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.社会  投稿日:2021/5/14

開催反対論に「乗る」気はないが(上)「コロナ敗戦」もはや不可避か その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・五輪中止・延期・規模縮小いずれでも経済的損失生じ、国民がツケ払うことに。

・今の状況は多くの戦死者と国土焼野原を招く前夜の1941年と似ている。

・東京五輪中止でも、失うのは、期待された経済効果がなくなる程度の話。

 

東京オリンピック・パラリンピック(以下、五輪)は果たして開催できるのか、雲行きがますます怪しくなってきた。

この原稿を書いている5月12日の段階で、IOC(国際オリンピック委員会)と日本政府は

五輪は安全に開催できる

と繰り返すのみだが、国民の多くはもはやこの言を信じてなどいない。ワクチンがなかなか行き渡らないのに、世界中から人を集めるなど、こんな無茶な話もないだろう。どの世論調査を見ても、圧倒的多数が「中止もしくは再度の延期」を求めている。

ここはちょっと確認しておく必要があると思うが、中止する権限はIOCにしかなく、日本側、具体的には大会組織委員会・政府及び東京都だが、開催は無理だと判断した場合でも、できるのは「開催権の返上」のみである。

一部のメディアでは、世論の動向にはとにかく敏感な小池百合子・東京都知事が、土壇場で「ちゃぶ台返し」をするのではないか、との観測も流されたが、このくらいの知識がない都知事でもあるまい。もし当人が知らなかったとしても、スタッフがご注進に及べば同じことだ。

野党議員や一部地方自治体の首長が「中止の可能性に言及」といった報道もよく見かけるが、マスメディアはもう少し正しい用語法の普及に努めるべきではないか。

とは言え、日本側が開催権を返上してしまえば、今年7月の開催は不可能となるので、政府と東京都にその覚悟さえあれば、中止という選択肢が生まれることに変わりはない。

私はこれまで、東京五輪はなんとか開催して欲しいものだ、との考えを包み隠さず述べてきた。理由は簡単で、五輪出場を夢見てきたアスリートたちの努力と熱意を思えば、この段階での中止は酷に過ぎるとしか言いようがなかったからだ。

タイトルに掲げたように、今も開催反対論に安易に「乗る」気にはなれないが、それは主として以下のふたつの理由によるものだ。

まず第一に、民主主義の根底にあるのは多数決の原理ではあるが、同時に、ジャーナリズムで働く者として、世論がある方向にわっと動いた時の怖さというものにも敏感でなければならない。

第二に、開催中止を求める人たちの表現方法に、いささか問題がある。

まずは第二の問題から見て行くと、五輪の開催中止を求める人たちが、水泳の池江璃花子選手に対して、Instagramへのダイレクトメッセージなどで「辞退して」「反対に声を上げて」という声を寄せた。

▲写真 池江璃花子選手 出典:Lintao Zhang/Getty Images

よく知られるように彼女は白血病という難病の治療を経て、五輪代表に復帰した選手である。辞退してくれなどと、一番言ってはならない相手ではあるまいか。

もっとも当人は、

「今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています」

とした上で、

「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません」

と返信している。まだ20歳の女性がちゃんと大人の対応をしているのに、部外者のオッサンの方がブチキレそうになってどうする、などと反省させられた次第だ。

丸川珠代・五輪担当大臣もこの件に言及し、

「匿名で個人に言葉の暴力をぶつけるのは、いかなる理由があっても許されない」

と語った。この発言自体はいたって正当なものなので。かつて国会で、質問中の野党議員に「愚か者め」などとヤジを飛ばしたのは、まあ匿名ではなかったですからね、などと嫌味を述べてはなりませぬ笑。

このように、当のアスリートからでさえ、政府による安全対策を全面的に信頼して開催すべきだ、という声は聞こえてこないのが偽らざる現状なのだ。

▲写真 丸川珠代氏(現・五輪担当相)と森喜朗氏(前・組織委会長)(2016年) 出典:Koki Nagahama/Getty Images

次に第一の問題。これもまあ表現の問題という要素はあるが、

「五輪など中止して浮いたお金を生活困窮者に回せ」

との論理でもって、開催反対に声を挙げた人が多い。それができるのなら、私などもとっくの昔に開催反対を主張していた。

「中止すれば、今まで投資した分が無駄になる」

などという、森喜朗前大会組織委員会会長の論旨にはまったく賛同できないが、五輪にはそれなりの経済効果を期待することができ、逆に言うと中止・延期・規模縮小いずれの場合も経済的損失が生じることは避けられない。実際、関西大学の宮本勝治教授の試算によれば、

※規模縮小=各会場の入場者数を定員の50%に制限した場合:1兆3,898億円

※無観客開催の場合:2兆4,133億円

※中止した場合:4兆5,151億円

……これだけの経済的損失が見込まれるという(関西大学のプレスリリースなどによる)。

細かい数字については異論も出ているようだが、少なくとも中止によって「お金は浮かない」どころか、最終的には国民がツケを払わなければならないのだ。

その一方で、開催に反対する声を一蹴するような発言も聞かれる。

これについては次回もう少し詳しく見ることとするが、どうも今の日本が置かれている状況は、今をさかのぼること80年、1941(昭和16)年とよく似ているのではないか。戦史を少しは勉強してきた私には、そう思えて仕方がない。

所詮勝ち目のない米国との戦争を決意するに至ったのは、日中戦争が泥沼化する中、米国からの経済封鎖(石油の禁輸など)によって追い詰められた末のことであった。

米国が要求してきた中国大陸からの撤兵について、

「ここで撤兵などしたら、今までの犠牲はなんだったのか」

というのが陸軍参謀本部の言い分だったが、これのどこが愚かであったかについては、森喜朗氏の発言とまったく二重写しになっていることを指摘すれば充分ではあるまいか。

しかも、軍人にせよ当時のジャーナリストにせよ、本心では勝ち目がないことを(程度の差こそあれ)理解できていたのに、無敵皇軍=日本軍は世界一強いのだという思い込みだけに頼って、国民の戦意を煽った。

結果はご承知の通り、国土を焼け野原にされて無条件降伏に追い込まれたわけだが、ならばやめておけばよかったのに、で済まされるほど単純な話でもない。

ただ、こういうことは言える。

戦争を決断した結果、失われたのは戦死者だけで320万人に達する人的被害と、前述のように国土が焼け野原となるほどの経済的ダメージであった。

その点、東京五輪がたとえ中止になったとしても、国民が失うのは、期待された経済効果がなくなるといった程度の話なのである。

今月はこの視点にこだわって議論を進めたい。

(続く)

トップ写真:感染対策が徹底される中行われた聖火リレー出発式(2021年3月25日 福島県楢葉町Jビレッジ) 出典:Kim Kyung-Hoon – Pool/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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