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.社会  投稿日:2023/8/18

お盆とジャニーズ 日本と世界の夏休み その4      


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・ジャニーズ事務所創業者による性加害問題は、かねてから知られた事実だった。

・英国BBCが特集番組を放送し、メディアの姿勢も問題視する声が噴出。

・メディアが問題とすべきは、見ないふりをした「国の恥」を反省し、どのように「再発防止」に取り組むかだ。

 

わが国において、8月中旬は慰霊のシーズンである。

なんと言っても、お盆休みで帰省する人たちによる「民族大移動」と称される現象が毎年報じられている。最近でこそ、中国の春節(旧正月)に比べればかわいいものだ、といった声も聞かれるが。

私は東京生まれの東京育ちなので、帰省という概念がそもそもなく、また東京でお盆といえば7月の新盆である。

旧暦(太陰暦)が用いられていた当時は、7月13日を迎え盆、16日を送り盆として、この期間、祖先の霊を供養することになっていた。

しかし、明治になって新暦(太陽暦・グレゴリオ暦)が採用されると、7月15日前後は農繁期で、親類縁者が集まって法要を営むには具合が悪い。そこで8月13日から16日(地域差はあるようだが)をお盆とするようになったため、夏の帰省シーズンとお盆休みが事実上の同義語となったのである。

わが国では一般にお盆とだけ呼ばれているが、もともとは盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教の儀式で、さらにその語源は、サンスクリット語のウーラボンエに漢字を当てたもの。

ウーラボンエとは「逆さ吊りの拷問」と言ったほどの意味で、要するに地獄の責め苦のことである。釈尊の高弟が、自分の母親を地獄から救い出したという伝承から、先祖の魂を呼び戻す儀式が生まれてきたものらしい。

日本には8世紀頃に伝わったとされているが、お盆の先祖供養という風習が庶民階級にまで普及したのは、江戸時代になってからのことであるようだ。もともと仏教は貴族階級の教養とされていて、鎌倉時代以降、まずは武士階級、さらには農村に浸透していった、という経緯があった。

正月の風習は当然ながらずっと古くからのものだが、これとても起源をたどると、わが国古来の先祖祀りに行き着くと考えられている。

中国文化圏の人々から「倭人」と呼ばれた、日本列島の住民の遠祖は、冬至の時期と夏至の時期に、それぞれ先祖の霊が蘇ってくると信じて、なんらかの宗教儀式を行っていた形跡があって、後に神道と結びついた儀式は正月、前述のように仏教と結びついた儀式はお盆として、次第に定着していったものと考える人が多い。

儀式の具体的な内容については、地域差も大きく、とりわけお盆については、仏教の宗派によって微妙に異なるので、ここで詳述するだけの紙数はない。

ただ、仏教用語や慰霊についての考え方については、誤解が広まっている事柄も多いので、今回はその話をさせていただこう。

今となっては旧聞の観があるが、7月18日、自ら「国際文化人」と称するデヴィ夫人が、ジャニーズ事務所の創業者による、少年たちへの性加害問題についてツイートし、炎上した。

いわく、

「ジャン・コクトーがジャン・マレーを愛したように、そのような特別な世界、関係性というものはある」

「ジャニー氏は半世紀に渡って日本の芸能界を牽引し、スターを育て、その非凡な才覚で何億何千万という人々を楽しませ、夢中にさせてきた。昨今の流れは偉大なジャニー氏の慰霊に対する冒涜、日本の恥である」

 前段については、すでに多くの人が指摘している事柄なので、概説のみとさせていただくが、そもそもジャニー氏は「同性愛者だったから」非難されているのではない。成人男性同士の性愛関係と、せいぜい中学生くらいだった年代の少年に対する性加害とが、どうして同列に論じられるだろうか。

 問題は後段で、そもそも日本語になっていない。

 慰霊とは読んで字のごとく死者の霊をなぐさめることだが、本来は「慰め、鎮める」意味であるとされていた。どういうことかと言うと、日本人は長きにわたって怨霊の存在を信じていたので、非業の死を遂げた人の霊を慰め鎮めないと、どのようなタタリがあるか知れたものではないと考えられていたのである。

 つまりは、ジャニー氏のように「非凡な才覚で多くの人を楽しませ」功成り名を遂げて天寿を全うしたような人は、日本古来の宗教観に照らせば、生前親しかった人たちの手で「追悼」すれば事足りるのだ。

 もちろん、言葉の意味は時代と共に変わってくるもので、今では「慰霊」と「鎮魂」がほとんど同義語であったことを知る人は少なく、むしろ人間以外の「死者」に対しても使われるようになっている。具体的には水族館や動物園でも「慰霊祭」が行われる、というように。

 だが、それならそれで、慰霊が特別に神聖な行為ではなくなってきたとも考えられるので(多くの人がそのように考えていると思う)、慰霊に対する冒涜などという日本語は成立しないだろう。

デヴィ夫人はまた「死者に鞭打ち」という表現も使っていたが、こちらも首をかしげる他はない。

この言葉の出典は『史記』で、中国の春秋戦国時代(紀元前6世紀頃)の話とされる。

楚の国に仕えていた伍子胥(ごししょ)という男が、父と兄を楚の平王に殺され、自身は命からがら呉の国に亡命した。呉軍の力を借りて復讐したいと願ったのだが、諸般の事情で侵攻までには16年を要した。

このため、首尾よく楚の都を占領したものの、平王はすでに他界していたのである。

収まらない伍子胥は、墓を暴いて遺体を引きずり出し、鞭で300回打ったという。

これについてはネットを中心に、

「わが国では、死んだ人は仏として祀られるが、中国人は平気で遺体を辱める」

 などという言説が広まっているようだ。これは事実ではない。

 当の『史記』にも、伍子胥の行為は共に楚と戦った朋輩たちからも「ひどすぎる」「やりすぎだ」との声が上がったと、ちゃんと書かれている。一方わが国でも戦国時代には、関ヶ原の合戦で敗れた石田三成など敗軍の将は、斬首の上、その首を晒しものにされた。

 さらに言えば、亡くなった人のことを悪く言うのはよろしくない、という考え方は、日本あるいは仏教が浸透した諸国に特有のものではない。

 ただ、私がデヴィ夫人の言説に首をかしげたのは、この論点についてではない。

 ジャニーズ事務所の性加害問題については、私も本連載で先般取り上げたが、かねてから暴露本が出版されたり、かなりよく知られた事実であった。にもかかわらずTV局をはじめとするマスメディアは、事務所との関係がこじれるのを怖れて、見ない振りをしていた。

 これも本連載で紹介させていただいたが、英国BBCが特集番組を放送したことで、メディアの姿勢も含めて問題視する声が噴出したのであり、夫人が言うように、当人が死んだ後になってから「我も我もと声を上げ始めた」という事実はない。いわんや「死者に鞭打ち」ではない。

 私自身、金剛禅総本山少林寺の僧籍を持つ、れっきとした仏教者であるから、亡くなった人のことを悪く言うのは好むところではない。この問題についても、終始一貫、当事者が他界しているので、今からできることなど限られているが……というスタンスで語っていた。

 ただ、繰り返しになるが、今メディアが本当に問題とするべきは、海外メディアが取り上げるまで知らぬ振りを決め込んでいたという「国の恥」を、どこまで真摯に反省し、どのように「再発防止」に取り組むべきか。この点であろう。

トップ写真:ジャニーズ事務所 ©Japan In-depth編集部

 




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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