コロナワクチン集団接種「相馬モデル」の立役者。福島・阿部勝弘新市長の人物像に迫る

上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
【まとめ】
・福島県相馬市の新市長・阿部勝弘氏の人物像と、少子高齢化、人口減少、さらに公立相馬病院の赤字など相馬市が抱える課題を紹介。
・阿部氏は、剣道経験や母校の校是「至誠」に象徴される東北の武家文化の伝統を受け継ぐ「武士」的な人物。
・阿部氏が副市長時代に全国をリードしたコロナワクチン集団接種の「相馬モデル」は、誠実で迅速かつ地道な陣頭指揮によって成功。
1月19日、福島県相馬市に新しいリーダーが誕生した。阿部勝弘市長だ(写真)。本稿でご紹介したい。
まずは、相馬市の紹介だ。同市は福島県の北東部、太平洋に面し、漁業と農業が盛んな地域だ。伝統行事「相馬野馬追」で知られ、歴史と文化が色濃く残っている。2011年の東日本大震災では津波や原発事故の影響を受けたが、地域一体となって復興を進めた。
ただ、ご多分に漏れず、相馬市の前途は多難だ。少子高齢化、人口減少、さらに公立相馬病院の赤字など、多くの問題を抱えている。ただ、それでも私は、阿部市長は一つずつ問題を解決していくと考えている。それは、能力はもちろん、人柄に負うところが大きい。
私は、阿部氏の人格形成には、この地域の伝統が色濃く反映されていると感じている。東北地方の武家文化の良き伝統を引き継いでいるのだ。
私と阿部氏との出会いは、東日本大震災直後に遡る。当時、阿部氏は相馬市役所企画政策部秘書課の秘書係長だった。阿部氏は30代で、相馬市役所の中堅幹部だった。
当初から、立谷秀清市長(当時)は大きな期待をかけていた。ほどなく、立谷秀清市長(当時)から「後継者と考えている人物」と告げられた。
立谷氏は卓抜した力量を持つ人物だ。東日本大震災からの復興、新型コロナウイルス対策などで大きな実績を残し、2018〜24年まで全国市長会会長を務めた。福島県の市長、人口10万人以下の都市の市長としては初めての選出だった。阿部氏は、立谷市長(当時)のお眼鏡に適ったようだ。
私が阿部氏と打ち解けるきっかけとなったのは剣道を通じてだ。「幼少時から剣道をやっていて、東大剣道部OBです」と自己紹介すると、剣道談義で盛り上がった。
福島は尚武の土地だ。会津藩をはじめとする武家文化の記憶は、形を変えながら現代にも受け継がれている。阿部氏が卒業した福島県立相馬高校は、相馬中村城に隣接して存在し、相馬藩の藩校の伝統を引き継ぐ。その校是は「至誠」だ。
前述したように、私は関西出身だ。その文化は独特だ。特に、かつて畿内と呼ばれた地域は、その傾向が強い。
畿内とは、古代日本において天皇の直轄地とされた地域で、現在の京都・大阪・奈良・兵庫南東部を含む。
この地域の特徴は、江戸時代に大藩が置かれなかったことだ。西国雄藩と京都の皇室・公家、大阪の商業資本が結託することを恐れた江戸幕府の方針と言われている。一方、江戸幕府は、畿内を取り囲むように、姫路、彦根、和歌山に譜代の酒井家、井伊家、徳川御三家を配置した。現在も、近畿地方は畿内とそれ以外で文化が違う。
両者では教育体制も異なる。日本の高等教育機関の多くが、藩校の伝統を引き継ぐのに対し、畿内には、そのような学校はないからだ。代わって、この地域の高等教育を担ったのは、仏教やキリスト教、あるいは商業資本だった。
京都の洛南高校、奈良の東大寺学園、大阪の四天王寺高校は仏教系、京都の洛西高校、兵庫の神戸女学院、大阪の星光学院はキリスト教系、そして兵庫の灘高校、甲陽学院は造り酒屋が経営している。
このような学校の価値観は、藩校の伝統を引き継ぐ学校とは大きく異なる。私の母校である灘高校の校是は「精力善用」、「自他共栄」という商家の思想を反映したものだ。洛南高校は「真理を探究せよ」で、真言宗の伝統を反映している。
私と阿部市長の距離を縮めるきっかけとなった剣道は城下町で発展した。現在も九州が最も強く、東北地方でも盛んだ。
福島県も強豪県の一つで、多くの名選手を輩出してきた。2005年全日本剣道選手権を制した原田悟氏は、県内屈指の進学校・福島高校の出身であり、文武両道の系譜を体現する存在である。
また、会津出身で1961年全日本剣道選手権準優勝、のちに警視庁主席師範を務めた小沼宏至先生は、私が東京大学剣道部に在籍していた際、師範として直接指導を受けた恩師でもある。
一方、剣道は畿内では盛んではない。これまでインターハイ剣道大会は、男女合わせて127回開催されているが、PL学園の13回(男子7回、女子6回)を除き、近畿勢の優勝はない。PL学園の選手の多くは九州など強豪地域の出身だ。近畿出身者によるチームが優勝したことはない。このあたり、野球、サッカー、ラグビー、バレーボールなどの球技とは対照的だ。
阿部氏は相馬高校から福島大学に進んだ剣道家で、錬士六段である。大学時代はボート競技でも国体にも出場した。高い身体能力を有することに加え、大学卒業後も地道に稽古を続けてきたのだろう。このあたり、私が阿部氏に抱く「武士」のイメージと重なる。
阿部氏は、2021年4月に副市長に就任した。多くの先輩職員を追い越しての「大抜擢」だった。当時の最大の課題は、新型コロナウイルスワクチンの集団接種だった。相馬市は、後に「相馬モデル」と呼ばれることになる、独自の接種体制を考案し、我が国の集団接種をリードした。
立谷市長(当時)は、阿部氏を接種体制整備の責任者に任命した。相馬市は、全国に先駆けて、コロナワクチン接種を進めた。試行錯誤の連続で、暗中模索だったはずだ。
阿部氏は接種会場となった体育館に常駐し、陣頭指揮を執った。筆者も相馬市でワクチン接種に関わったが、対応はきめ細かく迅速だった。緻密に組み上げられた段取りに加えて、接種会場で迷っている高齢者をみれば、率先して案内し、医師が「防護着の置き場がわかりにくい」と言えば、すぐに改善した。このような対応の積み重ねが、後に「相馬モデル」と呼ばれる接種体制の確立に繋がった。
愚痴や不満をいうことなく、自らに与えられた仕事を地道にこなし、「相馬モデル」と賞賛されても、そのことを鼻にかけない姿勢は、まさに「武士」で、相馬高校の校是である「至誠」を想起させた。私は、このような姿勢に深い敬意を抱いた。
我が国に必要なのは、このような誠実な姿勢だ。阿部市長を中心に相馬市が益々発展することを期待している。
写真)筆者と阿部勝弘相馬市長 医療ガバナンス研究所にて、昨年12月27日
出典)筆者提供
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

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