軍国教育と靖国思想(上)「開戦の記憶」も語り継ごう その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・朝ドラの『カムカムエブリバディ』が再び話題になっている。
・時流に翻弄されながら、安子は英語の勉強を続け、彼女の子供にもそれは受け継がれていった
・ドラマを通して、戦争による影響が描写されており、示唆深い内容である。
NHK朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)は、よくも悪くも話題になることが多い。近年「令和の最高傑作」と称されているのは『カムカムエヴリバディ』(2021年下半期)だ。最近では再放送が始まって、またまた話題を呼んでいる。私は見逃し配信ですでに全部見ているが、たしかにとても面白かった。
ラジオの英語放送が、いわば物語の縦糸となって、岡山・大阪・京都を舞台に、母娘3代にわたる100年間の物語。日本でラジオ放送が始まった1925(大正14)年に、岡山市の和菓子屋「たちばな」の娘として生まれた橘安子が第一部のヒロイン。上白石萌音が演じた。実家が和菓子屋であることから、名前を「あんこ」と呼ばれたりするが、気立てのよい娘に育ち、やがて地元の名家の長男・雉閒稔と恋仲になる。彼の勧めでラジオの英語放送を聴くようにもなった。家柄の違いなど、二人の結婚には障壁もあったが、最終的には結ばれる。
ただ、大正末期に生まれた二人の青春時代は昭和初期。日本が軍国主義に傾斜し、やがて日米戦争に突入。大阪の大学に通っていた稔であったが、大学生の徴兵猶予が廃止されたことに伴い出征。安子との新婚生活は1ヶ月ほどに過ぎなかった。
翌年、彼女は女児を出産するが、稔は出生前に妻が妊娠したことだけを知っており、「男でも女でも、世界に通用する名前」を書き残していった。出産直後にその手紙を開封すると「命名・るい」とある。
実は二人が初めてデートしたのは、当時の地方都市では珍しかったであろうジャズ喫茶。稔はルイ・アームストロングが唄う〈On the Sunny side of the street〉が大好きだった。邦題は『明るい表通りで』とされることが多いが、彼は「ひなたの道(を歩こう)」と訳す。その話を聞いた安子もこの歌が大好きになり、さらに英語の勉強に熱が入る。
とは言え、戦時下のこと。英語は「敵性語」とされて、日米開戦と時を同じくして、ラジオの英語放送も中止となる。
稔には勇という弟がいて、安子にとっては幼なじみ。彼女の名前を毎度「あんこ」と呼んでからかう悪童であったが、やがて彼女に想いを寄せるようになった。彼は旧制中学の野球部で、強打の内野手として鳴らし、毎年夏に甲子園球場で開かれていた全国中学野球大会(言うまでもなく、後の高校野球)出場を夢見ていた。しかしその「甲子園」も、時局に合わないとして中止の沙汰となる。東京の大学に新家久下が、大学野球も中止となったため、悄然と故郷に戻ってきた。そして彼も出征。
安子には算太という兄がいたのだが、彼はチャップリンの映画を見てダンサーになることを夢見るようになり、ついには家出。大阪で放蕩の限りを尽くして借金を背負っていたことまで発覚するのだが、そのような彼も召集令状が届いたことを知るや、岡山に舞い戻って出征した。この当時は、成人男性が兵役に服するのは国民の義務であることを疑う者などいなかった。もちろん、逃げ出したりすれば重い刑罰が待ち受けている。さらに、ドラマには出てこないが、学校教育を通じて、天皇のために死ぬことは美徳だという価値観をすりこむために「教育勅語」を暗唱させていた。
数年前、ある私立校で幼児に「教育勅語」を暗唱させているとして話題になった。時の首相夫人がその光景を見て感激したとも伝えられた。その後、学校の敷地取得に違法性があったとか、色々と問題が出てきて、教育勅語の話などは後景化してしまったが、つくづくしょうもない学校であり、しょうもない首相夫妻であったと思える。このような教育が、戦争犠牲者を「英霊」として神格化する思想にも結びつき、果ては核武装した軍隊を竹槍で迎え撃とう、などと考える「総力戦体制」の思想的背景にもなった。
ここでもまた、新聞やラジオが果たした役割を見逃すわけには行かない。前回『昭和16年夏の敗戦』という本を紹介させていただいたが、御用とお急ぎでなければ『朝日新聞の戦争責任』(安田将三・石橋孝太郎 著 太田出版)という本も読んでみてはいかがだろうか。拙著『〈戦争〉に強くなる本』(ちくま文庫。電子版アドレナライズ)でもオススメ本として取り上げたが、銀座のネオンから英語を追放しようという「アメリカ臭」追放のキャンペーンまでやっている。
そのような世相に、抵抗を感じていた若者も、少なからずいた。たとえばドラマの中で稔は、出征を前にして、妻の安子に、「僕たちの子供は、どこの国とも自由に行き来できる、どこの国の音楽でも自由に聴ける、自由に戦争できる、そんな世の中で生きて欲しいな」と語る。出征後、安子は地元の神社に参拝し、手を合わせるどころか地面にひれ伏して、「稔さん、どうか無事に帰ってきて」と祈る。
しかし、その祈りも虚しく、敗戦から程なく、稔が戦死したとの報せが届いた。その前に、岡山も空襲を受けて、安子の実家があった商店街は灰燼に帰し、母親と祖母までも失っていたのであった。
弟の勇は復員して、雉閒家の人間関係がもつれるのだが、そのようなことを伝えるのが本連載の目的ではない。以下、ネタバレに注意しつつ概略のみ紹介させていただく。
まず、ラジオの英語番組は敗戦後ほどなく復活したが、安子の義母は、「稔を殺した国の言葉なぞ聞きとうない」と言ってスイッチを切ってしまったりする。戦争が、いかに多くの人から多くのものを奪ったか、あらためて考えさせられた。その後、安子は岡山を離れ、大阪で手作りの菓子を売って細々と生計を立てていたが、ある日交通事故に遭ってしまう。彼女は左腕を骨折し、巻き込まれたるいの額には、大きな傷が残った。さらに、安子の兄も復員してきて、またまた物語が錯綜するのだが、最終的にるいは、なんと安子に親子関係の断絶を言い渡す。進駐軍の中尉と恋仲になって自分を捨てた、と思い込んでしまったのだ。
るいもラジオの英語放送を聴いていたのだが、そこで覚えた英語で、「I hate you(大っ嫌い)」と言って、玄関を閉めてしまう。言われた安子(=上白石萌音)の、凍りついた表情は日本の演劇史上に残る名演技だと思った。そして物語は、成長したるい(深津絵里)、やがて誕生する孫娘のひなた(川栄李奈)へと受け継がれて行くのだが、娘の代になっても戦争の記憶が消え去ることはない。
次回は、その話を縦糸に、いわゆる靖国思想について見て行きたい。
トップ写真)靖国神社
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。