ゴルゴ13から読み解く死生観:チリ鉱山事故を題材に
執筆者:牛島信(弁護士)
■本稿のポイント
・2010年のチリ鉱山落盤事故を題材にしたゴルゴ13では、ゴルゴ13が「34人目の遭難者」として地下634メートルに閉じ込められる設定が描かれている。
・「契約は必ず履行されるわけではない」という弁護士実務の視点から、ゴルゴ13が単純な信頼ではなく“複数の保険”を用意していた可能性を示唆。
・「死の受容の5段階」に触れ、ゴルゴ13の台詞に込められた人生哲学を再評価する。
2010年のチリ鉱山落盤事故をモデルにしたゴルゴ13について、長年の読者である作家・弁護士の牛島信氏が、台詞や行動から「契約」「履行」「死生観」を考察する。違法な救出契約が裁判では保護されにくいことを踏まえ、ゴルゴ13は複数の救出ルートや制裁を含む“保険”的構造を用意していたのではないかと推論し、人間社会における約束とリスク管理の本質を論じる。(Japan In-depth編集部)
2010年チリでのこと、33人の鉱夫が巻き込まれてしまった落盤事故が起きた。2か月の後、全員が無事救助された。ご記憶の方もあろう。
その事故に、実はゴルゴ13が34人目の人間として巻き込まれてしまったという設定の巻がある(204巻「33+G」 リイド社刊)。
紆余曲折があった後、もちろんゴルゴ13は最後には救われる。地下634メートルの狭い、閉ざされた空間からである。33人が助けられてから13日が過ぎた後、同じ狭いカプセルで独りだけ吊り上げられるのだ。無事地上に上がったゴルゴ13は、カプセルから出るや愛用の細身の葉巻、シガリロに火をつける。
「私が来ないんじゃないか・・・とは考えなかったのか?」
事前の約束どおり地上から秘密裡に助け舟を送ってくれた男に問われ、ゴルゴ13は静かに答える。
「・・・その場合は、終わる。それだけのことだ・・・」(246頁)
私はゴルゴ13という劇画がビッグコミック・オリジナルに連載されていた初期からのファンである。やくざ映画を観おわって映画館から出てくる客たちは、どこか肩を怒らせて自信たっぷりの様子だと読んだことがある。それと似ているかもしれない。所詮フィクションだから可能なことだとわかっていても、ゴルゴ13の紙の上での活躍に、つかの間、血沸き肉躍るのである。ちなみに、彼の劇画を読むのは飛行機のなかであることが多い。
麻生太郎元総理が、国際政治はゴルゴ13で学ぶと言ったという噂があるが、確かに興味深く学ぶべきことが出ている回もある。いつもは殺人依頼をこなす話なのだが、この回は違う。その後、なのである。
チリ鉱山の巻を読んだのは、204号が出てすぐのことだから2022年ころのことだろう。そのとき私は、助けてくれた男の質問に返したゴルゴ13のセリフに感じ入った。
ここでその話について書くのは、最近『死ぬ瞬間』と題した本(中央公論新社2001年刊)を読んでいるからである。原著は1969年に出ている。自らの死に直面した人間は、否認と孤立、怒り、取り引き、抑鬱、そして受容と5段階で心が動いてゆくという、よく知られたE.キューブラー・ロスの著作である。
数日前の朝、私はそのゴルゴ13の「その場合は」という台詞をふっと思い出したのだ。そして、初めてその台詞に出会ったとき同様、まことにゴルゴ13の死生観、人生哲学に、なんとも凄い男だと改めて感得したのだった。
ところが、その日はそこで終わらなかった。救出者が事前の約束にしたがって困難を乗り越えて彼を救出したことやそれに賭けたゴルゴ13について、どうにも不思議だという気がしたのだ。
一般に、契約は実行されるものだ。法律的には履行される、という言葉を使う。もし実行がなされない場合には裁判所の登場となる。正当な理由があれば、時間はかかっても契約は実行されるだろう。それが契約の存在理由である。
しかし、ゴルゴ13が裁判を頼りにしていたとは思えない。第一に彼は犯罪者であって、しかも一部の当局者には顔を知られている。また誰と交わした約束であるにせよ、救出の契約は違法行為を行うことを前提とした中身だから、公序良俗に反するとして裁判では無効とされる可能性が高い。
では、彼はなにを頼りにしたのか。
任意の履行である。事前に多額の金銭が渡されていた、あるいは事後に渡す約束になっていたということに違いない。
それでも、その朝、私はゴルゴ13が自分の生死をその約束に賭けたはずがない、と思い至ったのである。救出を約束していた男が、違法な行為を行って事前の約束を守ってくれる保証などどこにもありはしない。たぶん実行してくれる。しかし、その相手の男がたとえどんなに堅く約束を守る男であったとしても、どんな突発事が発生するかなど誰にも完璧には予測できない。先の事はわからないとしか言いようがないのだ。そんなものにゴルゴ13が自らの命を賭けるはずがないではないか。
私は、契約が約束どおり履行されなかったという場面に立ち会うことを仕事にしている弁護士である。現実の裁判では、そもそも約束の中身からしてそれぞれの立場で食い違うことが珍しくない。
もし、ゴルゴ13が事前にしっかりと約束していた相手が、その約束を守らなかったら?守ろうとしても突発事故で死んでしまっていたら?
