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.社会  投稿日:2023/1/11

「石原さんとの私的思い出10(完)」続:身捨つるほどの祖国はありや26


牛島信弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・『火の島』という小説に書かれたゴルフ場の売買や取引を巡って石原さんと何度も相談に乗った。

・本の執筆に関して、石原さんも多くアドバイスしてくれた。

・石原さんから見れば、どうして私が作品を書かないのか、不思議でならなかったのではなかろうか。

 

城山三郎氏についてのやり取りをした電話だ。

年が明けて、2006年1月7日にお話ししたことは、もう書いている。

その次は、2006年の2月25日の電話である。

午後の6時57分から7時42分まで、1時間近くもお話ししている。

冒頭、石原さんは「ゴールドマン・サックスがゴルフ場を買い叩いてチェーン化しているだろう」

と言われた。

私は、「ええ、確か上場に持って行ったはずですよ」と答えた。

この日、石原さんがなぜ唐突にゴールドマンの話から始めたのかは、すぐにはわからなかった

狙いは石原さんのなかで膨らんできつつあるプロットについての相談だった。

西脇がね、ゴルフ場を4つ買ったところなんだけど、全部で10個買う予定なんだよ。そして上場する。

別名義で俺がやるって、ヤクザの切れ者が言う」

なるほど、それで石原さんが勢い込んでゴールドマンがゴルフ場をいくつも買収したことから話しはじめたわけがわかって、合点が行った。

しかし、私は、法律家らしくこう答えた。

「そりゃ無理です。いくら小説でも、ヤクザがらみで上場なんてできません。子会社だとか名義が違うとか称してみたって、実質はヤクザがらみでしょう。嘘をつくってことでしょうが、そんなこと、上場の審査をとおりませんよ。」

いつものように、石原さんは、法律家としての私の助言にはアーギュしない。信頼に足る法律専門家の言うこととして、頭から全面的に信用してくださり、その場でストーリーを考え直している様子だった。

「わかった。そうか。

じゃあ、西脇が妨害をする手立てなんだがなあ。なにかなあ。

銀行の頭取を脅して、借入をチャラにしろと要求するとかってのは、どうだろう。

なにしろ、念書があるからね。

土地のスワップさ。差額を50と50の対等で裏金で落とす。西脇会長と巽英造っていう切れ者ヤクザとの間で。

で、そこまで勝手にされては、と西脇が反撃に出る。

その後のことなんだが、切れ者ヤクザが逆襲して、結局、西脇一族にとって大事な音楽財団をタネに西脇一族がゆすられるというところにまで発展する。例の皇族が関係しているっていう名門の音楽財団だ。」

石原さんの頭の中での素早いストーリー展開についていけず、私は、

「西脇は堤義明さんがヒントですか?

堤さんの場合は、国土計画というホールディング会社があって、その子会社で唯一の上場会社だった西武鉄道の株式保有が名義株主で不明なところがあったんでした。

弁護士の社外監査役が問題にしましてね。いろいろ堤さんの側もがんばって、顧問税理士が登場して交渉とかあったのかもしれません。でも、結果はご存じのとおりですよ。

あんな些細なことしか堤さんの側にはみえないことで、王国全体が崩壊する。堤さんは逮捕までされてしまう。

石原さんの小説でも、税理士さんが、主人公の切れ者ヤクザの英造と話すとか、いろいろとプロットはあり得ると思いますが、上場会社を絡めるっていうのは、また別の世界ですからね。

西脇の顧問税理士とその英造っていう切れ者ヤクザが交渉して、いったんはうまくまとまりかける。

ところが、そのまとめ方っていうのが、音楽財団が絡むので、そこの背任問題になって、英造に再攻撃の口実を与えてしまう、っていうことはどうでしょうか。」

石原さんからは、「創業者っていうのが薬をやっているっていうこともあり得るよね。」

とか奔放なアイデアが出てきた。

「財団の関係者が自分の子とわかって、そうなると西脇にとって自分の妻への恥ずかしさとか、いろいろあり得るよね。」

翌日、2月26日にもお電話をいただいている。

「同族会社でも上場していて、西武がそれで、名義株が問題になったというのはよくわかった。

ところで、非上場でも名義を散らす必要ってあり得るの?」

と質問された。

もちろんである。

私は、「はい、相続と上場はまったく別のことですからね。非上場会社だと、上場会社と違って、名義を散らすのはやり放題というか、むしろ相続がらみで珍しくないことですよ。」

と答えた。

さらに石原さんからは、当時話題になっていた姉歯事件について、

「あれは堀江の件と同じようなものなのかな」と問われた。

私は、「いや、堀江さんの件は公認会計士の監査がある会社の話ですし、姉歯のほうは一級建築士の問題ですから、同じプロフェッショナルの問題ではあっても、性質が全然違いますよ。」

