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スポーツ  投稿日:2026/5/22

世界陸上東京2025、経済効果857億円が示す未来——アジア大会名古屋への指針


松永裕司(Forbes Official Columnist)

■本稿のポイント

・世界陸上東京2025は、過去大会を凌駕する約857億円の総合インパクトを創出し、メガイベントの新たな到達点となりました。

・海外客の64%が5泊以上を選択するなど滞在の長期化により、中長期的なインバウンドの基盤を築くことに成功しました。

・革新的なサステナビリティ戦略「東京モデル」を実行し、ワールドアスレティックスのプラチナ認定を獲得するなど、環境・社会的な価値も創出しました。

 


5月17日、2万5000人の観衆を集めたセイコーゴールデングランプリ陸上2026 東京。その成功を正しく評価するには、ひとつのベンチマークが欠かせない——2025年9月に開催された世界陸上競技選手権大会東京2025だ。ニールセンスポーツの評価で総合インパクト約857億円を記録し、過去大会を大きく凌駕した同大会の成功構造を読み解きながら、今秋開催の第20回アジア競技大会(名古屋)が学ぶべき指針をForbes Official Columnist・松永裕司が考察する。(Japan In-depth編集部)

 

なぜ世界陸上東京2025を基準にすべきなのか

5月17日、MUFGスタジアムにて開催されたセイコーゴールデングランプリ陸上2026 東京は、2万5000人の観衆を集め、盛況のうちに幕を閉じたかに思われた。しかし、その成功を語るには25年9月に開催された世界陸上競技選手権大会東京2025をベンチマークとして記憶しておかなければなるまい。

世陸は単なるスポーツの祭典の枠を超え、メガイベントのビジネスモデルにおける新たな到達点として足跡を残した。ニールセンスポーツがまとめた最新のイベントインパクト評価リポートによると、本大会が創出した総合的なインパクト(経済・環境・社会・メディアの合算価値)は実に5億7162万ドル(約857億4300万円)に達し 、過去の大会を劇的に凌駕する歴史的な成功を収めた。

 

総合インパクト857億円はどう生まれたのか

本大会の最大のハイライトは、過去大会と比較した際の圧倒的な経済的成長の軌跡である。2023年のブダペスト大会が創出した総合インパクトは4億840万ドル(約612億6000万円)、2022年のオレゴン大会は2億3740万ドル(約356億1000万円)であった 。東京大会はブダペスト大会から約39%の価値増を実現し、オレゴン大会と比較すると実に2倍以上という飛躍的な成長を記録 。競技面においても、194カ国から2244名の選手(男性51%、女性49%)が参加し 、過去最多となる53カ国がメダルを獲得するという多様性に富んだ大規模な大会となった 。

この5億7162万ドル(約857億4300万円)の総合インパクトのうち、直接的な経済効果は3億6550万ドル(約548億2500万円)を占めている 。大会予算の全体規模は1億1250万ドル(約168億7500万円)であり、そのうち地元市場に投下された支出額は8270万ドル(約124億5000万円)に上った 。内訳を見ると、会場・インフラ整備に2230万ドル(約33億4500万円)、放送・メディア関連に1250万ドル(約18億7500万円)などが費やされており 、イベントがいかに多角的な産業へ直接的な資金を供給するかがわかる。特筆すべきは、訪問者による宿泊費が8450万ドル(約126億7500万円)と最も大きな牽引役となった点である 。これに交通費4670万ドル(約70億500万円)、小売り・レジャー費の1940万ドル(約29億1000万円)、飲食費の1510万ドル(約22億6500万円)が続く構造となっている。また、これらの直接的な支出が地域経済に及ぼす波及効果(乗数効果)は1.61倍と算出され、さらに1億3850万ドル(約207億7500万円)の追加的な経済インパクトを生み出した 。

