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.国際  投稿日:2024/1/8

アラン・ドロン一家、日本人女性巡り法廷闘争


Ulala(著述家)

フランスUlalaの視点」

【まとめ】

・フランスの映画俳優アラン・ドロン家族の亀裂が表面化した。

・息子アントニー・ドロンらは、アランの世話をしていたヒロミ・ロランを告訴した。

・しかし1月4日、検察側が嫌疑不十分でヒロミを不起訴処分とした。

 

2023年クリスマス、二人の息子と孫娘たちに囲まれた現在88歳のフランスの元映画俳優アラン・ドロンの家族写真が公開された。しかしながらそこには娘の姿はなかった。この頃にはすでに水面下で何かが始まっていたのかもしれない。このあとすぐにドロン家族の亀裂が表面化する。あの穏やかなクリスマス写真はまさに嵐の前の静けさを映し出していた。

アラン・ドロンは、1957年のスクリーンデビュー以降、『太陽がいっぱい』をはじめとする数々の名作映画に出演したフランスの代表的俳優だ。インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人だったデヴィ夫人がフランスの社交界でアランと出会えたのも、その甘いマスクで世界中を魅了していた大スターだったからこそである。

アランには3人の子供がいる。ナタリー・ドロンとの間にできたアントニー・ドロン(1964年生まれ)と、オランダ人のトップモデル、ロザリー・ファン・ブレーメンとの間にできたアヌーシュカ・ドロン(1990年生まれ)、アラン=ファビアン・ドロン(1994年生まれ)だ。アントニーだけ母親が別であり、年の差がある腹違いの妹と弟は、どちらかと言えばアントニーの子供と同じ世代だ。そのためたとえ父親が同じでも完全に別の世界で生きてきた兄弟。考え方などもかなり違っていることは間違いない。

しかし、一時期、兄弟3人が一致団結したことがある。それは昨年7月、一緒に住んでアランの世話をしていた日本人女性ヒロミ・ロラン(67歳)を追い出したときである。

2019年5月、第72回カンヌ国際映画祭で映画界への長年の功績をたたえて名誉パルム・ドールが贈られたアランだったが、同年7月に脳卒中を発症した。そのためフランスのロワレ県ドゥシーの自宅で余生を送っていたのだ。だが忙しい子供たちはほとんど見舞いには来ない。脳卒中後、献身的にアランを介護し続けたのがヒロミであった。

日本人女性ヒロミ・ロランの排除

ヒロミ・ロランは、1980年代から1990年代にかけて多くのフランス映画でセカンドやサードの助監督を務めた日本人女性だ。彼女は1992年にアラン主演の映画『カサノヴァの最後の恋』でセカンド助監督として働き、アランのアシスタントを務めていた。彼女によれば2003年からドゥシーのアラン・ドロン自宅で一緒に暮らしてきたそうで、最初は秘書的な立場だったのだが、2019年にアランが脳卒中で倒れてからより親密な立場に変わっていった。

ヒロミが、アランを支えてきたことは残された複数のインタビューや公的場所への出席からも事実だと考えられる。下記のリストがその一例だ。

・ 2021年6月、仏『イッシパリ』誌、アラン・ドロンと親しい関係者はこう語る。「長い間、ふたりは単なる友人でした。時が経つにつれて、気持ちに変化が訪れました。ヒロミはアランの回復にまぎれもなく貢献しただけでなく、心の平穏をもたらしました」

・ 2021年、「TV5モンド」テレビのドキュメンタリー番組、アラン自身が「同居している日本女性、ヒロミは、療養中ずっと一緒にいてくれました」と語っています。同時にこのインタビューでは、関係した女性は全員亡くなって孤独を感じているとともに、子供とはほとんど会う機会がないことも語っている。

・ 2021年9月10日に行われたジャン=ポール・ベルモンドの葬儀にはアランと参列

・ 2022年5月、アランの末の息子アラン=ファビアンの新作映画のプレミアに二人で出席

これだけみても親密な関係があることは間違いないようだが、しかし、3人の子供たちは決してヒロミを父親の「パートナー」と認めず、単に世話している「侍女」と強調した。その上、ヒロミがアランに、「ひどい言葉を投げつけた」「弱っていることを利用して金を使わせた」「動物を虐待した」とメディアを使ってさんざん悪評を広めた上、告訴したのだ。

この時はフランスのメディアでも大きな話題となった。給料ももらっていなかったのに「侍女」と言われて嘘八百を並べたてられたあげく、20年も一緒に暮らしていたため私物も多くあったのにもかかわらず、すべてを持ち出すことも許されず暴力的に追い出されたヒロミは、もちろん3人の子供に対して「侮辱」「暴力」「窃盗」で告訴した。しかし、たかが外国人の女性がフランスを代表する有名人家族に勝てるはずがない。悪評だけが拡散され、それをみんなが信じ、このときはドロン家の完全勝利で終わったように見えたのだ。

