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.社会  投稿日:2024/8/16

性別論争の陰に政治的暗闘あり 今から五輪が楽しみ その3 


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

 

【まとめ】

・「XY染色体を持つ女性が競技に参加して良いか」という議論が高まっている。

・XY染色体を持つケリフ選手とユーチン選手は、IBAとIOCの抗争に巻き込まれたとも見える。

・染色体の差異による不公平や危険が生まれないか、信頼できるデータを基に分かりやすい説明をしてほしい。

 

前回は柔道を取り上げたが、今回はボクシングの話題である。

本当はボクシングに限られた問題ではないのだが、たまたまメディアでもネットでも議論の的となっているので。

 女子66㎏の2回戦で、アルジェリアのイマネ・ケリフ選手とイタリアのアンジェラ・カリーニ選手がグローブを交えたのだが、カリーニ選手は、わずか46秒で棄権してしまった。

 パンチを受けた鼻の痛みに耐えかね、試合続行は生命の危険もあり得る、と判断したものらしい。

 これについて当初、著名なインフルエンサーを含む少なからぬが、

「元男(トランスジェンダーのことだろう)が女子に余裕勝ち」

などという投稿をして、世界中に拡散したようなのだが、これは事実ではない。

 悪意あるフェイクだったのか、単なる事実誤認なのか、おそらくはケース・バイ・ケースなのであろうが、大前提として、ケリフ選手は女性である。

 ただ、XY染色体を持っていることが判明しており、このことが「性別論争」を引き起こすこととなった。

 彼女の他にも、女子57㎏級に出場している台湾のリン・ユーチン選手が、同じくXY染色体を持っていることが判明している。

 この原稿を書いている11日までに、両選手はそれぞれの階級で金メダルを獲得したこともあり、XY染色体を持つ女性が女子の競技に参加してよいものかどうか、という議論は、まだ当分くすぶりそうな気配だ。

 人類に限らず一般的な哺乳動物では、雄(男性)はXY、雌(女性)はXXの染色体を持つのだが、稀にXY染色体を持つ女性が生まれる。性分化疾患と呼ばれ、厚生労働省の推計によれば、新生児4500人につき1人の割合で誕生しているとのこと。意外に多いように思えるが、ほとんどの場合、性器を含めた肉体的な特徴は女性そのものなので、不妊治療を受けて初めて判明したとか、要するに生涯その事実に気づかない人も少なくないらしい。性同一性障害とは、似て非なるものである。

 ただ、この2人の選手の場合、IBA(国際ボクシング協会)が主催した昨年の世界選手権に際し、出場資格を認められなかった。

 IBAクレムレフ会長(ロシア)は、前述の2選手の場合、男性ホルモンの一種であるテストステロン値がきわめて高いとして、2選手を「男性」と定義した。

 つまりは男性並みのパンチ力があり、そのような選手を女子の試合に出場させるわけには行かない、という論理であった。

 IBAに近い筋によると、テストステロン値が異様に高い女子選手というのは、筋肉を強化するステロイド剤を服用したのと同様の医学的効果が得られるので、ステロイド剤が禁止薬物である以上、こうした選手が出場資格を失うのは理の当然、ということになるらしい。

 しかしながら、IBAは詳細な検査データを公表していない上、学者や専門家の間からは、

「そもそもボクシングをやる女性はテストステロン値が高めである」

「XY染色体を持つ女性がそうでない(大多数の)女性よりも力が強いという説は、根拠に乏しい」

といった批判的な意見が聞かれる。

 それよりなにより、そもそも2人のXY染色体を持つ女性の選手は、IBAとIOCの抗争に巻き込まれたのではないか、と見る向きが、少なくとも日本のメディアにおいては優勢だ。

 IBAはその名の通り、アマチュア・ボクシングの国際統括団体として1946年に設立され、IOCもその地位を承認していた。

 ところが2017年以降、組織内での不透明な経理(これにより元会長が終身出入り禁止処分を受けている)や、世界大会開催地の選定をめぐる汚職疑惑、さらには八百長試合が行われたのでは、との疑惑が噴出。

ついには2019年、IOCはIBAに対して、資格停止処分を下したのである。

2020年東京五輪、2024年羽パリ五輪については、ボクシングを正式種目として残すことが併せて発表されたのだが、どうやらIBAの側が収まらなかったらしい。

と言うのは、ご案内の通り新型コロナ禍のせいで2021年に延期された東京五輪には、両選手はなんの問題もなく出場しているからだ。結果メダルには届かず、この時は二人の性別を問題視する声など、まったく聞かれなかった。

ところがその後、前述のようにIBAが主催した昨年の世界大会では、両選手とも「性別」を理由に出場資格を得られなかったわけだが、今次の五輪移載しては、IOCは、

「(両選手は)女性として生まれ育ち、パスポートにも女性と明記されている」

として、出場には問題なし、との判断を下したというわけだ。

 さらに、IBAの現会長はロシア人で、プーチン政権と非常に近く、ロシアによるウクライナ侵攻後、IOCが示したガイドラインを無視して、ロシアとベラルーシの選手が国旗を掲げて参加することを認めた。これにより米英など19カ国が大会をボイコットしている。

 以上を要するに、IBAの側が世界選手権からXY染色体を持つ選手を排除したのは、単にIOCに対する「当てつけ」だったのではないか、と見られても仕方のない面はあるだろう。

 アマチュア・ボクシング界では、このままでは2028年ロサンゼルス五輪では、ボクシングが種目から除外される恐れがあるとして、

「IBAを発展的に解消し、新たな統括組織を設立すべき」

との声も聞かれ、オランダなど複数の国の連盟は、すでに脱退の意向を示していると聞く。

 そうではあるのだけれど、私はやはり、ここは皆が一度頭を冷やして、議論の腑分けをきちんとしなければならない、と言いたい。

 以前この連載で、トランスジェンダーの選手が女子の競技に参加することに対して、私はあえて「規制やむなし」との論陣を張った。

 簡単に復習させていただくと、トランスジェンダーの人権はもちろん尊重されねばならないが、一方で、圧倒的多数であるところの、生まれながらに女性である選手たちからの不満の声に耳を傾けないというのでは、最大多数の最大幸福を求める民主主義の理念に反するのではないか、というのがひとつ。

 いまひとつは、どこかで歯止めを掛けておかないと、将来的に、五輪で勝ちたい一心で性別を詐称したり、性適合性手術を受けるような選手が出てくる懸念もなしとはしない、という理由であった。

 そもそも体重別で、かつ男女別に行われる競技である以上、

「差別と区別は違う」

ということを、皆があらためて理解しなければならない。

 これを延長して考えると、XY染色体を持つ選手と、XX染色体を持つ一般的な女性が同じリングの上で闘うことは、

「不公平かつ危険を伴うものではないと、本当に言い切れるのか」

という疑念について、専門家たちが信頼できるデータを出し合い、一般大衆にも分かりやすい議論をして欲しい。

 IOCとIBAの暗闘など、純粋にスポーツの祭典を楽しみたいと考えている我ら一般人には、どうでもよい話なので、ボクシングに限らずスポーツ界全体のために、本質的かつ建設的な議論に、今すぐにでも取り組んでもらいたい。

トップ写真:女子ボクシング66kg級で優勝したアルジェリアのイマネ・ケリフ選手(2024年8月9日、フランス・パリ)

出典:Photo by Andy Cheung/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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