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スポーツ  投稿日:2014/6/24

[神津伸子]<W杯へのメディアの熱狂>2014FIFAワールドカップブラジルこぼれ話あれこれ


神津伸子(ジャーナリスト)

執筆記事

 

W杯へのメディアの熱狂は、5月初旬から感じていた。

私はこの時期、建て替えが決定していた国立競技場の取材に入っていた。「SAYONARA国立競技場」イベントが次々と開催され、多くのファンが別れを惜しんでいた。思い出と共にその様子を伝える主旨の記事を書くために。

国立競技場と言えば、サッカー、ラグビー、陸上などアスリートの聖地であるので、サッカー関係者の取材を試みた。Jリーグ開幕、天皇杯など縁が深いはず、その思いを関係者は語ってくれるはず。

が、その目論見は大きく外れた。協会、元ジャパン選手の所属事務所から異口同音に返ってきたのは「忙しい。時間がない。難しい」関係者の全てが、W杯を向いていると感じた。さらに驚かされたのは元ジャパンの選手のほとんどが、タレント事務所に所属していて、交渉はタレント並みの労力が必要だったことだ。記事のメインは、ラグビーと陸上の話になった。

2014年FIFAワールドカップブラジル、公式試合球。全世界のサッカー選手・ファンの憧れだ。

2014年FIFAワールドカップブラジル、公式試合球。全世界のサッカー選手・ファンの憧れだ。

そうした中、私はW杯に関するイベントの取材に出かけた。“2014FIFAワールドカップブラジル 開幕前夜祭”が六本木ヒルズで開催された。8月3日まで期間限定でアディダスが特設カフェをオープンしていて、W杯の雰囲気を満喫出来る。

前夜祭には、現在は解説者として活躍する福田正博氏、前園真聖氏、遠藤彰弘氏(現代表遠藤保仁選手の兄)らが、集結して優勝チーム、MVPなどの予想を中心としたトークショーを繰り広げた。「優勝はブラジル、MVPはネイマール」(前園氏)
「優勝はアルゼンチン、MVPはメッシ。あ、でも、これテレビで言っているのと違うからね」(福田氏)遠藤氏の優勝国スペインは、早々と敗退が確定。予想の難しさを改めて裏付けることに。

ボケの前園氏、ツッコミの福田氏。2人とも、自らも楽しそうにトークショーを展開。プロこそ楽しい!?W杯。場内は、笑いが絶えなかった。

ボケの前園氏、ツッコミの福田氏。2人とも、自らも楽しそうにトークショーを展開。プロこそ楽しい!?W杯。場内は、笑いが絶えなかった。

この取材では、ファンだけでなく、プロも本当に祭りを満喫している様子を、改めて確信した。楽しげに予想を繰り出し、会場と一体化していた。

この世界的な祭典に自分も参画したくなったのは、やはり2002年の日韓共催W杯の時だった。これ程、身近で体感することは、もう2度とないだろうとPCの前に座ってずっと公式チケット購入サイトと格闘した。アクセスが殺到し、画面が動かない。やっと次画面が出て興奮してもフリーズ、そんなことの繰り返し。

なので、準々決勝ブラジルVSイングランド戦を観戦できたのは奇跡だった。まだ中学生だった長男、小学生だった長女を学校を休ませて、静岡県磐田市まで連れ出した。駅を降りた瞬間、そこは灼熱のW杯会場。フェイスペイントをした両国のファンやグッズの売店が溢れていた。いきなり興奮MAX。子供たちも同様。両国のユニフォームを買い揃えた。

会場となったエコパ磐田は50,889席(公式HPより)は満席。ブラジルの黄色と、イングランドの白に彩られた。“ベッカム様”に熱狂する女性ファンの姿も垣間見ることができた。何より嬉しかったのは、子供たちの記憶に試合がしっかり刻まれ、今でもよく口にしてくれることだ。多くのサポーターが子連れで出かける姿には、つい共感してしまう。

子供の頃のサッカーの記憶が何より鮮明なのは、実は自分である。幼少期の4年間をブラジル・リオデジャネイロで生活した私が、最初に記憶したサッカー選手の名は釜本選手ではなくペレであり、初めて訪れたのは国立競技場ではなく、リオのマラカナン・スタジアムだった。初観戦したのは、ブラジル代表VS三菱重工。相手が、どんなに格下でも徹底的に応援するのがブラジルのサポーター。

忘れもしない。まだ、低学年だった自分が大きな声援を送っていたら、どこからともなく空き缶が飛んで来たことだ。小さな子供でも容赦ない。あの恐怖感は、今も鮮明に記憶に残る。

もう一つ、子供心に忘れられないのは市街を取り巻くファベーラ(貧民街)の子供たちが、ボロボロで中身が剥き出しになったサッカーボールでずっと、ドリブルやパス練習をしていたことだ。どんなに貧しくても、ボール1つで、夢を見ることができるのだ。

自分が滞在した60~70年代は、まだ治安も今ほどひどくはなく、日本戦が行われたレシフェやベロオリゾンテ、ポルトアレグレなど穏やかなリゾート地や港町だったように記憶する。それが、デモや略奪の街と化してしまったことは、本当に悲しい限りだ。

今回の様子を、現地の人間に聞くと、日本人はサンパウロではオフィス街の中心にある「中田ネットカフェ」に集まり、無謀な個人行動は取っていないという。「でも、何が起きてもおかしくない」そんな状況を耳にすると、残念な気持ちが湧き上がる。今は、ひたすら無事に、そして、楽しくW杯が終了することを祈るのみだ。

 

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【執筆者紹介】

image-21983年、慶應義塾大学卒業後、企業勤務を経て、87年産経新聞社入社。94年にカナダ・トロントに移住し、フリーランスとなる。 以後、数々の出版・企画・編集に携わっている。2013年から朝日新聞出版「AERA」を中心に取材・執筆。現在に至る。

[主な著書(含編集)]角川書店「もうひとつの僕の生きる道」、晶文社「命のアサガオ 永遠に」、学研「東京お散歩地図」、双葉社「アイスホッケー女子日本代表の軌跡 氷上の闘う女神たち」

 

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