だが、年が明けて2024年1月4日。なんと、検察側が嫌疑不十分でヒロミを不起訴処分とした。「アラン・ドロンに損害を与える暴力行為は目撃者や定期的に彼を訪問していた医療従事者によって指摘されなかった。アラン・ドロンの犬に対して非難された残虐行為も同様であり、全く立証されていない。もしアラン・ドロンの病状が悪化したとしてもヒロミ・ロランの行動とは関係ない。」とモンタルジの検察官ジャンセドリック・ゴー氏は結論づけた。

これは完全にドロン家の敗北である。この後も捜査は続くとは言っていたが、これだけの根拠のない容疑をかけて女性を追い出した背景には遺産相続が関係していると疑う人々が現れるのも自然の流れだ。しかしながら、事態は別方向に進展していった。こういう結果になることを事前にわかっていたための対策だったのかまではわからないが、1月4日発売の週刊誌パリ・マッチにて長男アントニーが、妹アヌーシュカを告訴したことを明らかにしたのだ。

常に火種を巻き続けるアントニー・ドロン

アントニーは、「2019年から2022年の間に父がスイスの診療所を訪れた際に5回の認知機能検査を受け、不合格だったということを妹は弟と兄の私に一度も知らせなかった」ことを不服とした。さらにこの行為は、「ヒロミに加担したも同然」とすらいっている。もし彼や弟がその結果を知っていたらヒロミに警告できたかもしれない。現在のアランの衰弱は激しく「今回が最後のクリスマス」になる可能性は大きいことも述べている。

ただし、アントニーはこの告訴が遺産に関することだけは否定した。その後行われたBMFTVでのインタヴューで、「遺産相続に関してはもう決まったことでまったく問題にはしていない。妹が50%で自分と弟が25%ずつとすでに決まっている。」その上で、「自分は父がやりたいと思っていることを実現したいだけ。父はもうスイスにいける健康状態でないし、ドゥーシーの自宅にいたいと思っている。しかし、妹は、遺産相続の税金逃れのためにスイスに連れて行こうとしているのだ。」と説明した。

この記事を受けて、妹のアヌーシュカは、兄アントニーを「名誉毀損」「中傷的非難」「脅迫」「嫌がらせ」で告訴すると発表。そして、アランは、「自分を老人だと言い続ける息子アントニーの攻撃性に耐えられない。さらに衝撃的なのは、息子が今回最後のクリスマスだといったことだ。」と、アヌーシュカ側についた。家族間の戦争の勃発である。

アランの弁護士は、「アントニーが画策したメディアの暴動に非常にショックを受けている」と語るとともに、アランがアヌーシュカを積極的にたたえることを隠さないのと同時にアントニーとの確執を隠すことはなかったが、すべての子供たちを平等に愛していることを強調した。そう、アントニーとアランの関係を知っている人々の間では、今回のアントニーの行動はアランの復讐心が働いているのではないかという見方も持っている。というのも、アントニーとアランの間でよく問題が起こることはよく知られているからである。

父親との40年間にわたる確執

アントニー自身、自伝的著書『犬と狼の間』の中で、「幼少期に両親に拒絶され、捨てられました」と書いており心の傷になっていることがうかがいしれる。アランとナタリーが別居したとき、アントニーは4歳だった。4歳といえばまだまだ親に甘えたい年齢だ。しかし母親は離婚の原因にもなった女優の道を選んだ結果、息子と過ごす時間はほとんどなくなった。

ドロンといえば息子を男らしくし強く、どんな苦難にも負けない男に育てようとするあまり、アントニーに大変厳しい態度をとったのだ。例えば、アントニーを犬と一緒に閉じ込めたり、夜のドゥーシー公園を強制的に散歩させたりして恐怖心を克服するよういった。時には食事のマナーがなっていないとムチで打ったという。多少アランの味方をするとすれば、この時代のフランスは教室にもムチが設置されており、子供をしつけるのにムチを使うのは現代社会よりは普通のことだったのだ。しかも初めてできた子供であるアントニーの境遇は、アラン自身の生い立ちとも重なる点がある。アランも4歳で両親が離婚し、母親の再婚相手の義父と不仲であり、母親が妹だけをかわいがったため、アランは孤独な少年時代を送っている。アランはこの自分の経験からも息子のアントニーに強く生きてほしかったのかもしれない。しかし子供の立場からみればただの地獄の日々である。

