政治利用はこれを最後に!今から次の五輪が楽しみ 最終回
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・パリ五輪では、SDGsを掲げた選手村の設計や食事が批判され、エアコンの未設置や水質問題がアスリートに影響を与えた。
・理念の過度な追求が選手の健康や快適さを損なう結果となった。
・次回の五輪では「選手ファースト」の理念が望まれる。
今次のパリ五輪では、判定や運営をめぐる炎上騒ぎが相次いだが、場外乱闘とでも言うべきか、わが国では「フワちゃん騒動」というのもあった。
今年の『24時間TV』でチャリーティー・マラソンのランナーを務めることになっている、やす子という芸人さん(ちなみに即応予備自衛官)が、
「オリンピック 生きてるだけで偉いので皆優勝でーす」
と投稿した。これに対してタレント兼YouTubeのフワちゃんが上記の投稿を引用して、
「お前は偉くないから予選敗退」「早く死んでくださーい」
などとサイトで暴言を吐き、大炎上した。すでに投稿は削除され、当人に直接謝罪したらしいが、芸能活動休止の沙汰となっている。
もともと「タメ口キャラ」で売っていた人で、メディアを通じてしか言動を知らないながら、どうも「個性的」と「非常識」の区別がついていないのではないか、といった程度にしか思っていなかった。したがって炎上騒動自体は、今さらどうでもよい。
むしろ気になったのは、やす子がパリ五輪に出場したアスリートたちを指して、
「生きてるだけで偉い」
と評した理由である。機会があれば当人に訊ねてみたいところだが、やはり酷暑の中での競技とか、セーヌ川の水質汚染報道などを念頭に置いての発信なのか。
本連載でも数次にわたって指摘してきたことだが、今や五輪は巨額の放映権料が発生するイベントと化しており、他に大きなスポーツ・イベントがない(したがって放映権料を高く売れる)盛夏の時期に開催されるのが慣例のようになっている。
それは東京五輪も同じであったが、今次のパリ五輪の場合、
「SDGs(持続可能な開発目標)を実践する大会にする」
と標榜し、色々と「斬新な」ことをやってくれた。
たとえば、選手村も既存の建物を利用し、大会終了後はオフィスやアパートにするとしていたのだが、地球環境に優しくないとして、部屋にエアコンが設置されていなかった。
パリ市は北緯48度。北海道の稚内よりもやや北に位置していて湿度も低く、夏でも比較的過ごしやすいとされてきた。実際問題として、エアコンを備えている住宅などさほど多くなかったと聞く。
しかしながら、21世紀の今、我々は地球規模で温暖化の問題と直面している。パリも昨年、猛暑に見舞われ、最高気温41度を記録した。この結果、6~9月に熱中症もしくはその疑いのあるとする、救急車の出動要請が2万件以上あり、猛暑が原因で亡くなったと推計される人は5167人。うち75%を75歳以上の高齢者が占めていた。
この事態を受けて、選手村の内部が各国のメディアに公開されるや、
「エアコンなしとは。どういうことか」
と非難囂々。だが、パリ市長は強気であった。エアコンはなくとも、床下に備えたパイプに冷水を通すことにより、室温を6度下げることができる。これならば快適で電気代も安いのだ、と。
読者ご賢察の通り、これがまたまた炎上した。代表的な意見をひとつ紹介すると、
「40度を超す猛暑に見舞われたら、室温が6度下がったとて35度くらいではないか。どこが快適なのだ」
というもの。正論と言うも愚かな、小学生でも分かりそうな話だ。ちなみに、アスリートが快適に過ごせる室温とは23~26度だとされている。おまけに、競技会場と選手村とを結ぶシャトルバスにもエアコンがなかった。
最終的には、多くの国の選手団が自腹でエアコンを設置する羽目になり、一時期パリでは在庫薄になったとか。さらには、多数のエアコンを調達・設置する費用は、決して安いものではなく、豊かではない国々からは大いなる不満の声が聞かれた。
さらに、食事もひどかった。
フランスと言えば「美食の国」だが、選手村や競技場の食堂では、牛肉を一再使わない、と決められていたのである。
いわゆる温室効果ガスの、およそ14.5%は家畜が排出している、という理由だが、これまたネットに書き込まれた代表的な声を紹介すると、
「そんなことを言うなら、五輪など中止すれば一番エコなのではないか」
というもの。「激しく同意します!」と言いたくなるのは、私だけであろうか。
これまた各国選手団から大ブーイングが起きた結果、鶏卵700㎏と肉1トンを急遽買い付け、メニューに追加されたらしいが、本当になにを考えていたのだろうか。
全ては「SDGs五輪」という理念に基づくものだが、提唱者であり牽引役でもあったパリ市長は、その名をアンヌ・イダルゴという。
1959年、スペインのアンダルシア地方生まれ。父親が労働組合運動の活動家で、1962年に当時のフランコ政権に反発し、フランスのリヨンに移住した。両親は後にスペインに帰国したが、3歳にもならない時からフランスで育った次女アンヌは、14歳の時にフランス国籍を取得し、リヨン大学を卒業後、労働監督官を経て30歳で社会党に入党している。
2014年、パリ市長選挙に立候補し、保守派が推す女性候補を決選投票の末に破り、女性として初めて市長の座に就いた。
経歴だけで人となりまで決めつけるのはよろしくないが、基本的に「親の代からの左翼」で、単に環境問題に関心が深いというあたりを越えて、いささかエキセントリックな政策理念の持ち主であることは、どうやら間違いなさそうだ。
五輪開幕を間近に控えた7月19日、彼女はセーヌ川で泳いだ。本当はマクロン大統領も泳ぐ予定であったと聞く。
もともとこの川は、水が汚いことで有名で、基準値をはるかに越える大腸菌が生息しているとして、実に1世紀の長きにわたって遊泳禁止となっていた。
その川で市長自ら泳いで見せたのは、やはりSPGsの理念のためで、川の水を浄化し、飲料水を確保したり、かつては名産だったセーヌ川のナマズを呼び戻す、というプロジェクトをアピールするためであったという。
実際そのプロジェクトには14億ユーロ(約2400億円)という巨額の公的資金が投じられた。市民は物価高に苦しんでいるのに、という批判の声も少なくなかったが、市長のパフォーマンスは、そうした声に対する「反論」でもあったようだ。
それだけにとどまらず、五輪の開会式では各国の選手団が船でセーヌ川を下ってくる、という、一風変わった演出で入場行進が行われ、さらにはトライアスロン(水泳1500m、自転車40㎞、持久走10㎞)の水泳会場にセーヌ川が選ばれた。
水が完全に浄化された後ならば、なにも問題はなかっただろうが、実際にはそうではなく、水質との因果関係について詳細までは不明ながら、複数の選手が体調不良を訴える始末で、これまた各国から非難囂々であったことは記憶に新しい。
セーヌ川の水質浄化プロジェクトも、さらに言えば「SDGs五輪」という理念も、決して間違ったものではなかっただろうと私は考える。
しかしながら、未完のプロジェクトの宣伝や、度の過ぎた理念へのこだわりのために、選手たちの健康までもないがしろにするなどとは、一体誰が認められるだろうか。
次こそは「選手ファースト」の理念に基づいた五輪を開催してほしいものだ。
トップ写真: トーマス・バッハIOC会長がフランス・パリで開催される2024年パリオリンピックの開幕を前に、オリンピック村を視察しながらサラダバーの料理を試食する様子(2024年7月22日)出典:Photo by David Goldman – Pool/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。