが取材対象自身であり現場だから、城山三郎氏について石原さんに彼も枯れてしまってねと聞かされても、あまり実感がなかったのだろうと思う。

今でも同じことである。私は依頼者のために働く弁護士だから、依頼者が次々と代わって新しい情報、環境に接するのが当たり前なのだ。

それにしても、2005年の年末も年末、大晦日に石原さんはどうして私に電話してきたのだろうか。

「西脇建設が土地を抱えるんだ。プロジェクトが中止になっちゃってね。」と切り出した後で、

「しめきりが迫っててね、困っているんだ」

ということで、知恵を貸してくれという電話だった。

私は、「それなら、プロジェクトに絡んでいる銀行の頭取が知らないってことはありませんよ。頭取には連絡が言っているはずです。」

と絵解きすると、

「わかった。で、プロジェクトの中止でどうして銀行が動くことになるかだな」

というやり取りだった。石原さんはなんらかのインスピレーションを得られたのだろう。

たぶん、後に『火の島』という表題の小説になった作品のプロット作りをお話ししていたのだ。

電話での話は、いつの間には都政のことに移っていった。「フライイングするなといっていたのに、あいつが」という、どうやら微妙な、込み入った話になっていった。

「浜渦」、「鈴木」、「松下」、「美濃部」、「藤井」、「内田」、「松沢」といった名前が、次々と飛び出してきた。あげくには特捜部という言葉まで出てきたが、聞いている私には何の話かもよくわからない。

そんな話を一方的にしばらく続けたかと思うと、石原さんは突然、

「あなたは、事件とか経済界のこといっぱい知識があるけど、それを念頭に置かずに、いきなり恋愛を書けよ

とおっしゃった。

「上司と秘書でもいい。背景が大きければ大きいほどいい。そうだ、心中になってしまうっていうのも面白いな。

女の名前、そーだあやこ、っていうのはどうだ?」

と話が進んで行く。

「上司と部下でもいいんだよ。

あなたのなかでは、人間としての感情が二の次になっているんじゃないか。

会社の細かいことを一度捨てないとだめだよ。

そうしないと、限られた数の人間はいいなと思ってくれても、たくさんの人々は読んでくれはしない。

読者の読みたいのは、恋愛なんだよ、恋愛

と言われてしまった。

「『天の夕顔』って本、たしか新潮文庫に入っているから、それ読んでごらん。」

そう言えれて、私は、わかりましたと即答してから、

「ところで、石原さんが賀屋興宣さんの官報を通じての恋について書かれた、あの小説はいいですね」と申し上げた。不思議な偶然だが、その時私は未だ『天の夕顔』という作品を読んでおらず、後になって知ったことだが、この二つの小説は内容がなんとも共通している。何十年にわたる長い期間、人妻、そして結局は成就しなかった恋、である。

私は、その賀屋興宣さんにかかわる石原さんの『公人』と言う小説を以前に読んでいた。その時から素晴らしい作品だと思っていたので、恋愛が話題になったのを機会にも話したのだった。

ところが、石原さんは、どういうわけか言下に、

「ああいうのはダメ!」とぴしゃりと言われた。

いま思い返しても不思議な気がする。

『天の夕顔』という作品は、私は題名しか知らないでいたが、長い間にわたっての、人妻との、プラトニックな恋愛を描いた作品なのだ。1938年に中河与一によって書かれ、欧米でも世評が高いという。

それにしても、石原さん自身の『公人』という小説について、「ああいうのはダメ!」と石原さんが言ったのは、いったいなんだったのだろうか。

私は、石原さんにいわれてさっそく新潮文庫の『天の夕顔』を手に入れ、2006年の1月22日には読み上げた。しかし、読んでは見たが、なぜあの石原さんがあんな風に私に強く薦めるのか、解しかねるという気しかしなかった。

年上の人妻との20年を超えるプラトニックな恋。

それは、およそ『太陽の季節』の石原さんの反対側にあるお話ではないか。

石原さんは、そのすぐ後で、「プロがよく分かっていることについて書くのはやさしいさ。

でも、あなたの場合、それだけじゃなくて、自分が新しい恋愛をするつもりで書かなきゃ。

あなたは凄腕の弁護士だろうけど、そんなことじゃなくってさ。」

そこで一度言葉を切ると、石原さんは、

「弁護士でもない、ひたすら企業に精進する辣腕弁護士というんじゃない、自分で自分のことを『バカな男だなあ』って思いながらもどうにもならないっていう、そういう恋愛だよ。」

