モルディブ、イスラエル市民の入国を禁止
中村悦二(フリージャーナリスト)
【まとめ】
・インド洋の高級リゾート国モルディブはイスラエル人の入国禁止を決めた。
・イスラエルのガザ空爆は、モルディブの非難や南アフリカのICJへの提訴のほか、米国のバイデン大統領も停戦を呼びかけている。
・途上国を敵に回すと困難が降りかかるのは歴史の教えるところ。
米CNNによると、インド洋の高級リゾート国モルディブはイスラエル人の入国禁止を決めた。モハメド・ムイズ大統領が閣議でこの禁止を決定した。このため、法的な手続きを進めるための関係閣僚会議を設け、パレスチナとイスラエル間の諍いに関するパレスチナ側の要請に取り組む特別担当官を任命した。同大統領は、ガザ南部ラファの避難民キャンプに対するイスラエルの空爆を非難していた。
イスラエルのガザ空爆を巡っては、南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)に提訴している。
■ インド洋の小国ながら地政学上で重要な位置
モルディブは、インドの南西にある島国。有人島は約200で、国土総面積は東京23区の半分弱の298平方km。標高が海抜1.8~2.0mと低く、海岸管理が難しいとされる。
インドでは、ナレンドラ・モディ首相が2019年6月にモルディブ訪問した際に締結したインド海軍とモルディブ国軍との水路調査協定が問題視されるなど、中国との友好にも意欲的とされるモルディブをけん制する動きもあるようだ。
■ モルディブの略史
外務省資料によると、モルディブの略史は以下の通りだ。
「約2000年前にスリランカと南インドからモルディブに移住した住民は仏教の影響下にあったが、1153年、イスラム教に改宗した。その後スルタン(イスラム国家の君主)が治めてきたが、16世紀にポルトガル、17世紀にオランダの支配下となった。1887年にイギリスの保護領となり、スリランカのコロンボにあった総督府から間接的に支配された。1965年7月26日に主権国家として独立し国連に加盟した。1968年にはスルタンによる世襲王制を廃止し、共和国となった。
初代大統領イブラヒム・ナシールに代わり、1978年11月11日、マウムーン・アブドゥル・ガユーム大統領が就任。以降6期30年の間にモルディブは観光立国として成長する一方、その独裁的体制に批判が高まり、2004年以降の民主化改革の結果、2008年に民主的な新憲法が制定された。同年の大統領選挙では、ガユーム大統領との決選投票を制したナシード・モルディブ民主党(MDP)会長が大統領に選出された。
2012年2月には、刑事裁判所裁判長の逮捕・拘束を発端とする与野党間対立の結果、ナシード大統領が辞任を表明し、憲法に従いワヒード副大統領が大統領に就任。大統領の任期満了に伴い、2013年11月に大統領選挙が実施され、アブドッラ・ヤーミン・アブドゥル・ガユーム大統領(モルディブ進歩党(PPM))が選出された。2014年3月に行われた議会選挙の結果、PPMが第1党となり、同党を中心に連立与党が成立した。
2018年9月、ヤーミン大統領の任期満了に伴う大統領選挙が実施され、野党統一候補のイブラヒム・モハメド・ソーリフ大統領(モルディブ民主党(MDP))が選出された。2019年4月に実施された議会選挙の結果、MDPが大勝した。
2023年9月、ソーリフ大統領の任期満了に伴う大統領選挙が実施され、PPMを始めとする野党連合のモハメド・ムイズ大統領(人民国民会議(PNC))が選出された」
■ 注目される今後の展開
イスラエルのガザ空爆を巡っては、モルディブの非難や南アフリカのICJへの提訴のほか、日ごろイスラエル寄りと見られている米国のバイデン大統領も停戦を呼びかけている。
途上国を敵に回すと困難が降りかかるのは歴史の教えるところ。今後、どのような展開になるのだろうか。注目されるところだ。
トップ写真:モルディブの首都マレの様子。2015年2月17日。出典:niromaks/ Getty Images
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この記事を書いた人
中村悦二フリージャーナリスト
1971年3月東京外国語大学ヒンディー語科卒。同年4月日刊工業新聞社入社。編集局国際部、政経部などを経て、ロサンゼルス支局長、シンガポール支局長。経済企画庁(現内閣府)、外務省を担当。国連・世界食糧計画(WFP)日本事務所広報アドバイザー、月刊誌「原子力eye」編集長、同「工業材料」編集長などを歴任。共著に『マイクロソフトの真実』、『マルチメディアが教育を変える-米国情報産業の狙うもの』(いずれも日刊工業新聞社刊)