「なぜ日本は勝てない戦争へ進んだのか?」最新小説から読み解く、日本の巨大企業とコーポレートガバナンスの罠
牛島信(弁護士)
■ 本稿のポイント
・自身の最新小説『日本買収――団塊世代の天命』がどのような想いから生まれ、どのような物語へと昇華したのかを綴る。
・著者が対談や再読を通じて得た、太平洋戦争前夜の日本が「持たざる国」へと突き進んだ経済的・歴史的要因を解説。
・ 戦前の軍部の失敗と、現代の日本の巨大企業が抱える「信頼関係」重視の体質を重ね合わせ、コーポレートガバナンスの本質を問う。
長年このサイトを通じて小説を執筆してきた弁護士でもある著者が、最新作『日本買収――団塊世代の天命』に込めた想いを明かす。読者からの感想を振り返りながら、執筆のきっかけとなった石原慎太郎氏の言葉や、松元崇氏の著書『持たざる国への道』から得た啓示をもとに、日本がかつて陥った「滑稽な悲劇」の正体と、現代の日本企業が直面する構造的な課題について考察する。(Japan In-depth編集部)
■なぜ、最新作『日本買収』をこれほど愛おしく感じるのか?
このサイトのお蔭で、いくつもの小説を完成させることができたことについては、以前にも述べた。この、最終的に『日本買収――団塊世代の天命』という題名になった小説についても、このサイトあっての作品である。当初はこのサイトに『団塊の世代の物語』として書かせていただいたものの、加筆改訂版なのである。
「まるでカプチーノに添えられたシナモンの香りが静かに残るような、印象的な余韻が心に広がりました。」というご感想を下さった方もある。確かにカプチーノは作中で重要な飲み物と設定されている。
「全てのことにリアリティを感じ、ハリウッド映画を観てる様な気分で読了しました。」と感想を述べられた方もある。その方は、最後に、「礼子の様なひとに会いたくなりました。」とまで仰ってくださった。礼子というのは、英子という名で書き進めていた従前の原稿を、最後になって事情があって変えたヒロインの名である。
英子という名は石原さんの『太陽の季節』の冒頭に登場するヒロインの名であり、礼子というのは同じ石原さんの53年後の大作『火の島』のヒロインの名でもある。どちらのヒロインも石原さんの小説のなかでは悲劇的な死を遂げる。『火の島』を読んだ友人は、「僕は礼子さんに惚れてしまったよ」と言っていた。石原さんの創り出した礼子像への強い思いである。しかし私の小説のなかでは、礼子もその相方の三津野慎一も幸せな老人のままである。75歳と77歳で、未来への使命を共有し、二人して幸せなのである。
老人同士の恋。私は自作の中で鷗外の『じいさんばあさん』に触れた。江戸時代、72歳の男が仕事のうえの不始末があって別離せざるを得なかった71歳の妻と、37年ぶりに会うことができ、やっと二人での、「ままごとのよう」と鷗外の形容する生活を再開するという短い話である。
今回の小説で、私は日本の巨大企業を「幹部従業員協同組合」と呼んでいる。三津野というのは飛鳥山不動産という架空の巨大上場会社のトップだった男の名であり、社長として幹部従業員協同組合の組合長の地位にいたという設定である。
その点に関して、慧眼にも「幹部従業員協同組合の頂点にあった三津野が、会社のM&Aという現実に直面する中で、礼子との出会いがなければ異なる判断をしていたかもしれない。人は理屈として理解していても、実際に大きな一歩を踏み出すには、なお別種の強い衝動を必要とするものだという点にも深く共感いたしました。」とまで読みこみをしてくださった方もあった。
これで幾つめの小説なのか、私は知らない。ただ、この小説のことは、今まで以上に愛しくてならない。可愛いのである。前回のこの欄で書いたとおり、「出版のためのゲラを見ている深夜、これほどの高揚感に包まれたことはなかった」からである。もちろん、作者が愛おしいと思ったところで、読者の目にどう映るのかは全く別のことに決まっている。それはわかっている。それでも、愛おしい、可愛いと書かずにいられないのである。
で、ふと石原さんのことを想う。
小説『火の島』を出版されたとき、石原さんは76歳だった。今の私の年齢である。76歳だった石原さんは、「未だ7つは書きたいものがある。」とインタビューに答えられたうえで、「時間のストックが絶望的に足りない」と苦衷を漏らされていた。天性の作家として生まれついた人間が、政治に時間を奪われてしまった結果である。それもまた人生というほかないだろう。
■日本はなぜ勝てない戦争へ突き進んだのか?
