新聞記者は淘汰されるのか スポーツ紙発行休止の潮流とともに考える
松永裕司(Forbes Official Columnist)
「松永裕司のメディア、スポーツ&テクノロジー」
【まとめ】
・2015年以降始まった、地方紙の休刊に続き、今年、ブロック紙が発行するスポーツ紙、2紙が消滅した。
・日本特有の記者クラブという護送船団の中に身を置く温室育ちの体質に起因する記者の工夫の無さ、自由視点の無さ。
・記者という職業は、新聞の休刊とともに消滅してしまうのか。日本の新聞とその記者たちの未来は読めない。
「いずれ新聞はなくなる」、そう囁かれてから20年が経っただろうか。その話題におよぶと、自身は定年まで逃げ切ることができる世代の記者たちから、常にこう反論が出たものだ。「何年経っても新聞は潰れないじゃないか」と。
しかし2015年以降、常陽新聞、久留米日日新聞、山陽日日新聞、奈良日日新聞、千歳民報などなどちょっと見聞きしたことのある地方紙の休刊が始まったかと思えば今年、西日本スポーツ、道新スポーツが休刊を発表。収益性が高いと囁かれたブロック紙、そこが発行するスポーツ紙の消滅だけに、今後この潮流を押し止めることができるのか気になるところだ。
(参考:https://nordot.app/950334726213222400)
(参考:https://nordot.app/939809691009187840)
かつて「MSN毎日インタラクティブ」として毎日新聞のデジタル施策を手掛けた担当者として振り返るに、日本の新聞業界は過去20年を何の工夫もなく通り過ぎてしまった。特にスポーツ紙はその傾向が強く、毎日新聞とマイクロソフトの提携を記念したパーティ席上でも『スポニチ』の代表は、挨拶の機会を得ると「スポニチは、永遠にマイクロソフトと提携することはありません」と鼻高々に宣言していたものだ。これを受けMSNは日刊スポーツとの提携を模索していたのは、ごく身内だけが知る昔話である。しかしでは、スポーツ紙は、その代わりに何か手を講じて来ただろうか。
「MSN毎日インタラクティブ」がサービスを閉じてから15年、今日スポーツ紙がデジタル施策として実行しているのは、選手のテレビ出演情報やSNSを書き起こすだけのコタツ記事を外部メディア配信することで得られるトラフィック流入とあぶく銭を稼ぐことだけだ。
日本新聞協会によれば、新聞の発行部数は2001年の約4756万部に対し2021年は約3066万部、スポーツ紙は2001年の約612万部に対し2021年は約237万部。部数減少は時代の流れかもしれない。しかしこの激減を補う新たな事業を生み出したのか。(参考:新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ)
余談だが「MSN毎日インタラクティブ」について、時として部外者の筆による「失敗に終わった」とする記事を目にすることが多々ある。だが、実態は失敗からはほど遠かった。同プロジェクトは、サービス開始から1年で30億円の売上となり、その後も右肩上がり。ビジネス的に成功したはずが、なぜサービスを終了したのか、この点を追求する部外者は皆無だ。
本プロジェクトを着地へと導いた毎日新聞の渡辺良行・元常務が退くと、後任とされたのは長谷川篤・元取締役。この両名が犬猿の仲だった。渡辺さんに代わり長谷川さんがデジタル担当に就任すると「マイクロソフトとの契約は不平等条約だ」と社内で大プロモーションを展開。契約打ち切りを画策し、Yahooとのビジネス開拓に乗り出した。
マイクロソフトとの契約を打ち切った後の2008年、英字サイト「毎日新聞デイリーニュースWaiWai」における不祥事が発覚。これを契機にYahooから契約を破棄され、毎日新聞のデジタル施策は迷走したまま今日を迎える。
長谷川さんの上長だった河内孝・元常務は著書『新聞社―破綻したビジネスモデル』(新潮新書)の中で、「マイクロソフトとの提携は正解だった」と明記している。
現在、1年で「30億円を売り上げるメディア・サービスを立ち上げろ」とされても、多くのサービス担当者は困惑することだろう。あのサービスが継続されていれば、日本における新聞社のデジタル施策は、現在と大きく姿を変えていたに間違いない。
日本ラグビーフットボール協会元理事・谷口真由美さんの著書『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)によれば、「変化を拒むおっさんたち」が旗振りをするダメな日本社会の縮図が、ここにも見られる。
