福島で成長した「田原君」の話
上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・国民生活を理解するリアリティ足りなかった若者が福島で成長。
・700年かけ地域の信頼関係醸成してきた相馬市、孤独死少ない。
・旅や異文化を経験し、若者は成長する。相馬市はお勧めの場所。
福島の医療支援を始めて10回目の春を迎えた。私が福島の方々とのお付き合いを続けるのは、関西で育ち、東京で働く私にとり、福島が異なる歴史や文化をもち、魅力的だからだ。人も優しい。
今回は福島で「成長」した若者を紹介したい。田原大嗣君だ。筆者が学生時代に在籍した東京大学剣道部の後輩だ。法学部に在籍し、学生時代には医療ガバナンス研究所のインターンを経験した。そして、今春、一留の末、国土交通省に就職した。現在、道路局路政課の事務官だ。
筆者が田原君と知りあったのは、彼が法学部の3年生の時だ。『剣道時代』という専門誌で、『赤胴通信』という東大剣道部の現役部員の連載が続いている。私は学生の指導役で、田原君は取りまとめ役をやっていた。
筆者の第一印象は「真面目だけど、迫力がない」。東京大学の学生に多いパターンで、こういう若者は就職試験には弱い。官僚志望の田原君は大学4年時に公務員試験には合格したものの、面接で希望する省庁の内定を貰えなかった。面接官が、彼のどのような点を評価しなかったかは容易に想像がつく。
田原君は行き詰まっていた。そして、どうしていいか分からなくなっていた。一年間留年して、公務員試験の勉強を必死でやり、多少成績が向上しようが、来年も同じような結果になることは見えていた。彼に足りなかったものは試験の点数でなく、キャリア官僚に必要な国民生活を理解するリアリティだからだ。
筆者は、田原君に福島県相馬市役所のインターンを勧めた。被災地のリアリティを肌で感じると同時に、東北地方の文化に触れて欲しかった。
「田原」という姓は九州と中国地方に多い。田原君の一族も祖父の代に熊本県八代から上京したらしい。祖父の田原弘徳氏は警視庁の元剣道師範で、剣道界では知らない人がいない有名人だ。筆者も学生時代に稽古を付けていただいたことがある。
八代は細川藩の筆頭家老松井家が治める三万石の城下町だ。薩摩藩島津家への備えとして、幕府が一国一城の例外として認めたと言われている。一方、相馬市は、1323年に相馬重胤が下総より移住して以来、相馬家が治めた城下町だ。
同じ城下町でも、八代と相馬は歴史も文化も違う。八代藩は五十四万石の熊本藩の支藩だ。南に薩摩藩と接するとはいえ、圧倒的な存在感を示す。外敵の圧力が弱いためか、幕末から明治にかけては内紛を繰り返した。現在も、頑固者を称する「肥後もっこす」が褒め言葉だ。やや協調性に欠ける県民性がある。スポーツでは、野球やサッカーなどチーム競技より、剣道や柔道など、個人競技が強い。
相馬藩は対照的だ。六万石の小藩で、北に接する仙台藩六十二万石とは戦いを繰り返した。伊達藩に接する小藩で滅ぼされなかったのは相馬藩だけだ。生き残るために一致団結し、佐竹家、石田家(三成)、本多家、土屋家など有力者との連携を深めた。スポーツではバレーボールが盛んだ。
相馬家は代々英明な当主が多いことで知られている。この伝統は今も残っている。現在、市長を務める立谷秀清氏の実力は関係者から高く評価されている。東日本大震災からの復興は、立谷氏がリードし、市役所・市民が一丸となって成し遂げたものだ。立谷氏は現在、全国市長会の会長を務めるが、人口10万人以下の市からの選出は史上初だ。
▲写真 全国市長会会長として地方六団体と総務大臣との意見交換に臨む立谷秀清・相馬市長(2020年12月14日) 出典:相馬市ツイッター
熊本をルーツにもち、東京で育った田原君には相馬は新鮮だったろう。彼が育ってきた環境とは「空気」が全く違ったはずだ。
現地で田原君を指導してくれたのは、横山英彦・企画政策部秘書課長(当時)だ。有能な人物で、立谷秀清相馬市長の信頼も厚い。立谷市長は「相手の立場を理解し、柔軟に対応できる人物」と評する。
横山課長は、一ヶ月間のインターンの間に、東日本大震災から復興を遂げつつある相馬市の様々な現場を案内し、田原君に市民と接する機会を提供してくれた。
▲写真 相馬市の被災者向け高齢者施設である「井戸端長屋」にて。著者提供。
写真は、被災者向け高齢者施設である「井戸端長屋」での光景だ。東日本大震災により、相馬市では高齢者の孤立が進んだ。この問題を解決すべく、相馬市が立ち上げたのが、高齢者の集合住宅だ。60代~90代の高齢者が入居し、共に生活する。食事は食堂で一緒に摂ることにして、入居者の交流を促進した。これが相互支援に繋がる。会話は健康に関する話題が多いようで、地元で診療する医師は「同居者から勧められて、病院を受診し、重度の高血圧がわかったケースもありました」という。
阪神大震災で問題となった孤独死は、相馬市では少ない。これは、この地域が約700年をかけて、信頼関係を醸成してきたからだ。伊達家に対抗するには、一致団結するしかなかったのだろう。その象徴が「井戸端長屋」だ。
「井戸端長屋」は相馬市が運営している。田原君は「長い年月をかけて培ってきた市民と市役所の信頼関係を痛感しました」という。この信頼関係があるからこそ、相馬市は東日本大震災の復興も速く、その後の水害や地震も大きな問題なく対応してきた。このあたりのリアリティは、東大で地方行政の勉強をしていても経験できない。
相馬から帰ってきて田原君は変わった。その後、東大剣道部の先輩や知人と連絡して、彼らが仕事で赴任しているベトナムやミャンマーなどの新興国を訪問し、見聞を広めた。相馬同様、現地でも剣道の稽古をしたという。
東南アジアへの研修旅行を終えた田原君を、私は厚労省の知人との飲み会に誘った。以前の田原君のことも知っている知人は「見違えましたね。今年は合格するでしょう」と感想を述べた。そして、その通りの結果となった。
旅を通じ、異文化を経験して、若者は成長する。相馬市は、そのお勧めの場所である。
トップ写真:福島県相馬市役所 出典:相馬市 facebook
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。