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.社会  投稿日:2024/12/24

軍国教育と靖国思想(下) 「開戦の記憶」も語り継ごう 最終回  


林信吾(作家・ジャーナリスト)

 林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・朝ドラの『カムカムエブリバディ』で演じる女優の演技は感激に値する。

・終戦の時点で天皇の人間宣言とともに、靖国思想は捨てるべきだった。

・靖国神社の位置付けを歴史的に再考し、靖国神社参拝を愛国心の表明だと勘違いしてはならない。

 前回に続いて、NHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の話から始めさせていただきたい。

 第二部は、母に去られ、岡山の雉閒家に引き取られて成長したるいが、祖父の葬儀を終えた後、これからは一人で生きて行く、と宣言して大阪に出るところから。ヒロインは深津絵里。額の傷を前髪で隠していたのだが、そのせいでホテルへの就職に失敗してしまい、たまたま知り合ったクリーニング店の住み込み従業員となる。そして、ジャズ・トランペッターのジョーこと大月錠一郎と恋仲になるが、ジョーは奇病でトランペットを吹けなくなってしまう。ちなみに彼女は、名前の由来から「サッチモ(ちゃん)」と呼ばれていた。ルイ・アームストロングの通称である。ただ、前回も述べたように、母親に捨てられたと思い込んでいる彼女は、自分の過去を語りたがらない。

 我々の世代にとって深津絵里は、織田裕二主演のドラマ『踊る大捜査線』で演じた女性刑事の印象が強いのだが、心に闇を抱えて、それでも前向きに生きるという役をやらせると、この人は本当にうまい。ともあれ二人は京都に移り住んで、回転焼の店を始めるが、東京者の私は、そうした食べ物があるということ自体、ドラマを見て初めて知った。幼い頃、るいは母・安子が小豆からあんこを作るのを手伝っており、舌の肥えた京都の人たちにも認められる菓子を作れたのである。ただ、夫の丈一郎はなにをやらせても駄目で、必死で店を切り盛りしても、生活はなかなか楽にならなかった。

 やがて二人は女の子を授かり、前回も述べたサッチモの歌から「ひなた」と名づけた。彼女が第三部のヒロインで、演じたのは川栄李奈。元AKBだが、メンバーだった当時は、バラエティの学力テストで珍回答(ナポレオンと答えるべきところをナポリタンとか笑)を連発し、グループきってのなんとかキャラであったのだが、そんな彼女が、グループ出身者として最初の朝ドラ女優となった。以前に、民放のドラマに出演したのを見て、結構やるじゃないか、と思わされた記憶があるのだが、ドラマ自体は箸にも棒にもかからない出来であったので、早々に「離脱」してしまい、つまりよく見たわけではなかった。

 今次は、本当に驚かされた。存在感はあるし笑いも取れるし、英語の長台詞まで堂に入ったもので、なんとかをメッキした英才だったのか、はたまた天才となんとかは紙一重という逸材だったのか、よく分からないが、素晴らしい。そして1995(昭和61)年夏。終戦から50年目のお盆に、るいは一家で帰省する。実はこの前年、長らく消息不明だった伯父(安子の兄)の算太が、ふらりと京都の店に現れたが、不治の病に冒されていた彼は、ほどなく他界してしまっていたのだ。30年ぶりに戻った彼女は、納骨を済ませ、夫婦して地元の神社にお参りをする。

 と、いつの間にか隣に人影。なんと、旧海軍の2種軍装(戦争映画でよく見る白い服)に身を包んだ青年が立っていた。るいは、

「お父さん……お父さん、ですか?」

と話しかける。青年は直接その問いには答えず、まずは独白。

「どんな国とも自由に行き来できる。どんな国の音楽も自由に聴ける。自由に演奏できる」

そこではじめて娘の方へ向き直り、

「そんな世界に、お前は生きているんだよ」

と語りかけて、消えてしまう。

これが本当のところだろうな、などと思った。

父・稔の戦死の状況はつまびらかにされていないが、戦友たちと

「死んだら靖国神社で会おう」

などと言い交わして戦地へと赴いたのだろう。当時は、他の選択肢はなかったのだ。

たしかに、まだ幼い娘に宛てて、

「お父さんに会いたくなったら靖国神社にいらっしゃい」

という遺書を残した特攻隊員がいたことも事実である。

 ただ、当時は遺書までも検閲されていた、ということもまた事実で、断片的な事実だけをもって、特攻隊員は皆、国を護るために自己犠牲の精神で命を散らせた、などと賛美するのは、非常に危険なことだと、私は考える。

 同じ理由で、世に言う「英霊」が本当に還りたかったのは、靖国神社ではなく残してきた家族のもとであったのだろうと、私は考える。そもそも論から言うならば、戦死者は英霊として靖国神社祀られる、という思想は、天皇を現人神とする思想と表裏一体のものであった。これは『反戦軍事学』(朝日新書・電子版も配信中)の中で、明確に述べたこともあるが、昭和天皇が世に言う人間宣言をなした時点(1946年1月1日)で、靖国思想も清算されるべきであったのだ。このように述べると、必ずと言ってよいほど、英霊に感謝の念を捧げてなにが悪い、といった反論を受ける。それが悪いなどと言った覚えはない。どうして靖国神社でなければならないのか、と疑問を呈しているだけである。

 もう一度そもそも論を言えば、靖国神社が英霊を祀るのは、鎮魂のためではなく顕彰のためなのだということをご存じか。以前、自分が首相になったら靖国神社に公式参拝する、との公約を掲げた女性議員を、私が正面切って批判したのは、A級戦犯が合祀されているから、という表面的な理由ではなく、敗戦とともに清算されるべきであった靖国思想を未だに信奉する愚を犯して、しかもそれを愛国心とはき違えているからである。

 私の親族にも戦争未亡人がいるのだが、本当に「国のための自己犠牲」と呼ぶに値するのは、苦心惨憺して戦後を生き延びた人たちではないのか。もう一度言わせていただくが、英霊に感謝の念を捧げるのはよい。しかし「顕彰」する相手を間違えると、いつかあの戦争の愚を繰り返すことにもなりかねないのだ。

写真)ライトアップされる靖国神社

出典)Peter Austin/Getty Images

 




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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