空き校舎問題①住民協議はどこへ「高岡発ニッポン再興」その59
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・高岡市議会3月定例会では空き校舎の問題を取り上げた。
・高岡市では住民の意見を聞く機会を設けず、教育センターの移転案が提示された。
・地元小学校校舎は地域コミュニティの核。地元の意見をまず聞くことが大事。
私は3月13日に開かれた高岡市議会3月定例会で空き校舎の問題を取り上げました。この問題について、この1年間、私は繰り返し、質問してきました。その理由は、空き校舎をどのようにするのか。それは民主主義の根幹にかかわるからです。私は大学で政治学を専攻し、「地方自治は民主主義の学校」と学びました。地方自治は住民の意見を反映させやすく、民主主義の理想とする政治体制に近いのです。
空き校舎問題で住民と話し合うのは、民主主義の学校を試す格好の機会なのです。しかし、これまでの議論をみる限り、高岡市では、「民主主義の学校」が「学級崩壊」ならぬ、「学校崩壊」の危機に見舞われていると感じます。
▲写真 議会で質問する出町市議(筆者提供)
旧平米小学校が閉校してまもなく1年です。放置されていた空き校舎問題ですが、今年に入って急展開しました。
比較的新しい校舎部分について、教育委員会は、不登校などを支援する「教育センター」を移転し、教育拠点にする案を、平米地区の自治会関係者7人に説明しました。不登校の人や外国人児童や生徒の支援を行う教育拠点にするそうです。出席者によれば、市当局は決定事項ではなく、計画案として説明したそうです。
その後、今月7日に開かれた高岡市議会3月定例会の代表質問で、教育委員会は旧平米小学校の空き校舎について、「教育センター」を移転し、教育拠点にする考えを示しました。新聞やテレビは、「旧平米小、教育拠点に」と大きく報じました。既成事実となったのです。
私は教育センター移転案を否定するつもりはありません。不登校の子どもたちの教育は大切です。また、増加している外国人の児童・生徒を支援するのも極めて重要です。
しかし、民主主義にはプロセスが大事だと思うのです。地域住民の声を聞くことが最優先されるべきです。実際、空き校舎方針について教育長は、住民の意向を丁寧にお聞きするとおっしゃっていました。
それなのに、高岡市では住民の意見を聞く機会を設けず、急きょ教育センターの移転案を提示されました。それは住民にとっては「申し渡し」に映ります。旧平米小学校の空き校舎については、住民の中では、さまざまな活用法が議論されていました。
旧平米小学校は、土蔵造りで知られる山町筋や、日本100名城といわれる古城公園とも近い立地条件です。つまり、歴史・文化エリアであり、博物館の移転を望む住民の声が多くありました。老朽化している博物館は移設に迫られています。そのため、旧平米小学校は移転先としてうってつけだというのです。
こうした地域住民の声を受けて、私は12月の定例会で、旧平米小学校の校舎跡地について、博物館の移転を提案しました。しかし市長は「博物館の移転先として旧平米空き校舎の活用は想定していない」と明言なさいました。
博物館だけではありません。ある住民は「地域食堂」を提案していました。子どもだけでなく、地域の高齢者らも食べる食堂です。学校に調理室があるので、そのまま使うのはどうかというのです。
また、別の人は、高校生らが勉強できる「学習室」にしてはどうかと話していました。現在高校生などが使っている、ウイング・ウイング高岡の学習室が手狭になっているからです。
このように、空き校舎の利活用についてはさまざまな意見が出ていました。住民の意見がすべて通るはずではありません。一長一短あるでしょう。住民の意見を聞くと収拾がつかなくなるという考え方もあります。しかし、地元小学校の校舎は地域コミュニティの核なのです。地元の意見をまず聞くことが大事だと、私は思っています。全国多くの自治体も空き校舎については、そのようにしています。
具体的な移転案を提示する前の段階で、住民に意見を聞く場を設けなかったのはどうしてなのか。私の議会での質問に対して、教育長はこう答弁しました。
「市の方向性がまとまったことから、事前に平米校下自治連合会の役員の皆さんにご説明し、ご意見をいただくとともに、今後の進め方等について、ご相談させていただいた」。
市の方向性というのは、教育センターの移転だったです。今回説明した相手は、自治連合会の役員わずか7人です。
つまるところ、役所の中の協議で決着したのです。ある元市役所幹部は「住民の声を聞かず進めていくのは『密室政治』。もちろん最終判断は役所がしなければならないが、その過程が大事です」と指摘していました。私も全く同じ意見です。
トップ写真:閉校になった旧平米小学校のグランドで草むしりする市民(筆者提供)
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。