と一気に言い切ってから、

「『天の夕顔』だよ、『天の夕顔』!」と繰り返した。

そして、どうしたのか、

「伊藤左千夫の『野菊の花』はもうないんだよ。」と悲痛さを押し殺したような声でつぶやいた。

私は『天の夕顔』がどんな小説かは知らないで話をしていたのだが、もちろん『野菊の墓』は知っていた。『天の夕顔』は題名からしても、きっと『野菊の墓』と同じような、夢のような、淡い恋愛を描いた作品なのだろうか、などと想像していた。

石原さんが亡くなったいまとなって、私はこんなことを考える。

石原さんは、『「私」という男の生涯』のなかで、高峰三枝子について書いている。1956年に封切られた、石原慎太郎原作、主演の『日蝕の夏』の「不良の主人公を拾い上げてくれる年上の成熟した女性」の役に、「当時離婚したばかりの、喉を痛めて歌や映画から遠ざかっていた高峰三枝子さんという高望み」をしたというくだりだ。(118頁)

その話は、「なんと私があの高峰さんに口説かれたのだった。」と続く。

高峰三枝子の私邸に誘われ、翌々日のラブシーンの段取りについて考えたことがあるので相談にのって、と高峰三枝子に誘われたという。

「『ラブシーンの稽古だから、よかったら私の寝室でいかが』ということで、二階の寝室に上がって行った。そこのベッドの上で、『私の考えた段取りは、こうして私があなたの腕を取って引き寄せ、その指を軽く噛んで』云々という段になって気が付いたのだ。」

これは、80歳を超えた石原さんが昔を思い出して書いていることだ。

「これは逆だ。順が違う。男が女を口説くのが順だということで、私はおずおずと身を引いたのだった。」

「この今になってみれば慙愧に堪えぬというか、馬鹿で愚かしいというか、あの時の彼女はまさに女盛りの、一人の女としての絶頂期にあった。くだらぬ男の沽券でみすみす長蛇を逸した自分を後でどれほど呪ったことだったろうか。」

これは、石原さんが意識して書いたのかどうかはわからないが、私には、石原さんの本質を見事に表していると思えてならない。

実は、『天の夕顔』は、1948年に新東宝によって映画化されている。石原さんが16,7歳のころ。たぶん、と私は想像する。石原さんが高校を休学していたころのこと。石原さんはその映画を観ている。なんと、その映画の、主人公の男よりも7歳年上のヒロインは高峰三枝子が演じているのだ。実際には、彼女は石原さんよりも4歳年上だから20歳を過ぎたばかりのころということになる。

『「私」という男の生涯』には、『天の夕顔』もその映画のことも出てこない。そのかわりに、自作の映画の稽古で高峰三枝子とすれ違った話が書かれているというわけだ。

そういう人なのだ。純粋で、恥ずかしがりで、なにごとにも後ずさりせずにおれない人。

それが、『太陽の季節』でデビューしたばかりに太陽族の頭目にされてしまい、自分でもそれを演じているうちに、本当の自分を見失ってしまった、長い残りの人生。

プラトニックな恋愛を、叶わぬ恋を一番素晴らしいものとして心に抱き続けていた人。「忍ぶ恋」こそが本物の恋と、われとわが心のなかで憧れていたのではないか。

たぶん、石原夫人はその間の事情をようく知っていたに違いない。

それにしても、石原さんは、どうしてこの私にそんな秘めた話の断片をせずにおれなかったのか。

次の電話は、1週間後だった。2006年の1月7日に15時14分から32分間。

やはり後に『火の島』になった小説のストーリーの話だった。

「あなたに前回教えてもらってね、考えたんだ。

こんなのはどうだろう。

主人公が銀行の頭取を、銀行の不良債権のことで脅すんだ。

『私の言うとおりにやれば、うまく処理できますよ。あんたなら頭取なんだ、鶴の一声で決められるじゃないか。新しい会社をつくるんだよ』ってね。

どうだろう?」

私は、

「面白くなってきましたね。でも、問題はどんな具体的中身をその新しい会社で実行するかですね。」と答えたような気がする。

すると石原さんは上機嫌で、

「小説ってのはね、たとえば手袋を引っ繰り返すとかいうちょっとした仕草が大事なんだよ。話が少し横に飛んだっていいんだ。」

と文章術を授けてくれた。

「牛島さん。恋愛だよ、恋愛。

石原にそう言われたけど、しょせん自分の書く恋愛は砂漠に咲いた花にしかならないんだ、って言うのなら、それでがいいんだよ、それがいいんだよ。」とまで手ほどきしてくれた。

実は、この石原さんと彼の『火の島』のためのやりとりは、2002年5月10日には始まっていた。

(つづく)

トップ写真:オリンピック招致委員会のリーダー石原慎太郎 (右) と日本オリンピック委員会の河野一郎委員長は、コペンハーゲンのベラセンターでに記者会見に出席(2009年10月2日)

出典:Photo by Peter Macdiarmid/Getty Images

 




この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."