開催反対論に「乗る」気はないが(下)「コロナ敗戦」もはや不可避か その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・コロナ禍収束の見通し立たない中、アスリートから五輪開催に疑問の声。
・大阪の感染状況を換算すれば、イタリアやインドよりも厳しい状況。
・橋下徹、髙橋洋一両氏の主張の問題点。数字は「普通に嘘をつく」。
前回、白血病を克服して水泳の五輪日本代表に復帰した池江瑠花子選手に対して、代表を辞退するよう求める声がネットで上がったこと、そして当人は、五輪に反対する声に理解を示しつつも「私には何も変えられません」と、大人の対応をした事に触れた。
彼女だけではなく、新型コロナ禍収束の見通しが立たない中での五輪開催に疑問を呈するアスリートは他にもいる。
陸上の女子1万メートル日本記録保持者で、やはり日本代表に選出されている新谷仁美選手は、
「命より大事なものはない。人としては今年の五輪開催に反対だが、アスリートとしては答えが分からない。結構悩んでいる」
と率直に胸の内を語ったし、テニスの錦織圭選手も、
「アスリートのことだけ考えればやれたほうがいい」と前置きした上で、
「(新型コロナ禍で)死者がこれだけ出ているということを考えれば、死人が出てまで行われることではないと思う」
と明確に述べた。
▲写真 新谷仁美選手(2020年12月4日 大阪市) 出典:Atsushi Tomura/Getty Images
今回問題にしたいのは、とりわけ後者の「錦織発言」に対して(彼の方が有名だからであろうか?)、政界やスポーツ界の一部に反論を試みる人がいることである。
たとえば元大阪府知事の橋下徹氏など、自身がコメンテーターをつとめる番組で、
「錦織さんも日本換算にして今、2万人の感染者がいるイタリアで普通にテニスをして、普通に生活してるんですよ」
「感染者が出ないところでオリンピックをやるべきだと言うけど、じゃあイタリアはどうなの?って」
と続けた。番組での発言は私の記憶だけだったので、あらためてヤフーニュースの記事から引用させていただいたことを明記しておく。
▲写真 橋下徹氏 出典:Buddhika Weerasinghe/Getty Images
いずれにせよ、これは典型的なブーメランだろう。他人に投げつけた言葉が自分の身に帰ってくることをこう表現するのだが、そもそも錦織氏は
「イタリアでのテニス大会は100人規模。1万人以上が選手村で過ごす五輪はリスクもまるで違う」
という文脈で、前述の発言をしたのである。日本に換算して、というのはどういうことかと言うと、イタリアの実際の感染者数は1万人をわずかながら下回っているが(「NHKの特設サイトなどによる)、かの国の総人口は日本の半分くらいなので、日本なら2万人相当する、となるのだろう。
さらに、橋下氏はこうのたまった。
「この(日本の)感染者数を軽く扱ってはいけないんだけど、もっと耐えられる国にならなきゃいけないし、もっと耐えられるんじゃないかって」
戦時中の「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを想起したのは私だけであろうか。まあ、今となっては忘れ去られた言葉で、それはそれで悪いことではないが。
橋下氏は、イタリアの感染者数が日本に換算すれば2万人、と繰り返していたが、大阪府だけですでに92,021人の感染者が出ている(12日現在)という事実はなんと見るのか。「橋下論法」にしたがえば、イタリアの総人口が日本の半分くらいであることを勘案しても、大阪だけでイタリアの倍以上の感染者数ということになるのではないか。
ワクチン接種率、回復率、致死率を無視して、比較が成り立つのだろうか。
さらに深刻な問題は致死率である。すでに大きく報道されたことだが、札幌医科大学の研究チームが公開したデータによると、大阪府において本年4月最初の7日間で生じたコロナ関連死は、人口100万人当たり22.6人に達し、インドの16.5人をも上回っている。全国平均は4.1人だから、日本最悪の数値であることは言うまでもない。
関連死というのは少々分かりにくい表現かも知れないが、要はPCR検査が陽性であったなら死因はコロナであると定義される、という話なのだ。
ともあれ大阪でコロナ関連死が非常に多い、その主たる原因は医療の逼迫だが、なぜそうなったのかを突き詰めてゆくと、かつて橋下氏が知事を務めていた当時、それまでの「府市合わせ」と称された二重行政の無駄をなくすとして、保健所や医療機関まで「府立と市立が両方あるのは無駄」としてリストラを強行したことも無視することはできない。
実は昨年、大阪に置ける検査事情がなかなか改善されない問題が報じられた際、橋下氏自身が、知事時代の判断ミスだと率直に認め、
「吉村知事には迷惑をかけた」
と自己批判したことがある。この時点では私も、率直な反省の弁は多としたいと考えたので、
「謝る相手が違うのではないか、とは思うが」
と軽く釘を刺すにとどめておいたのだが、今次の発言を聞くと、本当に真摯に反省したのかどうか、疑わしくなってくる。
これまた、すでに大きく報道されたことではあるが、内閣官房参与で経済学者の高橋洋一氏が9日、自身のツイッターで各国の新型コロナ感染者数の推移を示すグラフを掲げ、
「日本はこの程度の<さざ波>。これで五輪中止とかいうと笑笑」
などと発信し、これが大炎上した。
▲画像 炎上した髙橋洋一氏のツイッター 出典:高橋洋一(嘉悦大)twitter
別に高橋氏を擁護する気はないが、ネットでよく見かける「これで内閣参与とか笑笑」といった表現は、感情的に過ぎると思う。
私が高橋氏に問いたいのは、どうして今年のグラフしか示さないのか、ということだ。
今さら言うまでもないことだが、本来ならばTOKYO2020と称して昨年開催されるはずであった。しかしながら、ご案内の通りの事情で1年延期となった。
延期の決定が下された2020年3月のグラフを見れば、今よりもずっと「さざ波」であったではないか。麻生財務大臣が、我が国は民度が高いから感染者数が少ない、などと太平楽を並べたのは未だ記憶に新しいところである。
幾度も言うようだが、私はアスリートや関係者の努力を無にするのは忍びないので、東京五輪はできることなら開催して欲しいと考えている。
そうではあるのだけれど、当のアスリートたちから「命より大事なものはない」と言われては言葉を失う。
ここで開催権を返上などすれば、また別のリスクがあることも事実だが、これについては次回もう少し詳しく見よう。
今回は最後に、橋下氏や高橋氏の発言のどこがよくないかを、あらためて見たい。
二人ともまず、五輪を開催しても感染が拡大する可能性はきわめて小さいし、たとえリスクがあっても、それは耐えるべきことだ、という結論ありきで、その結論を導き出すのに都合の良いデータを切り取って提示した。
数字は嘘をつかない、というのは昔からよく言われることなのだが、データを扱う人の心がけ次第では、普通に嘘をつくということではないだろうか。
(続く。その1)
トップ写真:錦織圭選手(2021年4月21日 スペイン・バルセロナ) 出典:Quality Sport Images/Getty Images
【追記】2021年5月16日、以下一文追記いたしました
ワクチン接種率、回復率、致死率を無視して、比較が成り立つのだろうか。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。