と申し上げた。

しかし、いつもと違って石原さんは石原さんなりの理由があってのことらしかったが、なかなか納得せず、

「後藤田とかナミレイの松浦、それに検事、亀井、藤井とか、いろいろあるがなあ」

と、私には詳しい説明抜きに、石原さんなりの感想が飛び出してきて、その日は終わった。どうして検事の話まで出てきたのかは、私にはわけがわからなかった。

同じ2006年、9月14日のお電話はとることができなかった。15時20分に石原さんから電話が入っていると秘書が取り次いでくれたのだが、私は会議中だったので秘書がその旨伝えたところ、「また改めます」とのことだった。石原さんらしい。

その改めてくださった電話が、一か月後の10月13日だった。11時10分から14分間お話ししている。

発展があった様子だった。

「幼なじみと結ばれてね。いや、英造の方さ。

財団について、西脇の妻、つまり英造の幼なじみが直談判するんだ。

英造は、「わかった。あなたのことは命を懸けて守る」って、約束する。

ところが、そこ、ホテルでの密会を弟に見られてしまうんだ。」

幼なじみへの石原さんの、強い執着がどうやら小説の骨の髄のようだった。

そういえば、『「私」という男の生涯』には、石原さんが未だ高校生だった後の奥様と連れ込みホテルに入ったのを、親戚の誰かに見られてしまったという逸話があった。情事とは時としてそうした思いもかけない結果につながるものなのだろう。その結果、情事の当事者二人の運命が転変する。

「でね、西脇側と切れ者ヤクザの英造との間で、例の念書を焼いたらゴルフ場のチェーンを渡すって約束になるんだな。

といっても、初めから騙しだ。騙して追い出そうっていう魂胆なんだよ、西脇の側は。

でもね、英造もバカじゃないから、念書のカラーコピーを取っている。しかも公正証書にまでしてね」

私は、会社の所有関係が気になったので、

「で、会社の所有はどうなるんですか?」

とたずねた。

どちらのせいでか、この短い電話では足りなかったらしく、翌日、10月14日にもお電話をいただいた。

石原さんは逗子にいらした。夜の9時12分から10時4分までお話ししている。

「西脇にしてみると、ゴルフ場を売って銀行への借金をゼロにしたって、そんな馬鹿な、っていう感じなんだ。値上がり益とチェーン化してあることからして、借金ゼロでは少なすぎる、ってことなんだな。」

そう言ってから、石原さんは不思議な一言を付け加えた。

「そんなこと、今の時代にはだめさ。待ってくれないんだよ」

2006年には、10月31日にもお電話でお話ししている。夕方5時19分までの長電話だった。

会社の仕組みがさらに具体化して、西脇のダミーとして、会長に武田という人間を置き、さらに社長に英造の妻がなっている。たぶん、これは英造のもとへ走って妻になる女性のことだろう。

130億という金額も特定された。

銀行から西脇が借りてゴルフ場を買う。西脇の会社の株券を英造が手に入れ、別個の会社を作ってゴルフ場も手に入れ、返済は西脇がやれ、と英造が言いだす。もちろん、株券を渡したのは、幼なじみの女性だ。

英造は、担保のついていないゴルフ場を手に入れたってわけだ。

石原さんは饒舌だった。

「でもね、西脇は念書を取り返すんだ。」

同じ年、12月18日にもお電話をいただいた。

昼0時38分から1時2分までだから、30分足らず、ということになる。

小説はドラマティックな展開をみせる。

英造と西脇の妻とが男女関係にあることが発覚してしまうのだ。すると義兄が居直る。英造をやっつけようと言いだすのだ。

そのときに西脇の優秀な総務が、「ゴルフ場の借金、返済しないでいいですよ。求償権を西脇が放棄したって相手は思ってますが、取締役会の決議がありません。ですから無効です。」

さらに、その総務は、「ですから、ゴルフ場の仮差押えをやりましょう。そしたら、絶対に相手は事業展開に差し支えます。仮差押えは公の登記簿に出ますからね。他の銀行だって相手にしません。」

と言いだすのだ。

「で、英造は女と逃避行だ。金を作る。」

英造と手に手を取って逃げ出すの女性の名は、和枝と決まっていた。西脇も西脇興産と名づけられた。

そういえば、この電話の最後、どういう経緯でか、糸山氏や帝拳などという名前が石原さんの口からでてきた。しかし、小説そのものとの関係としてではなかった。石原さんはなにも絵解きをしなかったけれど、彼の頭のなかではつながっていたのかもしれない。