時代遅れな序列主義、内部派閥抗争…ビジネスを構築するに不必要な要素ばかりが優先され、「ゆでがえる」であると気づいた際には、すべてが後の祭りだ。谷口さんの言葉を借りれば、時代とともにハード(まわりの環境)は進化しているが、中味は相変わらず「昭和のICチップ」により稼働しており、それが日本社会だという。新聞社はその最たるものだ。
私自身、同プロジェクトのプロデューサーから退いた後も新聞社の面々からアドバイスを求められ、ことあるごとに「談合してでも、各新聞社は外部配信を止めるべき」と提言して来た。残念ながらこの方策も、いまとなっては手遅れだが、これがある程度が正解だったと確信するのは、外部配信を頑なに拒んで来た『The New York Times』紙が起死回生のデジタル重視戦略へと舵を取り750万人におよぶ有料会員を獲得した事実だ。
同様の戦略により、日経新聞は紙面と電子版の両購読者を275万人とし、電子版のみの購読者も76万人と発表している(それぞれ2020年調べ)。残念ながら、外部配信により収益を得る「毒まんじゅう」に手を付けてしまった他新聞社は、この戦略を選ぶのは、不可能な地点まで流されて来てしまった。
経営だけではない。現場に身を置く記者たちも、同じ「ゆでがえる」だ。
長らく、柄にもなくビジネス・ソリューションについて、うんうんと頭を捻る十数年を過ごした後、最近、久々にスポーツの取材現場に顔を出すと、今も綿々と受け継がれる日本のメディアの異質さばかりが目につく。
日本のプロ野球は、テレビ、新聞を含め、オールドメディアしか取材を認めていない。個別に取材を許可している球団もちらほらとあるが、日本野球機構としては、取材パスさえ発行しない。デジタル・メディアの出現から、もはや四半世紀が経とうとしている中、日本のスポーツビジネスを牽引しているであろうプロ野球でさえ未だガラパゴスに閉じこもったままだ。日本は2022年、「報道の自由」ランキングで71位を誇るだけのことがある。「たかだかスポーツ」でさえ、この旧体制優先が頑なに守られている。
一方、報道実績さえそろっていれば、MLBロサンゼルス・エンゼルスだろうが、NBAだろうが、プレスとして認めてもらえるのが、アメリカという国。おかげでNBA Japan Gamesに合わせ、久々にゴールデンステート・ウォリアーズとワシントン・ウィザーズなどという、日本人にとってゴールデンカードの取材させてもらった。私自身NBAをメディアとして取材するなど20年ぶりのことだ。
ニューヨークでジャーナリズムをかじり、CNNの末席に身をおいた者からすると、日本の報道は時折とても奇妙に映る。もちろん、中にはとても優秀な記者も多くいらっしゃる。しかし日本特有の記者クラブという護送船団の中に身を置く温室育ちの体質に起因する工夫の無さ、自由視点の無さを痛感する。経営が経営なら、現場も現場である。
日本のメディアの稚拙さは、20年経っても何も変わりはしない。特にスポーツ紙は記者たちが一同に介する会見場での、設問ひとつ拾っても稚拙そのものだ。
「調子はどうですか」。
「今日の練習はどうでしたか」。
「日本のファンにひと言」。
「日本の子どもたちへアドバイスを」。
「今日は何食べましたか」。
具体的にどのような解を求めての質問なのか、まったく要領を得ない、曖昧模糊とした、何を回答しても差し支えない、こうした同じような質問を入れ替わり立ち代わり、しかも数日にわたり繰り返す。まるで中学生の職場体験授業のようだ。この記者会見場に身を置きつつ、本稿ではあくまで「新聞社」を念頭に置き、論じて来たが、大坂なおみが全米オープンで初優勝を遂げたい際の各TV局のインタビューも思い起こしていた。どこもかしこも「今、何が食べたいですか」と質問。どれだけのメディアが「カツ丼食べたい」と言わせたことか。局も含めた、日本のメディア全般にわたる傾向なのか。
まがりなりにも外国メディアに籍を置いた際、局のメンバーとしてアスリートに共同でインタビューする機会は何度もあった。だが、食事メニューにフォーカスした取材は経験上一度もない。マイケル・ジョーダンやデレク・ジーター記者会見において、食事メニューを訊ねたメディアがあっただろうか。スポーツではなく、食事にしか関心を持たないのは、その質問を消費する日本人の民度が低いのか、それとも日本のメディアのレベルが低いのか、どちらなのだろう。
