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.国際  投稿日:2023/9/1

世界で活躍するグルカ兵


中村悦二(フリージャーナリスト)

【まとめ】

・印、ネパール、英国は1947年に、印英が雇ったグルカ兵の権利に関する三か国協定締結。

・インドはこの協定に従いグルカ退役兵に年金を払ったが、英国はしなかった。

・英国軍に1993年1‐9月に入隊したグルカ兵、英国人と同等な権利を要求、2010年代に入りやっと年金の増額が図られた。

 

ネパールのカトマンズ・ポスト紙の電子版を見ていたら、「英国軍に雇われていたグルカ兵の年金についての扱いがひどい」「グルカ兵として英国のためにいくつかの戦争で戦った夫の死後、子供の養育で働きに出ざるを得なかった」と訴える女性の話が出ていた。

同紙によると、インド、ネパール、英国1947年に、インドと英国で雇ったグルカ兵の権利に関する三か国協定を締結した。この中で、グルカ兵が英国・インド市民と同等な福利施設利用や年金を受けることができると記述されていた。インドはこの協定に従いグルカ退役兵に年金を払ったが、英国はしなかった。このため、グルカ退役兵で組織する英国グルカ真理把握連合闘争委員会は英国政府を非難。

英国軍に1993年1‐9月に入隊したグルカ兵は、英国人と同等な権利を要求。その後もハンガーストライキの抗議などがなされ、2010年代に入り、やっと年金の増額が図られたと同紙は伝えている。

英国とネパール間の戦争、具体的には東インド会社とネパールの戦争(1814-1816)当時、英国はネパールをグルカと呼んでいた。グルカ族という民族はなく、複数の山岳民族で構成されている民族集団を指している。

1857年に起きたセポイの乱では、ネパールは1万4,000人を超えるグルカ兵を派遣し、英国軍の重要な戦力になった。第二次世界大戦でも英国軍の兵士として活躍、その数は11万人を超えた。グルカは、当時、日本の徳川家に似たネパールのラナ家の下で鎖国状態にあったネパールの開国の先導役を担った。

ブレア首相によって2004年、英国軍のグルカ兵は英国の市民権を付与された。

インドには2000年時点で10万人のグルカ兵が在籍。

グルカは英国、インドだけでなく、旧英国植民地で現在でも見られる。シンガポール警察には2000人のグルカ部隊があるとされ、香港にもいる。

また、国連平和維持活動PKO)要員として派遣されるケースも多いようだ。(以上、フリー百科事典「ウィキペディア」による)

英国防省は2021年の声明で、英国軍へのグルカ兵の貢献を高く評価。と同時に、ネパールでの退役後に相当な年金・医療を受けられることを保証する、と述べている(同紙)。

ウィキペディアによると、グルカ兵は幼少期から英語と軍事の教育を受けている。

グルカ兵による大規模な民間軍事会社もあり、世界中にグルカ兵を派遣している。その月給は1,000ドル以上とされる。ネパールの2021年度の一人当たりのGDPは1,208ドル(世界銀行調べ)。冒頭の女性の嘆きと違い、現在のグルカ兵の月給は破格の高さだ。

トップ写真:イギリス軍のグルカ兵士(1920〜30年代のインド)出典:duncan1890/Getty Images




この記事を書いた人
中村悦二フリージャーナリスト

1971年3月東京外国語大学ヒンディー語科卒。同年4月日刊工業新聞社入社。編集局国際部、政経部などを経て、ロサンゼルス支局長、シンガポール支局長。経済企画庁(現内閣府)、外務省を担当。国連・世界食糧計画(WFP)日本事務所広報アドバイザー、月刊誌「原子力eye」編集長、同「工業材料」編集長などを歴任。共著に『マイクロソフトの真実』、『マルチメディアが教育を変える-米国情報産業の狙うもの』(いずれも日刊工業新聞社刊)


 

中村悦二

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