さらに、翌日月19日にもお電話をいただいて、夜の10時10分から47分まで、40分間足らずお話ししている。

前日のやりとりの復習をすると、石原さんは、

「あなたの小説は、彩りがたりない。そのとき着ていた服とか、たばこのくわえ方、キャラクターの癖とか、そういう色彩が欲しいんだ。

ひと言でいうと、無駄がなさ過ぎる。

牛島さん、小説は酔狂だよ、酔狂が要る。」

と、教えてくれてから、

「人を訪ねて行ったら、先ずなにか話すでしょう。

事件だけでは、固くて、縮小してしまうんだよ。

あなたのは、素っ気ないんだなあ。」

そういうと、秘密を打ち明けるように、

「都知事、飽きた。なにかサブスタンシャルなもの。そう、サブスタンシャルなものがないかなあ。」

その時にシーザーの名を出したのは、私だったろうか、石原さんだったろうか。

石原さんは、確かに、「歴史を越えようとするもの」と掴み切れないものを掴もうとでもするように、そう表現した。

2006年10月31日の電話では、坂本忠雄さんのお名前が出ている。

11月2日には、石原さんに言われてだろう、私の『逆転』と『社外取締役』をそれぞれ2冊、田園調布のご自宅にお届けしている。ショートショートと自信作をというお話だった。それでこの2冊を選んだのだ。「それを読んで、アドバイスをするから、私はきっとあなたの役に立つよ」と言われた。

10月31日の電話での話は、ほとんどが小説のなかに出て来るゴルフ場の売買を巡ってのものだった。

▲写真 『火の島』 出典:幻冬舎

「ゲラを見せていただいた方が早いですよ」と申し上げたのは、この時の電話のようだ。

11月6日に石原事務所の方から電話があって、これから書類を届けるとのことだった。

それが、『火の島』のゲラである。だから10月31日にゲラの話をしたのだと思うのだ。

私なりにご説明はしても、石原さんが奔放な構想のなかでどう捉えているの、気にならないではいられなかった。

2日後、11月8日に、私は、ゲラの空欄に「セブン・オーシャンズ・チェーン」と名づけられたホールディング会社の組織図と株の所有関係を明示する図を書き入れて返送した。

その部分を巡っての電話でのやり取りがあったのが同じ11月の15日のことだった。英造と西脇の息詰まるやりとりの詳細を議論した。一つ一つの取引構造の話をするたびに、石原さんが「はい。はい。」と、まるで青年のように返事をしていたのを覚えている

十分に理解が行かなかったのか、「またお電話していいですか」と重ねて訊かれたのが印象に残っている。しかし、電話はなかった。

2007年の4月25日には、都知事の三期目を務めることになった旨の挨拶状をいただいた

同じ年の9月29日にまた電話をいただいて、「供述調書の文体をつかってみてはどうか」と再びアドバイスいただいた。たぶん、なかなか私が作品を書かないことに苛々されていたのだろう。それでも、そんな口ぶりはまったくなく、私の意欲を引き出そうという調子だった。

その直後が、10月4日の『菊川』での会食になる。驚いたことに、10月2日13時5分に自ら電話をくださって、場所などを教えてくださったもののようだ。私は電話をとることができなかった。いれば、お話しすることができたに違いない。

2008年9月26日には、『痛ましき十代 石原慎太郎十代代表作展 レセプション』のご案内をいただいた。

アルマーニの銀座タワーでの作品展だった。

「非業な太陽――痛ましき十代――」という短い文章のなかで、石原さんは「だから大学に入りニ十歳の誕生日を迎えた時の、ひそかないまいましさを今でも覚えている。結局俺は十代には何もなしとげることが出来はしなかったと・・・」とあった。

石原さんにとって、絵とはそれほどのものだったのだ。

9月26日に頂いた招待状に、9月30日までに返事を、とあり、共通の誕生日の9月30日に出席と書いて返事しているから、出席したのだろう。しかし、なにもおぼえていない。たぶん、石原さん本人がいなかったのか、いらしても、あまりにたくさんの人でお話もできなかったのか。作品は観ているのだろう。

会った記憶がないところをみると、行っていないのかもしれない。

いや、2008年10月27日にお礼の手紙をいただいているから、行って、観たにちがいない。「この今になって私の青春が蘇ることができたのは本当に幸せです。」とある。

私は、お別れの会でのアトリエを思い出す。少なくない数の若いころの絵も飾られていた。

こうして振り返ってみると、石原さんから見れば、どうして私が作品を書かないのか、不思議でならなかったのではなかろうか。

弁護士としての締め切りに追われた、という、なんとも愚劣な事情なのだろうか。

(完)

トップ写真:東京2016招致委員会のレセプションパーティーにて(2008年11月27日 東京・小笠原伯爵邸)出典:Photo by Junko Kimura/Getty Images




この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

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