この強固な経済効果を根底で支えたのは、国内外から集まった観客の高い熱量と滞在の長期化である。本大会には9日間で合計57万6155人のチケット購入者が訪れ 、過去の大会と比較しても桁違いの動員数を記録した。ニールセンの調査によると、海外からの観客の実に65%にとって今回が初めての日本訪問。さらに、海外客の80%がホテルなどの商業宿泊施設を利用し、そのうちの64%が5泊以上の長期滞在を選択している。東京への渡航費用の平均は415ドル(約6万2250円)に達し、開催都市での消費を力強く押し上げた。これほどの需要を取り込めた背景には、大会全体の満足度の高さが存在する。

観客の88%が期待を上回る体験だったと回答、過去5大会で最高であったブダペスト大会の85%を堂々と更新した。顧客ロイヤルティを測る指標であるネット・プロモーター・スコアにおいても51という健全な数値を記録し 、海外客に限れば63という極めて高い水準を叩き出している 。現地で観戦した海外客の91%が主な移動手段として鉄道を利用、日本の公共交通機関の利便性がインバウンドの回遊性を大いに支援した形となった。

 

世界236カ国で生まれたメディア価値とは

経済効果に加えて、グローバルなイベントの真のビジネス価値を決定づけるのがメディアを通じた世界規模での露出。東京2025が生み出した価値のうち、最大の単一推進力となったのがテレビ放送を通じたメディア価値であり、その額は1億5700万ドル(約235億5000万円)に上った。世界236の国と地域で放送され、テレビおよびOTTの総ブランドメディア価値は5億4500万ドル(約817億5000万円)、総視聴時間は11億8000万時間という天文学的な数字を記録している。国別のテレビ視聴時間を見ると、開催国の日本が6億1800万時間と全体の52%を占め、次いで中国が16%、イギリスが5%と続いている。

スポンサー企業にとっても、この露出は莫大なリターンをもたらした。TDKが1億4400万ドル(約216億円)、ホンダが9700万ドル(約145億5000万円)、セイコーが7500万ドル(約112億5000万円)のテレビ露出価値を獲得し、さらに「Tokyo Tokyo」ブランドも1300万ドル(約19億5000万円)の価値を享受した。オンラインのニュース記事などによるメディア価値も1090万ドル(約16億3500万円)に上り、BBCやESPNといった有力媒体が世界中に情報を発信した。良好な時差に恵まれたアジア圏での圧倒的な視聴ボリュームが、従来のヨーロッパ中心のスポーツメディア市場において新たなビジネスの可能性を提示した点は特筆に値する。

既存のテレビメディアに加え、デジタル空間での情報拡散も今大会の価値を大きく押し上げた。大会期間中のソーシャルメディアにおけるエンゲージメント数は1240万回を超え、460万ドル(約6億9000万円)のソーシャルメディア価値を創出している。興味深いのは、選手自身が発信するコンテンツの質的変化である。大会後数週間における主要選手のInstagram投稿の上位25件のうち、実に24%が競技そのものではなく、日本での休暇や東京観光に焦点を当てたもの 。

中距離のスターであるヤコブ・インゲブリクトセンが家族との東京滞在を楽しむ投稿は7万2000件以上の「いいね」を集めるなど、金メダル獲得の報告に匹敵する規模の反響を獲得した。これらの休日をテーマにした投稿はユーザーから100%のポジティブな感情を引き出しており、選手が自ら観光アンバサダーとして機能することで、日本という国の文化的な魅力を世界中に拡散する強力なチャンネルとなった。選手およびチーム関係者の73%が滞在中に地元の観光地を訪れており、さらに77%が今後の5年以内に休暇やトレーニングのために再び東京を訪れたいと回答していることからも、中長期的なインバウンドの基盤を築くことに成功したと言える。

 

『東京モデル』はなぜプラチナ認定を獲得したか

これほどの規模のイベントを開催する上で、現代のビジネスにおいて避けて通れないのが環境への配慮。世界中から選手や観客が航空機で移動するため、本大会においては総計6万3272トン(うち航空移動が5万2463トン)という二酸化炭素の排出が確認され 、環境へのコストは390万ドル(約5億8500万円)と算出された 。しかし、大会組織委員会はこの環境負荷をただ受け入れるのではなく、「東京モデル」と称される革新的なサステナビリティ戦略を実行し、ワールドアスレティックスの最高評価であるプラチナ認定を獲得した。

