インドの4輪車市場が成長源のスズキ
中村悦二(フリージャーナリスト)
【まとめ】
・1983年、鈴木修氏がスズキの四輪車生産をインドで開始、同国の自動車市場に革命をもたらしました。
・現在、スズキはインド最大の自動車メーカーで、年間生産能力を400万台に拡大する計画。
1978年にスズキ(当時の社名は鈴木自動車)の社長に就任した鈴木修氏は、1982年にインド政府と四輪車生産の合弁設立で基本合意し、1983年からインドで四輪の軽自動車生産を始めた。同氏は2024年12月末に亡くなったが、インドのナレンドラ・モディ首相はX(旧ツイッター)への投稿で、英語と日本語で彼の業績について言及。その中で「インドの自動車市場に革命をもたらした」と鈴木氏の業績を称賛した。
スズキが自社技術で排気量800ccの小型乗用車「マルチ800」の生産をインドで始めたのは1983年12月のこと。同国ではそれまで、「ヒンドスタン・モーターズ」と「プレミア・オートモビルズ」の両社が「工業ライセンス制」の下で乗用車を生産していたが、価格は日本円にして200万円以上と高価で、しかも、その容貌は「古色然」としていた。それに対し、マルチ800の発売価格は1万ルピー(約23万円)。予約金を払った購入希望者は17万5000人にのぼり、全員がオーナーになるには「3年かかる」と言われたものだ。その前年の1982年10月に訪印した折に載ったタクシーの初老の運転手が「俺も購入予約したい」と言っていたのが印象的だった。
同訪印時にニューデリーで、鈴木自動車とインド国営企業との合弁会社であるマルチ・ウドヨグ社のV・クリシュナムルティ社長にインタビューした折に現場の取材許可をもらい、ニューデリー近郊のハリアナ州グルガオンの同社の工場立ち上げ状況を取材した。鈴木自動車から来ていた技術者たちには「何しに来た」といった対応をされたが、事務所内は外気にも劣らない熱気に満ちていた。
スズキは2007年9月に「マルチ・ウドヨグ」の社名を「マルチ・スズキ・インディア」に変更。「マルチ・スズキ」ブランドが広く浸透していることを追認し、製品のブランド名と会社名の統一を図った。
スズキはグルガオンの工場(敷地面積120万m²、工場建屋面積30万m²)のほかにハリアナ州マネサールに敷地面積240万m²、工場建屋面積8万m²の工場を有し、従業員は4700名程度になっている。
マルチ・スズキ・インディアは2024年12月16日に、2024年の四輪車生産200万台を達成した。スズキにとり、暦年・年度を通じて生産国での1年間の生産台数が200万台を超えたのはインドが初めて。マルチ・スズキ・インディアは1983年12月に前身のマルチ・ウドヨグで生産第一号車「マルチ800」をラインオフして以来、インドの四輪車市場の拡大に乗って成長し、2024年3月に累計生産3,000万台を達成している。
また、近年ではインドからの輸出も加速させており、2024年11月に累計輸出300万台を成し遂げている。
スズキは図1に見られるように、2023年度のインドの乗用車国内販売台数の41.7%のシェアを占めている同国最大の乗用車メーカーだ。
▲図 2023年度インド乗用車国内販売台数(メーカー別シェア)筆者提供
現在、スズキはインドのハリアナ州にグルガオン工場とマネサール工場を、グジャラート州にグジャラート工場と3生産拠点を構え、その年間の生産能力は235万台。同社は今後のインドの四輪車市場の拡大に備え、年間生産能力400万台確保に向けハリアナ州でカルコダ新工場の2025年稼働開始を予定するほか、グジャラート州にも新工場建設を計画している。
トップ写真:スズキのショールーム (2021年1月2日ニューデリー、インド)出典:Mrinal Pal/GettyImages
あわせて読みたい
この記事を書いた人
中村悦二フリージャーナリスト
1971年3月東京外国語大学ヒンディー語科卒。同年4月日刊工業新聞社入社。編集局国際部、政経部などを経て、ロサンゼルス支局長、シンガポール支局長。経済企画庁(現内閣府)、外務省を担当。国連・世界食糧計画(WFP)日本事務所広報アドバイザー、月刊誌「原子力eye」編集長、同「工業材料」編集長などを歴任。共著に『マイクロソフトの真実』、『マルチメディアが教育を変える-米国情報産業の狙うもの』(いずれも日刊工業新聞社刊)