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.社会  投稿日:2025/5/2

現場軽視の政策は国民を不幸にする


福澤善文(コンサルタント/元早稲田大学講師) 

 

【まとめ】 

・人づての情報ではなく、現場を体験しないと見えないものがある。 

・例えば、介護現場の人材需要増に対し2024年度訪問介護の基本報酬は引き下げられた。 

・政策責任者、担当者は現場を実体験して現実を知るべき。 

 

 

会社に就職して、ほとんどの新人がやることは、まず現場を経験することだ。実際に顧客に接し、現場での取引を経験することなしには、その顧客のニーズも把握できず、企業もその顧客に対して、何を提供すべきかがわからなくなる。筆者も大学を出て銀行に就職し、最初の配属先は都内の店舗で、そこで窓口、外回りなどを経験した。人から聞くのではなく、現場を体験しないと見えないものがあった。 

 

 

先ごろ、財務省の審議会分科会で「定員割れに陥っている私立大学の授業では、四則演算や方程式の取り扱い、英語の現在形と過去形の違いなど義務教育レベルの授業をやっており、私学助成を見直すべき」との指摘があった。2002年ごろ、筆者が初めて教壇に立つ話があった時、当時、某大学の教授に転身されたばかりの大手商社OBの方を訪ね、教壇に立つ際の心得についてお伺いしたことがあった。その方によれば、その大学の授業は義務教育レベルで、今は、新聞のどこに何が書いてあるか、読み方を説明するところだと言われ、その時は驚いたものだ。 

 

 

大学で教壇に立つ教員は事前にシラバスを作成することになっている。このシラバスで受講生に授業計画を事前に開示するわけだ。シラバスは文科省のガイダンスに従わなければならず、それに従っていない記述があれば、大学によっては、シラバス担当から訂正を求められることもある。文科省の評価を気にする大学は特にその傾向が強い。問題は文科省のガイダンスを気にするあまり、シラバスがその大学の学生のレベルにあわないケースがあることだ。 

 

もっとも大学によっては、大学レベルに達してない学生により、シラバス通りに授業が進められず、高校レベルの授業をせざるを得ない場合がある。大学にもよるが、別に目新しい話ではない。大学からの提出レポートやお抱えの有識者の意見ではなく、現場を体験すればわかる話だ。 

 

これは介護の現場でもいえることだ。介護ヘルパーを始めとして、介護の現場で働く人の環境は過酷だ。高齢者が確実に増加し、介護の需要が高まる中、介護人材を増やしていく必要がある。その為には、介護職を魅力のある職にしなければならない。 

 

しかし、今の日本はそうなっていない。そのような中で、2024年度訪問介護の基本報酬の引下げが行われた。介護人材への報酬を引き上げて、人材を確保しなければならない今の時代に、この引き下げの発表には目を疑った。これでは介護人材は益々逃げていく。現に、閉鎖に追い込まれた事務所や、訪問介護が難しくなった過疎地域もマスコミで紹介されている。 

 

厚労省の担当部署の方々には現場を経験してもらいたい。実際に見学している、との反論があるかもしれないが、数年前、難病で自宅療養中の義父の介護状況を見るために厚労省の方の訪問があった。部屋に入って数分で帰ろうとする彼らを家内が押しとどめて部屋から出られないようにし、30分現場を見てもらったことがある。複数回の痰の吸引、消毒してからの経管栄養の注入、パッドの交換など、ひと通りの見学後、「たいへんですね…」と言って帰られた。今回の基本報酬引下げを決めるにあたり、厚労省の政策担当者が有識者と称する人達の意見を鵜呑みにせず、そして、人任せにせずに、自ら現場を体験していれば、こんな決定は出来なかったはずだ。 

 

『タテ社会と現代日本(中根千枝著、講談社現代新書)』で、著者は「タテ社会の日本では新参者と並んで、専門職のステータスが低い。」と述べている。同書によれば、チベットで特殊技能をもつ専門職として、タクシードライバーの例を挙げている。高く険しい山へ行くには、そのドライバーを雇わないと行けない。故障した場合の修理の技能も必要だ。それゆえ、現地では尊重され、厚遇されているそうだ。日本では専門職は厚遇されていない。2016年に軽井沢でバスが転落した事故は、バス会社が自社の利益の為にいかに運転手の重要性を無視していたかのいい例だとも、中根氏は述べている。 

 

介護職の仕事の内容を理解せずに、有識者の話など人づての情報を信じて物事を決められては、民心は離れていくばかりだ。何故ならば、人を通した情報はその人の立場で歪み、現実とは乖離する場合があるからだ。それを回避するためには、政策責任者、担当者は現場をじっくり体験して現実を知るべきだ。いまこそ、介護職のステータスを上げ、若者がその職に就きたいと思うようにして、人材を集めなければいけない。いずれも今、真剣に考えて改善しないと、困るのは我々国民だ。誰もが高齢者になるのだから。 

 

フィンランドなど北欧国の福祉の充実ぶりが日本でも紹介されるが、その為の国民の税負担は大きい。しかしながら、国民の税負担に対する不満の声は大きくない。なぜならば、政府は民意をよく理解しており、国民は政府の福祉政策を信頼しているからだ。   

 

 

 

トップ写真)介護現場イメージ 

出典)Kazuma Seki / Getty Images 

 

 




この記事を書いた人
福澤善文コンサルタント/元早稲田大学講師

1976 年 慶應義塾大学卒、MBA取得(米国コロンビア大学院)。日本興業銀行ではニューヨーク支店、プロジェクトエンジニアリング部、中南米駐在員事務所などを経て、米州開発銀行に出向。その後、日本興業銀行外国為替部参事や三井物産戦略研究所海外情報室長、ロッテホールディングス戦略開発部長、ロッテ免税店JAPAN取締役などを歴任。現在はコンサルタント/アナリストとして活躍中。


過去に東京都立短期大学講師、米国ボストン大学客員教授、早稲田大学政治経済学部講師なども務める。著書は『重要性を増すパナマ運河』、『エンロン問題とアメリカ経済』をはじめ英文著書『Japanese Peculiarity depicted in‘Lost in Translation’』、『Looking Ahead』など多数。

福澤善文

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