日本のTVインタビューで激昂したキッシンジャー氏
柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)
【まとめ】
・2012年、キッシンジャー氏が日本のテレビ局インタビューで激昂。
・取材目的は、ニクソン大統領補佐官時代の尖閣諸島発言の追認。
・「私の口から中国のことを悪く言わせたいようだが、そういう話が目的だったら協力しかねる」
キッシンジャー氏には、テレビ局のカメラマンとしてインタビュー取材をしたことが2回ほどある。
2回のインタビューはどちらとも、ニューヨーク、パークアベニューのキッシンジャー氏のオフィスで行われた。
手元の記録では、最初のキッシンジャー氏のインタビューは2012年の11月とある。
あの時、キッシンジャー氏は89歳だったと言うことになる。
インタビューは日本のテレビ局の、スペシャル企画番組用のインタビューで、めったに、どころか、まずインタビューできる相手では無いので、局の側はそうとう鼻息が荒かったが、その分、相手への節度に欠けていたかも知れない。
インタビュー用に案内された、キッシンジャー氏のオフィスの応接室に、テレビカメラが2台とスタッフが多数、入り込んだ。何と言っても、相手は重鎮中の重鎮。自分も大層緊張したのは言うまでもない。何しろ、歴史上の人物が、今から目の前に現れるのである。
キッシンジャー氏は、オフィスの自分の執務室から現れ、応接室に入ってきた。当然、お年は召してはいたが、意気軒昂、想像していたより、かくしゃくとしていた印象だった。歴史上の人を目の当たりにした自分は、実のところ、かなりの興奮状態にあった。
2012年の日本は、尖閣諸島の問題で、中国とかなり険悪な状態にあった。
この年9月に東京都が検討していた尖閣諸島の買上げに、当時の政府(野田内閣)が待ったをかけ、結果、政府が埼玉県の地権者から20億円あまりで尖閣諸島を買い上げ、国有としたことで、中国が激しく反発し、民衆も含めた大規模、かつ暴力的なデモにまで発展、中国国内の日本の企業、企業の店舗などが被害を受けた。暴力的なデモの中には官製デモも含まれていた、と言われる。
中国政府の船舶による尖閣諸島周辺への度重なる領海侵犯の頻度は、この時を機に大きくなり、今日まで続いている。(海上保安庁のデータ)
テレビ局のキッシンジャー氏への取材趣旨は、この事態を受け、キッシンジャー氏がニクソン政権の大統領補佐官時代に一言放った、尖閣諸島を巡る発言を追認してもらうことにあった。
この日、キッシンジャー氏へのインタビューを試みた記者は資料を調べ上げ、実際にキッシンジャー氏が当時発言した音声まで探し当て、これを本人が発言した証拠としてキッシンジャー氏に聞かせた。
それがどのような発言であったか記憶が曖昧ではあるが、「これはあなたが言いましたよね?」と迫る記者に最初は「昔のことなので良く覚えていない」とキッシンジャー氏はやんわり対応していたが、言質を取りたい記者がなおも迫ると、それまで静かだった巨山は大きく動いた。
「あなたたちは、どうしても私の口から中国のことを悪く言わせたいようだが、そういう話が目的だったら協力しかねる。友人のつてで、どうしても、ということで受けたインタビューだったが、そういう意図だったら話したくない。帰る!」と激昂。我々が背広に着けさせていただいていたタイピン・マイクを自ら乱暴に外し、部屋を出て行ってしまった。
部屋にすし詰めになっていたスタッフはあまりの出来事に全員無言であった。当然ではあるが、後日、いろいろあったと聞いた。
2回目にお目にかかったのは4年後の2016年。写真はその時のものである。
▲写真:2016年、キッシンジャー氏のオフィスにて)筆者提供
場所は2012年のインタビューの時と同じ、キッシンジャー氏のオフィスの応接室であったが、この時は新しく出された著作に関するインタビューだったので、終始、氏は上機嫌であった。
「 Excuse me Sir、マイクを付けさせていただきます」
「ああ、よろしく」
たったこれだけ、ひとことのやり取りであったが、会話は鮮明に記憶に残る。
私が小学生だった時テレビで見た人。
大人になってからは、ゴルゴ13にも出てきた歴史上の人物と直に話を交わせたのは、それだけでも自分の宝の記憶の一つだと思っている。
ご冥福をお祈りします。
トップ写真:大西洋を越えた関係に対する「顕著な貢献」に対して、ベルリンのアメリカン・アカデミーから授与されるヘンリー・A・キッシンジャー賞の受賞式にて。2019年はドイツのアンゲラ・メルケル首相に授与された。2020年1月21日 ドイツ ベルリン
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この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー
1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。