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.政治  投稿日:2023/2/3

空き校舎活用は地域住民が決める 「高岡発ニッポン再興」その50


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・高岡市は今後生まれる10の空き校舎、基本的に「解体・売却」で「転用」しない方針。

・文科省の調査によると、全国の廃校校舎の活用率は64%。

・長野県飯綱町の廃校は、徹底した住民協議の元、地方創生推進交付金を使って活用が行われた。

 

何度もお伝えしていますが、高岡市では、今後10の空き校舎が生まれます。基本的には「解体・売却」という方針です。有利な地方債を使うためとしており、転用は考えていないとしています。転用とは、小学校の校舎を保育園の園舎にしたり、博物館にしたり。別の用途で使うことです。有利な地方債では、この転用で使うことも可能です。

しかし、高岡市では「解体・売却」に拘っています。転用とはそんなに珍しいことなのでしょうか。

こうした中、私は先日の日本経済新聞に驚きました。全国の廃校となった校舎の跡地についてデータを伝えていたからです。文部科学省が2022年3月に公表した「廃校施設等活用状況実態調査」をもとに、日本経済新聞が独自にアンケート調査を実施。その結果、活用率は全体で64%でした。活用されていないのは36%なのです。

富山県では、活用率は70%。トップの山梨県では実に84%なのです。この活用率というのは、02~20年度に廃校となった公立の小中学校や高校などのうち、21年5月時点で再利用されている割合です。

 全国の事例を伝えています。高齢者住宅、大人向けの学びの寺子屋、おもちゃ博物館、グランピング施設などの活用例を挙げています。その中には、氷見の「ひみラボ水族館」も紹介されています。空き校舎を転用したのですが、年間1万人が訪れているといいます。同じ富山県民として誇らしいですね。

 それぞれ利活用例は興味深いのですが、そのうちの一つ、長野県飯綱町の役場に話を聞きました。小学校2校を改装して、2つの複合施設が2021年にオープンしたのです。住民のニーズなどを踏まえて、いろいろなテナントを入居させているのが特徴です。

1975年に建設された牟礼西小学校。こちらは、「いいづなコネクトWEST」と呼ばれる施設に生まれ変わりました。「自然・スポーツ・健康」がテーマとなっています。

特色は人工芝をひいたサッカー用のグラウンドです。LED照明柱もあり、ナイター利用もできます。人工芝は、クッション性、水はけがよいため、ケガの抑制につながります。運動着が汚れないと、保護者は喜んでいるそうです。教室は宿泊施設になっており、合宿に使うケースも多いといいます。

▲写真 いいづなコネクトWEST コワーキングスペース「自習室」かつては図書館だった 提供:筆者

かつての校長室は子ども含めて誰でも自由に利用できるスペース、保健室はランドリー、職員室はラーメン店になっています。

一方、三水第二小学校は1983年建築されましたが、「いいづなコネクトEAST」という施設に変わりました。こちらは、「食・農・しごと創り」がテーマとなっています。特産のリンゴを活用したシードル醸造所のほか、企業の開発拠点も入っています。自由にものづくりができる部屋やコワーキングスペースなども設置しるそうです。サテライトオフィスにもなっています。

飯綱町はスピード感をもって再編しました。4つあった小学校を2にすることを決めましたのが2016年。実際に廃校になったのは、2018年3月です。そして、この2つの複合施設がオープンしたのは、2021年です。

どうやって決めたのでしょうか。驚いたのは、徹底した住民の協議です。プロジェクトチームのメンバーは、自治会の代表や議員らです。WESTは15人。EASTは14人。役場職員はメンバーに入っていません。事務局です。

WESTは25回、EASTは19回会合を開き、提言書を提出。それをベースに、転用しました。企画課は「壊すのは簡単です。小学校は地域コミュニティーの核。地域住民の意見を尊重した」としています。

改修にはおカネがかかります。地方創生推進交付金を使いました。その結果、飯綱町の2つの小学校の負担は2億7700万円に抑えられました。国は1億9500万円交付されたからです。高岡市に比べ1ケタ安いお金です。

飯網町の動きを調べて、私はやはり、地域住民の声を聞くことが大切だと、痛感しました。住民ファーストの政治を続けたいと思っています。

トップ写真:いいづなコネクトEAST 提供:筆者




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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