アメリカでジャーナリズムを専攻すると、その内容は非常に実務的だ。美術批評であれば、メトロポリタン美術館で、その日のテーマとなる絵画の前に集合し、その名作についてテーマや構図、技法について論評する。その論評が果たして的を射ているのか、教授のみならず学生同士で批評し合う。ニューヨーク州知事選さえ、現場に放り込まれる。その際に展開する設問さえ「なぜ、その質問をしたのか」についても、ゼミでは喧々諤々となる。
おのずと、こうした記者会見の場では、自身の取材方針に基づいたピンポイントの質問に絞り込まれる。「あの場面でなぜあのプレーだったのか」「あれは監督の指示か」など、まさにスポーツの深淵を掘り下げるために、記者会見に挑む。もちろん、日本でもこうした質問は皆無ではない。しかし、こうした視点はスポーツの会見場において、希薄だと感じる。
NBA Japan Games終了後、明日は再びアメリカへと渡る八村塁に対し、「次が本日、最後に質問になります」と広報に釘をさされた後、飛び出した質問が「八村選手は英語で話す際と日本語で話す際、どちらがより自分らしいと感じますか」だった。八村は「もちろん日本で育ったので日本語に決まってます」と吐き捨て、会場を後にした。最後の質問は、小学生から飛び出たに違いない。
▲写真 NBA Japan Gamesの練習中にメディアの取材に応える八村塁選手(2022年9月29日) 出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images
私が駆け出しの頃から「日本にはジャーナリズムがない」と囁かれていた。それからすでに30年は悠に超えた。報道の中では、わりとカジュアルなスポーツの現場を眺めただけでも、こう考える。いまだに日本にジャーナリズムは存在しないかもしれない、と。
こうした記事をしたためると、たいていは旧メディアの現場記者から「言い訳」めいた批判を浴びせられる。本稿には、どんな反論が返って来るのだろう。日本の旧メディアが、斜陽産業のぶるいに入ってから久しい。しかし、鍛えて来なかった足腰を振り返ることなく、言い訳に終始するのは、前述した谷口さんによる「おっさんの掟」を遵守する護送船団に思えてならない。記者クラブに守られた、既得権益の中で報道に携わっていると「ジャーナリズム」の本質など理解されないのだろう。
守られた環境でしか取材した経験のない記者たちにとって、メディアの看板を下ろした後、もはや行き場はない。メディアを経験した後、独立しジャーナリストとして巣立って行くのが、むしろ出世コースであるアメリカの記者たちとは異なる。日本の記者たちにもいずれ定年がやって来る。すると、記者としての力量は普遍でも、メディアの構成メンバーでなくなってしまうと、取材もままならない。「新聞記者はつぶしがきかない」という通説はこうして生まれる。これが若い新聞記者が次々とデジタルメディアに転身して行く最近の潮流を生んでいるのだろうか。
「朝毎読(ちょうまいよみ)」と呼ばれる全国紙が、新聞の発行を取りやめるには、まだしばらく時間がかかるだろう。しかし、こうした間にも、ひとつひとつ休刊となって行く紙面は増えていく。記者という職業は、新聞の休刊とともに消滅してしまうのか。各社のデジタル施策が無策であるゆえ、そのまま散り散りとなって行くしかないのか……。日本の新聞とその記者たちの未来はまったく読めない。
トップ写真:コロナ禍にマスクを着け、スポーツ新聞を読む男性(2020年4月28日 東京) 出典:Photo by Etsuo Hara/Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
松永裕司Forbes Official Columnist
NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 「あらたにす」担当/東京マラソン事務局初代広報ディレクター/「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。
出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。1990年代をニューヨークで、2000年代初頭までアトランタで過ごし帰国。