日本のことを考える。小説のなかでも考えている。
たとえば、なぜ日本は勝つはずのないアメリカとの戦争に突き進んだのかという、何年来の問いである。
その私に、『持たざる国への道』(中公文庫)という本が大きな啓示を与えてくれた。著者の松元崇さんと、最近彼の著した『武器としての日本語思考』(新潮新書)についてお話をしようと会食をした際に、その本についての話のあと、私はいつもの上記の問いを彼にぶつけたのだ。
松元さんの回答は簡単明瞭だった。
「高橋是清が2.26事件で殺されたからです。」という答だった。大恐慌のなか、世界の先頭を切って日本が復活への道を驀進できたのは高橋是清のリフレ政策のおかげである。その高橋は、次には引き締めが必要だと思い、それを陸軍の予算でも実行した。その結果、彼は2.26事件で殺されてしまったのである。
私は彼が高橋是清の研究家であることを知っていた。私はその研究成果のうち、少なくとも2冊の本を読んでいた。その一つが『持たざる国への道 あの戦争と大日本帝国の破綻』(中公文庫)である。また山県有朋研究については1冊を読み、もう1冊は読んでいる途中である。
実は、この『持たざる国への道』は2013年の発売当時に買い求め、一部を読んでいたのである。しかし、松元さんとお話した際にこの本について改めて教えられ、再読した。文字通り、興奮しながら頁を繰る時間、あの読書の感激の時を過ごすことができた。
松元さんの優れた分析は、上記に留まらない。以下は私の理解するところである。
日本は自ら「持たざる国」への道を進んでしまったのであり、それは財政についての軍部の無知による。実は、宇垣一成が戦後になってその日記で回想しているとおり、2.26事件(1936年)当時の日本は、「産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する。(中略)この調子をもう五年か八年続けていったならば日本は名実共に世界第一等国になれる。」状況だったのである。「だから今下手に戦など始めてはいかぬ」とも宇垣は書いていたのである。(13頁)
それを、北支で「円元パー政策」という愚策をとったがゆえに、実は英米の蒋介石政権支援よりも前に、日本自らが知らぬ間に、蒋介石政権に実質的に資金援助をしてしまっていたのだ。経済的に無理な「円元パー政策」をとったことが諸悪の根源である。井上準之助の旧平価解禁と同じ失敗である。
説明に窮した、あるいは事態を理解できなかった軍部は、英米の蒋介石政権支援が日中戦争が終わらない原因であると国民に説いた。メディアも同調した。自ら持たざる国への道をひた走ったのである。滑稽な悲劇というしかない。
■現代の日本企業は「戦前の失敗」を繰り返しているのか?
しかし、松元さんの凄いところはこれだけではなく、さらに続く。松元さんの視線は、なんと江戸時代の日本にあった事実上の管理通貨制度にまで及ぶのだ。
江戸の金本位、大坂の銀本位といっても、それは実質的には手形などの紙への信用で代替されていたと喝破する。松元さんは、「金銀よりも人々の間の信頼関係を重視するという国民性の成立があった」と説く。(282頁)「ただし、そのような国民性は日本以外にはあまり見られないものである」として、それを、日中戦争時に軍が華北の通貨ブロックを簡単に創り上げられると思い込んだことの背景と解説する。ついでのように、松元さんは、日本は製造業の国ではなく、ファイナンスが世界で最も進んだ国だったのだとも明かす。
私は『持たざる国への道』のその部分を再読して漸くその深い趣旨を理解するに至り、なるほど2.26事件で高橋是清を殺した軍人たちは、実は、「人との信頼関係」の国にいたから、中国での日本がとった「円元パー政策」の愚かさに思い到ることがなかったのか、と愕然たる思いがしたのである。
愕然としたのは、同じことが似た形で起きるのではないか、という不安からである。
例えば、上場株式会社の外形を備えながら、実質は人的な組織である「幹部従業員協同組合」である日本の巨大企業の問題と、円元パー政策の結果として米国との戦争に突き進んだ過去の日本の姿と、その根底において共通したものがあるのではないか、と密かに考えるのである。我々日本の社会で「人との信頼関係」に日々を生きている人間たちに、株式会社も上場制度も肌感覚ではわからないのかもしれないと慄然とするのである。
いったい欧米発のコーポレートガバナンスとは、我々にとってなんなのだろうか?
現に、私は、『日本買収』のなかで、『戦艦大和の最後』(吉田満)にある、大和に乗り組んでいた臼淵大尉の言葉、日本は「私的な潔癖や徳義にこだわって、ほんとうの進歩を忘れていた」を引用しているのだ。
私は、この小説を書いたときには『持たざる国への道』を意識してはいなかった。しかし、驚いたことに、松元さんは13年前、あるいはもっと前に、そのことに気づいていたのだと思えてならない。
では、日本はこれからどうなるのか?どうしたら良いのか?私は、それをさらに一生懸命に考えて行きたいと思っているのである。
■FAQ
- Q:小説のタイトル『日本買収』にはどのような意図がありますか? A:巨大企業のM&Aという現実と、日本の組織構造が抱える課題を象徴的に描くため、この題名に至りました。
- Q:なぜ高橋是清の死が戦争の決定的な転換点なのですか? A:大恐慌から日本をリフレ政策で復活させた経済の要であり、彼が亡くなったことで、軍部を抑制する力が失われ、無謀な軍事予算拡大と破滅的な経済政策が止まらなくなったからです。
- Q:松元崇氏が説く「持たざる国への道」とはどういう意味ですか? A:日本が自らの経済政策の無知によって自滅し、経済的に孤立・困窮する道へ自ら足を踏み入れたことを指します。
- Q:作中の「幹部従業員協同組合」とは何ですか? A:日本の巨大企業が、形式上は株式会社でありながら、実態は内部の信頼関係で運営される組織であることの比喩表現です。
- Q:今後の日本企業に求められる変化は何でしょうか? A:従来の「人との信頼関係」という美徳に安住せず、コーポレートガバナンスの本質を理解し、グローバルな市場環境に適応した経営への転換が求められています。
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出典:Photo by SanyaSM/Getty Images
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html


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