観光と買い物と外国語 正しい(?)休暇の過ごし方 その3
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・どこでも英語が通じるため、英語が母国語の国民は外国語の習得にあまり熱心でない。
・日本人は英語を話せないことにコンプレックスを抱いている人が多い。
・外国語が下手だからと言って恥じることはなく、挨拶やお礼の言葉が分かれば十分。
こんなジョークがある。
「2カ国語を話せるのはバイリンガル。3カ国語できるのはトリリンガル。では、1カ国語しか話せないのは?」
正解は「アメリカン」なのだとか。
あながち笑い事ではない。正解は「アングロサクソン」でもよいのだが、要するに英語国民は、どこの国へ行っても、ある程度は英語が通じることから、外国語の習得にあまり熱心でない人が多いことは否めないと思う。
数年前、たまたまJR両国駅の近くを歩いていたら、いきなりガイジンから
「あの緑の屋根、なあに?」
みたいにフレンドリーに話しかけられたことがある。Speak English?と前置きの質問もせずに。ちなみにネイティブの場合、Do you……?で質問を始めることは、あまりない。
「あれはKOKUGIKAN(国技館)。ナショナル・スモウ・スタジアムだよ」
と英語で答えたところ、見学できるのか、と質問を重ねてくる。
「たしか相撲博物館というのがあったけど、もう5時過ぎだから、開いてるかどうか分からないな。行くだけ行ってみれば?」
こう教えてやったところ、急にGood English!などと言われた。ほめられたので、普通にサンキューと答えておいたが、どう考えても逆だろう。礼を言うべきは相手のはず。
どうやら彼らの世界観では、英語を上手に話せる人間はそうでない人間より上等なのだという、価値観と言うより信念に近いものがあるのではないか、と思えた。
もちろん、一人の観光客の言動だけを切り取って、アメリカ人はこうだ、英語圏の人間はこうだと決めつけるのはよろしくないが、私の方も、この時の経験が全てではないので。
公平を期すために付け加えておくなら、中産階級出身の英国人ビオジネスマンの場合、数カ国語を流暢に操るという人も、まま見受けられる。
英語圏の人間の話はさておき、日本人の場合、海外旅行に出向く際など特にそうだが、英語がちゃんと話せないことに、過剰なまでのコンプレックスを抱く人が少なくないようだ。
自動翻訳機、などという得体の知れない電気製品のCMが盛んに流れていたのは、さほど昔の話ではないし、昭和の時代までさかのぼると、もっとひどい例もあった。
高校生の時に『週刊プレイボーイ』に掲載された記事の一節を、今でも覚えているのだが、イタリアで買い物をする際、日本人の女の子の横で、さりげなく「クアント?」と言えればグッチ、だと笑。
当時の私は外国語の素養はおろか、海外旅行の経験さえなかったが、これを書いた奴、バッカじゃなかろうか、と思った。これで「イタリア語ができる人」だと思ってもらえる、などと、まさか本気ではないだろうが。
たしかに、イタリア語で「いくらですか?」という表現はQuant costa?だが、それが通じたとして、相手が値段を答えてくる、そのイタリア語が理解できなければ、かえって恥をさらすだけではないか。基礎的なやりとりもかなわないのならば、最初から見栄を張るべきではない。
前述の自動翻訳機がバカ売れしたという話を聞かないのも、とどのつまり実用のレベルに達していなかったからだろうと思う。
ただ、将来にわたってこの限りだとも考えにくい。
前に、AIに取って代わられるであろう仕事について述べたが、今後もしかしたら、たとえばスマホのアプリに落とし込んで、お互いに言語を指定すれば同時通訳してくれる、というようになるかも知れない。目の前の相手とスマホ越しの会話にはなるが。
いや、すでにそうしたソフトが実用化されるのも時間の問題だからと、英語教育不要論をとなえるインフルエンサーも見受けられる。
まあ、今の学校教育における受験英語が、まるっきり「実戦」の役に立たないことは、私も経験上よく理解しているのだが、それとこれとは別の話で、翻訳ソフトがあるから外国語を勉強しなくてもよいというのは、やはり極論ではあるまいか。
そのまた一方では、IT企業を中心に、社内で「英語公用語化」の動きも広まっている。
これもこれで極端な気もするが、まあ仕事上のメリットがある、との経営判断だろう。かつて「駅前留学」のCMが盛んに流れていたが、その延長線上にある現象かと思える。これも、学校で実用的な英語をきちんと教えてないからだ、との意見は変わらないが。
いずれにせよ、ビジネスはともかく、海外旅行に必要な英単語の数など、知れたものだ。
これまで、幾度となく引用させていただいたのだが、元ヤクザでJALのパーサーという経歴も持つ作家の安倍譲二が、自身のフランス語について、
「お金を持っている間だけ通じる」
と述べたことがある。言い得て妙。大笑いし、かつ大いに共感した。
真面目な話、観光客相手の商店や飲食店では、なんとか客の注文を理解しなければ商売にならないわけだから、従業員が一所懸命にこちらの英語を聞いてくれる。新型コロナ禍以前の話だが、箱根の土産物屋の店員さんたちが、中国語のレッスンを受けていると報道番組で取り上げられていたが、立場を逆にして考えてみればよいのだ。
私自身、スペインのトレドで、現地のオッサンから、
「ガイドブック買って下さい」
と日本語で話しかけられたことある。つい日本語で「いくら?」と問い返すと、
「5ユーロ。価格破壊」
と来た。そればかりか、
「これは司馬遼太郎も買ったガイドブック」
だと笑。
たしかに『街道を行く』(朝日文庫他)シリーズの中に『南蛮の道』という1冊があって、イベリア半島が舞台となっているが、まさかガイドブックを見て書いたわけではあるまい。
まあ、価格破壊という単語と、司馬遼太郎の名前までインプットした努力には感服するほかはないと、1冊買ったが。
では、相手になんのメリットもない場合はどうか。たとえば、道に迷ったとか。
『地球の歩き方』シリーズのフランス版やイタリア版を見ると、巻末の方に
「XXはどこですか?」「もう少しゆっくり話して下さい」
などという文例が、いくつか載っている。実際問題として、この程度の言い回しを頭に入れておけば、ガイドのいない個人旅行でも、大抵なんとかなるものだ。
開き直った言い方をすれば、我々は日本人なのだから、外国語が下手だからと言って、恥じることなどない。
国際的オツキアイの観点から、挨拶とお礼の言葉くらいは現地の言葉で言えるようにしておいた方がよいが、それ以上でも以下でもないと、私は思う。
トップ写真:浅草寺に集まる観光客の様子(2023年4月9日)出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。