大会で使用された電力の100%は再生可能エネルギーまたは環境証書によって賄われ、公式車両の100%が電気自動車や燃料電池車などの環境対応車で統一された。また、使用された製品の81%を会場から100キロ圏内で調達することで、輸送にかかる排出量を大幅に削減している。さらに、45万本以上の使い捨てペットボトルを水平リサイクルで処理し、放送用の臨時発電機には100%バイオ燃料を使用するなど、世界陸上において初の試みを次々と実現させた 。環境面でのマイナス影響を相殺し、大会にさらなる価値を付加したのが社会的なインパクトである。3744人のボランティアが計26万9568時間を提供し 、1時間あたり7.60ドル(約1140円)の労働価値と換算して204万ドル(約3億6000万円)に相当する社会的価値を創出した 。ボランティアの50%、出場選手の49%を女性が占めるなど 、ダイバーシティとインクルージョンの推進も徹底して行われた。

今秋、第20回となるアジア競技大会が名古屋で開催される。1994年の広島大会より32年ぶり、9月19日開幕となる同大会を成功に導くうえで、この世陸が重要な試金石となる点は間違いない。

 

 

【よくある質問(FAQ)】

Q1:ニールセンスポーツ(Nielsen Sports)とは何ですか?
A:世界最大級のデータ・分析企業ニールセンのスポーツ部門。スポーツイベントのスポンサーシップ価値やメディア露出、観客行動などを定量化・評価することを専門とし、IOCやWorld Athleticsなど主要競技団体に公式データを提供しています。本記事で引用されている「イベントインパクト評価リポート」もその成果物の一つです。

Q2:乗数効果とは何ですか?
A:ある地域への支出が関連産業を通じて連鎖的に広がり、最終的に元の支出額を上回る経済活動を生み出す現象です。観光客がホテルに宿泊すると、ホテルが地元業者から食材・備品を購入し、その業者が従業員に給与を支払い……という連鎖が起きます。本記事では1.61倍と算出されており、直接支出1ドルが最終的に1.61ドル分の経済活動を生むことを意味します。

Q3:ネット・プロモーター・スコア(NPS)とは何ですか?
A:顧客ロイヤルティ(推薦意向)を測る国際的な指標で、「この大会を友人や知人に勧めたいか」を0〜10点で回答してもらい、9〜10点の「推薦者」の割合から0〜6点の「批判者」の割合を引いた数値です。一般に50以上は「優秀」とされ、本大会の51(海外客限定では63)は高水準といえます。

Q4:OTTとは何ですか?
A:Over The Top(オーバー・ザ・トップ)の略で、テレビ局や通信会社のインフラを経由せず、インターネット回線を通じて映像コンテンツを配信するサービスの総称です。NetflixやAmazon Prime Video、DAZNなどが代表例です。本記事では従来のテレビ放送と合算した「総ブランドメディア価値」の算出に含まれており、スポーツ視聴のデジタル移行が評価に織り込まれています。

 

(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)

 

■ シリーズ・アーカイブの紹介

本連載は、スポーツを切り口に、ビジネスやテクノロジー、社会構造の変化を読み解く松永裕司によるコラムです。個別の競技やイベントを超えて読み進めることで、現代社会におけるスポーツの意味と役割を立体的に理解することができます。

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写真:2026年5月17日、MUFGスタジアムで開催された「セイコー・ゴールデングランプリ」の女子100mハードル決勝の様子

出典:Photo by Atsushi Tomura/Getty Images

 




この記事を書いた人
松永裕司Forbes Official Columnist

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 「あらたにす」担当/東京マラソン事務局初代広報ディレクター/「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。


出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。1990年代をニューヨークで、2000年代初頭までアトランタで過ごし帰国。

松永裕司

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