そんな子供時代の影響か思春期に入るとアントニーはかなりの反抗期を迎えることになる。ドロンは児童裁判官の前で息子を絞め殺しそうになり、ナタリーが二人を引き離したこともあるという。18歳のときには車を盗んだり、武器を転売しようとして逮捕され1カ月間投獄された。しかし19歳の時、アントニーは起業する。フランスで一番若いCEOの誕生だ。だがそこでもまたアランともめることになる。ブランド名に「A. Delon」を使おうとしたからだ。アランもアントニーも、イニシャルにすると同じAになるのだが、アランにとってはそれは都合が悪く使うことを禁じた。この結果、訴訟などにも発展しブランドも存続できなくなり、二人の間に大きな亀裂を残したのだ。その後、アントニーは俳優としても活躍を始めるが、フランス映画界では父アランの存在が大きく、アントニーは才能ある俳優として認められずにこちらの世界でもさんざん苦労した。

しかしながら、こういった右往左往した人生を送りながらもアントニーは彼なりに父親を愛している。父親との抗争でつぶれたブランドも立て直した。2017年にアントニーはその名前に象徴的な年代を付け加え「Anthony Delon 1985」に変更。そしてレザージャケットなどに日本のことわざ「七転び八起き」を日本語でプリントした。文字通り、転んでは起きがってきた自身の人生の哲学をこのことわざで表現したのだろう。

AnthonyDelon1985 (@anthonydelon1985) • Instagram photos and videos

パリ・マッチでのインタビューでは、ストレートな言葉すぎてアランを激怒させたが、インタビューの内容を嘘をつけないまっすぐなアントニーの発言と受けとる理解者もいる。実際、彼の言葉からは彼は彼なりに父親の衰えを心配する様子が伝わってくる。しかし、それと同時にアントニーは、ドロンの名前を持つ長男でありながら家族の中でも最も弱い立場に追いやられていると感じているようにもみえる。

お互いを思いやりながらも分かり合えない親子。今回の一連の騒動は、崩壊した家族の中で自分の場所を求め続けるアントニー・ドロンの戦いなのかもしれない。そして、これら一連の騒動こそがアラン・ドロンが家族に積み上げてきた集大成なのかもしれない。

<参考リンク>

Merry Christmas #family #christmas #papa #dad @therealanthonydelon @loupdelon @liv_dln | Instagram

INVITÉ RTL – Alain Delon : “Hiromi Rollin est un dommage collatéral”, réagit l’avocat de l’ex-dame de compagnie de l’acteur (アラン・ドロン:「ヒロミ・ロランは巻き添え」、俳優の元同僚の弁護士が反論)

Anthony Delon : 40 ans de guerre larvée avec son père (アントニー・ドロン:父との40年にわたる戦争)

À 85 ans, Alain Delon a retrouvé l’amour avec Hiromi | TF1 INFO

(85歳、アラン・ドロンはヒロミと再び愛を見つけた)

L’interview d’Anthony Delon en intégralité (アントニー・ドロンのインタビュー全文)

Affaire Delon: Hiromi Rollin va porter plainte après les “accusations calomnieuses” des enfants de l’acteur(ドロン事件 ヒロミ・ロラン、俳優の子供たちによる“誹謗中傷”を受けて告訴へ)

https://www.youtube.com/watch?v=LGa7gHRVr4U(アントニー・ドロン インタビュー)

«Extrêmement choqué du déballage médiatique», Alain Delon va porter plainte contre son fils Anthony(“メディアの大失敗に非常にショックを受けている”、 アラン・ドロンが息子のアントニーを告訴へ)

Affaire Delon : Anthony Delon demande le placement de son père sous protection(ドロン事件:アントニー・ドロン、父親の保護を要請)

«Peut-être qu’Anthony souhaite réellement la mort de son père», confie l’avocat d’Alain Delon(「アントニーは本当に父親の死を望んでいるのかもしれない」とアラン・ドロンの弁護士)

Affaire Alain Delon : « Il n’a jamais caché ses rapports houleux avec Anthony », selon l’avocat de l’acteur – Le Parisien(アラン・ドロンの不倫騒動:「アントニーとの波乱に満ちた関係を隠したことはない」と俳優の弁護士 – Le Parisien)

Anthony Delon 1985 | agenceVanessaTouati | Agence de communication luxe(アントニー・ドロン1985 エージェンシー ヴァネッサ・トゥアティ)

Alain Delon et Anthony : cette vieille affaire qui a envenimé leur relation – Gala(アラン・ドロンとアントニー:2人の関係を悪化させた昔の浮気 – Gala)

トップ写真:ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀に参列するアントニー・ドロンと父アラン・ドロン(2021年9月10日フランス・パリ サン・ジェルマン・デ・プレ教会)出典:Laurent Viteur/Getty Images




この記事を書いた人
Ulalaライター・ブロガー

日本では大手メーカーでエンジニアとして勤務後、フランスに渡り、パリでWEB関係でプログラマー、システム管理者として勤務。現在は二人の子育ての傍ら、ブログの運営、著述家として活動中。ほとんど日本人がいない町で、フランス人社会にどっぷり入って生活している体験をふまえたフランスの生活、子育て、教育に関することを中心に書いてます。

Ulala

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