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.国際  投稿日:2026/9/22

中国の反日教育の実態 その5 日本鬼子という蔑称


執筆者:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授) 

「古森義久の内外透視」1106回 

 

■本稿のポイント 
・読本は共産軍ゲリラ指導者・楊靖宇が日本軍に包囲され、35歳で戦死した際の壮絶な描写を伝え、日本軍将校がその死を「中国の英雄だ」とつぶやいたエピソードを記述。 

 ・また、寧夏地方の回族指導者・馬本斎が共産党とともに日本軍と戦った経緯を「回族抗日英雄」として教えている。 

 ・抗日・反日の教育は、少数民族が共産党の指導のもとで日本軍と戦ったとする記述を通じ、国内の少数民族統治を支える教育材料としても使われている。 

 

中国の反日教科書は、共産党の抗日英雄・楊靖宇が日本軍に包囲され戦死するまでの壮絶な描写や、回族・リー族・ミャオ族など少数民族の指導者による「抗日」の物語を通じて、日本軍を一貫して「鬼子」と呼びながら教えている。国際ジャーナリスト古森義久氏が、少数民族統治にも利用される反日教育の構造を検証する連載第5回。 (Japan In-depth編集部)

  

◆共産軍ゲリラ指導者・楊靖宇の最期 

中国の小学校高学年用の読本「小学生が知らねばならない中国の10の話」の紹介をさらに続ける。日中戦争で日本軍と戦った主役はあくまで中華民国の国民党政権の軍隊だった。しかし共産党政権の中国では、共産党軍こそが抗日の主役だったとする歪曲を伝え続ける。この教科書の内容も同じである。小学生もその歴史の虚偽を一貫して教わるのだ。 

この読本の第4章「共産党がなければ、新中国もありません」のなかの一項目「蒋介石を追いつめ、日本と戦う」もその典型的な一例である。その項目と並ぶ同じ章の別項に「楊靖宇の国のための死」という記述がある。その内容は共産党の抗日英雄の大活躍だった。1931年9月の満州事変(中国側の呼称は9・18事変)の前夜から東北地方で戦ったとされる共産軍ゲリラ指導者の楊靖宇の活動ぶりが教えられるのだ。 

「楊靖宇らは祖国の東北地域で人民と密接な協力の体制をとり、粘り強く、勇敢に敵と戦いました。いたるところで日本軍の拠点を襲い、交通路を壊し、残虐な侵略者をやっつけました。(中略) 楊らの戦士たちはつぎつぎに敵に重い損害を与え、敵は楊の名を聞くだけで震えあがるようになりました」 

しかしその反日の英雄の楊靖宇も1940年2月にはついに日本軍に包囲されてしまう。中国側の兵士はみな倒れ、楊ひとりだけとなる。そこに100人以上の日本軍将兵が襲いかかり、降伏を求めるが、楊は跳ね返す。 

「楊靖宇は両手で激しく銃を撃ち、20数人の敵をさらに殺し、傷つけました。最後に彼は『武器を捨てよ』という敵の呼びかけにも応じず、全力をしぼり、『抗日連軍(共産党指揮下の抗日武装勢力)、万歳!』と叫びました。銃声が響き、わずか35歳の抗日将軍は雪のなかに倒れ。最後の血の一滴を流し出しました」 

「残虐な敵は楊靖宇の頭を切り落とし、腹を切り開きました。敵は最後まで戦い抜いた中国人がなにに頼って、がんばったのか知りたかったのです。だが敵にとって意外にも、楊の腹のなかには一粒の食べ物もなく、草の根や木の皮だけでした。敵はびっくりして言葉を失いました。そしてある日本軍将校はつい『楊靖宇こそ中国の英雄だ』とつぶやいたのです」 

日本軍がすでに戦死した敵軍の指導者の腹までを切りひらいてそのなかの食物や消化の状態までを調べるという残酷な行動をとっていたのか。その証明は簡単ではないだろう。だが中国側はそんなことをいとも簡単に断じて、小学生に教えるのである。そしていまの中国でも残虐な日本と戦ったことこそ、最高の国家的美徳とされるのである。 

 

