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.政治  投稿日:2023/3/17

高岡を愛した人気ラーメン店「翔龍」経営者の突然死「高岡発ニッポン再興」その57


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・自分を応援してくれていたラーメン店「翔龍」の浅野昭次さんが急逝した。

閉鎖的な高岡で町を元気にしたいという熱い思いを持ち続けていた。

・北海道猿仏村出身の浅野スピリッツは、高岡で広まりつつある

 

高岡市議会3月定例会での私の質問が3月13日に終わりました。その内容についてはのちほどお伝えしますが、翌14日、私は、あの人の顔を見たくなった。高岡を代表するラーメン店「翔龍」のマスターの浅野昭次さんです。以前、この連載でも紹介した人物(猿払村の奇跡と人気ラーメン店 「高岡発ニッポン再興」その14 | “Japan In-depth”[ジャパン・インデプス])です。私はカウンターに座ってラーメンを食べながら浅野さんと言葉を交わすと、いつもほっとするのです。

正午前に店に行きました。いつもはごった返す時間帯なのに、なぜか車がありません。休業の看板がかかっていました。

何か変だな。そう思って、浅野さんに電話しました。しばらく鳴らして、出たのは奥さんでした。「マスターは亡くなりました。あまりに突然のことで、私も現実かどうか、分からない状況です。遺体は警察にあります」。

え、私は絶句しました。自転車で帰る途中、用水路に落ちた可能性があるそうです。私が電話したのは、警察が用水路で浅野さんの遺体を発見してから、数時間しかたっていない段階でした。

浅野さんと出会ったのは、おととしの春です。市長選の時に、ラーメン店の近くの街頭演説をしていると、ホタテと缶コーヒーを差し入れしてくれました。「高岡を変えるために、当選してもらいたい」。その後も、私の集会に頻繁に出席なさっています。閉鎖的な街をどのようにして活気づけるか。浅野さんは必死に考えていました。

「市長選で負けたら、出町さんはもう東京に帰ると思っていた。残ってくれて嬉しいよ。いい町にしたいよね」。

2人で食事をしながら、高岡の未来について語りました。「ずっと友達でいようね」。そう語り合いました。

私はおととし、38年ぶりに帰郷し、市長選に出馬しましたが、よそ者扱いでした。結果は落選です。そんな中、浅野さんの温かい想いは胸に染みました。その後、私は市議会議員選挙に当選。市議として、市民とのミニ集会を頻繁に開いていますが、浅野さんはしばしば姿を見せ、高岡市の現状に対して危機感を抱いていました。

また、87歳の私の母についても親しくしていただき、母を食事に連れて行ってくれたりしました。ある意味、家族ぐるみのお付き合いだったのです。

母は浅野さんの生き方と姿にほれ込み、「こんなすごい人に会ったことはない」。母曰く、「マスターは『老人と海』の老人みたい」。「老人と海」とはヘミングウェイの代表作。確かに浅野さんは、映画版に出ている主人公に似ています。

浅野さんは北海道猿払村出身です。ホタテで有名な村。“貧しい村”だったのですが、当時の村長らの手腕で“富める村”になりました。「猿払村の奇跡」と言われています。そこで生まれ育ち、お父さんは漁業をやっていました。奥さんと知り合い、高岡に来ました。

30年ほど前に始めたラーメン店。店をどんどん大きくし、現在は巨大な店舗です。1日1000食ほどの売り上げを出す、人気ラーメン店です。

「自分は、高岡では『よそ者』。いろいろ苦労もしたけど、自分を育ててくれた高岡に恩返しをしたい」。そんな話を何度も聞きました。

ある時、私が子ども食堂の手伝いをしていることから、浅野さんは「自分も子ども食堂に何かをしたい」と言って、我が家に来ました。

私は、長年にわたって子ども食堂を手掛けている方を紹介。浅野さんは、ポンとお金を出すのではなく、お店で出しているチャーシューを用意。子ども食堂の現場で、「翔龍」の店員がチャーシュー丼をつくりました。およそ300食分の無償提供です。私も現場にいましたが、子どもたちは大喜びでした。

浅野さんは、戦後の混乱期、父親が子どもたちに食料を分け与えていたことを思い出し、子ども食堂のお手伝いをしたいと思ったそうです。

高岡に恩返ししたい」。閉鎖的な高岡で、ラーメン一本で生き抜いた浅野さん。高岡を元気にしたいという熱い思いを持ち続けられました。「翔龍」に勤めた人が高岡で次々にラーメン店を出しています。猿払村出身の浅野スピリッツは、高岡で広まりつつあるのです。

私は、浅野さんの思いを実現するため、必死に仕事をしなければなりません。合掌。

トップ写真:御旅屋こども食堂で。浅野さんと筆者 提供:筆者




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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