賢明なゴルゴ13がそうした事態を想定していないことなどあり得ない。
自分の命をできるだけ確実に守るには、ゴルゴ13はどうするか?
私なりに、そのときに思いついたのは、二つである。
一つ。ゴルゴ13なら、その男が救出しなかった時に備えて、次の人間、その人間が実行しなかった時にはその次の人間と、何人もの人間と予め約束しておく。もちろん、費用は一人のときよりもはるかに高額にのぼるだろう。しかし、ことは自分の一つしかない命である。しかも、彼は世界一のスナイパーとして、いつも言い値通りの契約金を前払いで受け取っているのだ。自分の一つきりの命のためなのだから、金に糸目はつけないだろう。
二つ。こうも考えた。これが重要である。
もし約束を違えたら、ゴルゴ13はその人間に対して死をもって報いる。それが必ず実行される制裁であることは、劇画の上での当たり前の約束事である。したがって約束した相手も分かっているに違いない。
もし相手が約束どおり救出せず、しかもゴルゴ13が、彼以外の人間の手で救出された場合には、約束を破った男は確実に死ぬことになる。ゴルゴ13は相手の任意の履行には過剰に期待していない。2人目または3人目の男によってゴルゴ13が救われた場合、命が終わりになるのは実は約束の相手ということである。
つまり、ゴルゴ13が発した台詞、「・・・その場合は、終わる。それだけのことだ・・・」というのは、文字通り、自分の死が、どんなに周到に準備をしていても、何人と重ねて約束していたとしても、現実にあり得ると考えていたことを意味する。私は、「・・・その場合には、終わる・・・」に「、」が存在していたことに、今回初めて気づいた。
ゴルゴ13は、自分の心のなかだけで、「オマエ以外にも何重にも頼んである。それはオマエもわかっているだろう。そして、そのどれもが期待したように動かなかった場合には」というセリフを吞み込んだうえで、『・・・その場合には、終わる・・・』とだけ呟いたということなのである。終わるのはオマエなのか、ゴルゴ13なのか。
似たことを多くのビジネスに携わる人々は日常的に行っている。
保険である。もちろん、保険では、医療保険であっても、命は必ずしも最終的には守り切れない。しかし、現実の世の中で可能な選択肢ではある。そして保険会社は再保険をかける。それでも事故は起こることがある。
この世では、ほとんどの場合に人が約束を守るのは裁判が怖いからではない。約束は守るものだと思っているからである。自分の得になるのだ。しかし、世界中に弁護士がたくさんいる事実は、守られない約束が間々あることを示している。
せっかくのゴールデンウィークに、私はこんなことを考えたのである。職業柄とはいえ、因果なことではある。
【よくある質問(FAQ)】
Q1. チリ鉱山事故とは?
A:2010年に、チリ北部サンホセ鉱山で発生した落盤事故です。地下約700mに閉じ込められた33人の作業員は、約2か月後、全員無事に救出されました。
Q2. 「履行」とはどういう意味?
A:法律用語で、契約や約束の内容を実際に実行することを指します。たとえば、代金を支払う、商品を渡すなどが履行にあたります。
Q3. 「公序良俗に反する契約」とは?
A:社会の秩序や一般的な倫理観に反する契約のことで、日本法では無効とされる可能性があります。記事では、秘密裏の違法救出契約がその例として論じられていますが、他にも、愛人契約や霊感商法などもこれに当たる場合があります。
Q4. キューブラー=ロスの「死の5段階」とは?
A:アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した概念です。人が死に直面した際の精神状態について、「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」という5つの段階を経て変化するとされる理論です。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真)閉じ込められた鉱夫の親族
出典)Mariana Eliano by Getty Images
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html


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