「野球中華思想」を排す(中)スポーツの秋2023 その2
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・ヤクルトスワローズ、西武ライオンズの広岡達朗監督の徹底した「管理野球」は理想的なビジネスモデルだった。
・「広岡イズム」賞賛は、終身雇用制を軸とする日本型企業社会が健在だった1980年代まで。
・バブル崩壊で選手の自主性を尊重する指導者が賞賛される。その典型は「二刀流」に挑んだ大谷翔平選手。
前回、日本の企業社会においては、野球用語、もしくは野球用語から派生した表現が、ビジネスシーンでよく使われることと、その理由として考え得るのは、日本のサラリーマンは、例外なくプロ野球に深い関心がある、という思い込みではないのか、と述べた。
これを私は「野球中華思想」と呼ぶのだが、そう述べたそばから、プロ野球の監督や選手について、難の注釈も添えずに名前だけ紹介したりした。
これは、私に言わせればやむを得ないことで、自己弁護だと言われることを覚悟の上で開陳すれば、歴史的な中華思想も、中国共産党の覇権主義も認められるものではないが、漢字や中国古典由来の格言を抜きに、日本の言語生活は成り立たない、というようなものである。
野球が日本で最も人気のある観戦スポーツであることは事実で、その経済効果が軽視できないことも事実であると、やはり前回述べた。
私が言いたいのは、ものには限度ということがあるのでは、ということで、日本の野球ファンは、ゲームそのものを楽しむよりも、球団の「お家事情」だの人事だのと言った、本質的でない部分にばかり注目しすぎるように思えてならないのである。
今年の阪神タイガースを率いた岡田監督は、巧みな采配とユーモアあふれる言動で、今や「理想の上司」と見なされている感があるが、彼はあくまでプロ野球の一球団の監督という、特殊な立場で特殊な才能を発揮したのであり、それ以上でも以下でもない。
これは『武士道の真実 〈読み直す〉日本史』(アドレナライズより配信中)という本の中でも述べたことだが、戦国武将と称される人たちも、やはり特殊な時代にあって特殊な才能を発揮した人たちで、現代のビジネスシーンで参考になるとは考えにくいのではないか。
端的に、部下をさんざんこき使った後、用済みとなれば冷酷に斬り捨てるような経営者に、
「俺は織田信長だ」
などと気取られたのでは、働く者はたまったものではない。
野球に話を戻すと、岡田監督以上に格好の例と思えるのが、広岡達朗氏だ。
現役時代は巨人でショートを守り、指導者に転じてからは、ヤクルトスワローズ(1974~79年)、西武ライオンズ(1982~85年)の監督に就任するや、それまで弱小と見なされていた球団を、リーグ優勝・日本一へと導き、名監督の名をほしいままにした。
とりわけ、選手に菜食を奨励するなどの徹底した「管理野球」が注目を集め、当時は管理職のお手本のように語られることが多かった。
ただ、これも当時から一部では言われていたことなのだが、広岡氏の「管理野球」の手法がビジネスにも応用できるなどと本気で考えているのならば、どうして親会社の西武グループが、彼を人事あるいは労務担当の役員としてスカウトしないのか、という話である。
さらに言えば、成績を上げるためとは言え、従業員(=選手)の食生活まで厳しく管理することなど、今ならばコンプライアンス的にどうなのか、という話になるのではないか。
私などは、管理野球を標榜するのなら、プロ野球選手か悪徳不動産業者しかあり得ないようなスーツの着こなしもなんとかしろよ、などと言って笑っていたものだが、これは余談。
高名な数学者がどこかで書いていたが、数学を学べば頭がよくなる、というのは幻想で、数学以外の能力が伸びることは考えにくいそうである。理数系の成績がふるわなかった「ド文系」の私にとっては力強い言葉であったが、スポーツの場合は、これがさらに顕著だと言えるのではないだろうか。
本連載でも以前触れたことがあるが、小学校時代から野球漬けのような生活をしていた若者でも、プロ野球選手として成功するのはごく一部でしかない。また、たとえ成功しても、その「成功体験」が野球以外の場で生かされた例など、まず聞かない。
とどのつまり、選手の私生活から食事まで管理する「広岡イズム」が理想的なビジネスモデルであるかのように語られたのは、終身雇用制を軸とする日本型企業社会がまだまだ健在だった1980年代までの話であった。
ここでくだくだしく説明するまでもなく、その後わが国の経済は、バブル景気とその崩壊を経て、長い低迷期に入り、その過程で世に言う「日本的経営法」も批判的に語られることが多くなった。当然の結果として、選手の自主性を尊重する指導者が賞賛される傾向が強まり、その典型的な例が投打の「二刀流」に挑んだ大谷翔平選手の例だろう。役割分担を重んじていた従前のプロ野球では、考えにくいことである。
ここで再び、そもそも論に立ち返ると、プロ野球の選手というのは一人一人が個人事業主なのであって、契約期限までもが厳格な、非正規雇用そのものなのである。
今さら言うまでもないことだと思うが、日本のメディアはこの点にあまり着目しない。
「成績にちなんだ」報酬しか受け取れないと言えば聞こえはよいが(よくもないか……)、要は期間工と呼ばれる人たちと似たり寄ったりの立場なのだと言ってしまっては、それこそ夢も希望もない、ということなのだろうか。
もうひとつ、ビジネスシーンと結びつけて野球を語るなど、日本以外ではまず見られない現象なのだということを、知らない人が多すぎる。
大リーグの一員となった大谷選手の活躍ぶりについては、あらためて紹介するまでもないが、日本のあるTVキャスターが、サッカー元ポルトガル代表のクリスチャーノ・ロナウド選手にマイクを向け、
「ショウヘイ・オオタニをどう思いますか?」
と質問して「誰ですか?」と問い返された、ということがあった。
一部の芸能人からは、ポルトガルのサッカー選手が知るわけない、といったコメントもあったようだが、本当に恥ずかしい話だ。
別の番組で、やはり大谷選手の話題が出たが、米国在住の女性芸能人が、かの国ではやはり誰もが知る存在なのか、と問われた際、
「こんなこと言うと、炎上しちゃうかもしれないけど」
と前置きして、
「野球好きの人たちなら知っている、という程度ですよ」
と語っていた。彼女に言わせると、米国おける観戦スポーツの人気は、アメリカン・フットボールとバスケットボールが双璧をなしていて、野球とアイスホッケーはそれに続く「3位争い」と言った位置づけなのだとか。
私は長きにわたって、双璧とされた二者に野球を加えて「3大スポーツ」と呼ばれている、という話を信じていたのだが、まあ、どこの国も時世時節というものはあるのだろう。
次回、野球が実はマイナーなスポーツであることを見ることにする。
トップ写真:オークランド・アスレチックスと対戦するロサンゼルス・エンゼルスの17番大谷翔平(2023年9月3日 カリフォルニア州・オークランド)出典:Thearon W. Henderson/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。