◆少数民族統治にも使われる「抗日」の物語 

この小学生用読本でさらにおもしろいのは「抗日」が単に愛国心や共産党への忠誠だけでなく、中国政府を悩ます少数民族問題への教育材料とされている点である。 

この読本の第8章の「わが国は統一された多民族国家です」では寧夏地方などに住むイスラム教の少数民族の回族指導者が共産党とともに日本軍を撃破したことを「回族抗日英雄」として教えていた。 

「日本帝国主義者が侵略のため中国の大地に足を踏み入れた後、わが国の各民族は武器を取り、侵略者と必死に戦いました。回族の勇敢な部隊は司令官の馬本斎の指揮下、道路を破壊し、橋を爆破し、敵の拠点を襲い、巧みな戦術で日本の賊どもを痛めつけました」 

馬司令官は自軍の主力を日本軍の大基地の近くに忍ばせ、日本軍の小基地を襲って、大基地の部隊が救援に向かうところを待ち伏せ攻撃するという頭脳的な作戦をしばしばとった、というのである。 

いまの教科書でもそうした待ち伏せ攻撃などの描写では日本軍に対しては戦時の日本人への蔑称としての「鬼子」という言葉が一貫して使われる。 

「日本鬼子は馬本斎の包囲網に陥り、いっせい銃撃を受けました。馬らは100人以上の鬼子を一気に打ち倒しました。馬の回民連隊には日本鬼子はいつも敗れたのです」 

さらにこの読本の記述によると、日本軍は卑怯にも馬の母親を捕らえて、息子に投降を訴える。だが母は脅しに屈せず、絶食して命を失う。馬は共産党と力を合わせ、一層、激しく日本軍を撃破する。1944年2月に病死した馬は共産党の毛沢東主席からも百戦百勝の英雄として讃えられたという。 

同じ章のなかの「リー族、ミャオ族、共産党を探す」という項目では海南島に住むリー、ミャオという二つの少数民族が「貧しい人々のための共産党の指導の下、漢民族とともに日本の賊どもと戦い、追い出しました」という経緯が詳しく書かれていた。 

抗日、反日は中華人民共和国内の少数民族統治の支えにも使われてきたのである。 

 

◆日本との戦いだけが特別視される理由 

中国は中華人民共和国となってからも朝鮮戦争では韓国と戦い、アメリカと戦った。 

その後はベトナムとも短期とはいえ大規模な戦争を起こした。さらに歴史をさかのぼれば、中国の清朝はイギリスとも戦い、フランスとも戦って、いずれも敗れた。そして建国へと直接につながった中華民国、つまり国民党政府軍との内戦は共産党政権にとっては歴史上、最大の戦いだったといえよう。 

それでもなお中国共産党政権は日本との戦いを特別視して、特殊の意味を与え、自政権の最大の成果としてその戦いが終わって80年余りが過ぎた2026年のいまも最大の敵扱いするのである。その最も確実な証拠が中国の次世代に引き継ぐための反日の教育なのである。 

 

 (その6につづく。その1。その2。その3。その4) 

 

【よくある質問(FAQ)】 

Q1:「満州事変」とはどのような出来事ですか? 
A:1931年9月に起きた、日本と中国東北地方(満州)をめぐる軍事衝突です。中国側では「9・18事変」と呼ばれます。記事では、共産軍ゲリラ指導者・楊靖宇の活動が、この事変前夜から始まったとして教えられていることが紹介されています。 

Q2:「日本鬼子」とはどのような言葉ですか? 
A:戦時中に中国で使われた、日本人に対する蔑称です。記事で紹介されている読本では、日本軍に対してこの言葉が一貫して用いられています。 

Q3:「回族」とはどのような民族ですか? 
A:中国に住むイスラム教徒の少数民族です。記事では、寧夏地方などに住む回族の指導者・馬本斎が、共産党とともに日本軍と戦ったとする「回族抗日英雄」の物語が読本で教えられていることが紹介されています。 

Q4:楊靖宇とはどのような人物として描かれていますか? 
A:記事によれば、共産軍のゲリラ指導者として東北地方で日本軍と戦い、1940年2月に日本軍に包囲され35歳で戦死したとされる人物です。読本では、彼の死にまつわる詳細な描写や、日本軍将校が彼を「中国の英雄」と評したとするエピソードが紹介されています。 

(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部) 

 

トップ写真:日中戦争中の奉天事件を受けて満州に侵攻した日本軍 

出典:Keystone/Getty Images 




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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