[清谷信一]『記者クラブ』というシステム〜防衛省大臣記者会見後で非記者クラブ会員に圧力をかけるNHK記者の存在②
清谷信一(軍事ジャーナリスト)
[①を読む]
さて前回筆者は防衛省記者クラブ会員である、NHK政治部の鈴木徹也(てつなり)氏から、筆者の質問が個人的なことだ、質問に値しないと、侮辱を受けたことを述べた。そこれで自分の所属と氏名を名乗っての指摘であればまだしも、鈴木記者は独り言だとうそぶき、所属や氏名を尋ねると脱兎のごとく逃げ出した。
筆者はこのことをブログで彼が逃げ去る写真とともに公開した。この時点では彼の所属も氏名も不明だった。だが、その後本人から電話がかかってきた。ブログで自らの所業と写真が公開されたので不安になったようだ。彼は誤解があるので詫びたいという。だが非通知通話で詫びたいもないだろう。鈴木記者は筆者の事務所に電話してきて、筆者の電話番後を聞き出した。
事務所のスタッフは取材かと思って筆者の携帯の番号を教えたのだが、彼は番号を聞いたあとに「この番号で、非通知でも大丈夫ですかね?」と言ったそうだ。人様の携帯の番号を聞いておいて、自分の番号を秘匿するのは如何なものか。
鈴木記者は携帯に電話をかけてきて、筆者のことを「清谷先生」と呼んだ。あの発言のときは筆者と知らずに暴言を吐いたという。だが筆者は大臣に質問する際にも初速媒体名と自分の名前は名乗っている。鈴木氏は質問をきちんと聞いていたのだろうか。筆者は多忙だし、話しても益はないと拒絶したが、彼は筆者が不在時に事務所に二度も押しかけてきた。これは面会の強要であり、強要罪に当たる可能性がある。
その時彼は筆者のスタッフに自らの名刺のコピーを渡して帰った。このコピーには携帯電話やメールアドレスなどの情報が消されていた。このような改竄した名刺を残したということは「オマエは信用出来ない」と言っているも同じだ。筆者は記者クラブ内に知り合いもいるので、彼の携帯やアドレスなんぞ調べるのは簡単だ。
喧嘩を売っているとしか思えない。それほど筆者が信用できない人物であるならば、このような名刺のコピーを残すべきではないだろう。そもそも既に面が割れているので防衛省記者クラブで彼を特定することは造作も無い。なんでこんな簡単なことがわからないのだろうか。こういうところも鈴木記者の常識を疑いたくなる。
その後何度も鈴木記者から電話があり、どうしても一度会って話がしたいと言う。仕方がないので彼と会い、真摯な謝罪文を出せば今回のことは無かったとことにすると約束した。ところが鈴木氏がその後一週間も立って寄越した手紙は、筆者が個人的な質問をしたと主張し、自分の言動が「誤解」を招いたなら詫びるという自己弁護の述べたものであり、反省の欠片もなかった。
これは謝罪文でなく、自己弁護文、自己正当化文である。筆者は鈴木記者は誠意がない卑劣な人間であると判断し、彼の所属と氏名を公表することを決めたのだ。鈴木記者がこのような暴言を吐いたのは、筆者が記者クラブ会員の記者と全く異質な質問をすることが許せなかったではないだろうか。
テレビや新聞の記者と、筆者のような専門のジャーナリストは興味の対象が全く異なる。テレビや新聞のようなマスメディアは極めて広いマスの層に向かって最大公約数の情報を発信する。対して我々専門のジャーナリストは多くの新聞やテレビの読者は興味がないであろう専門的な事例を掘り下げていく。
例えば先ごろ公開された装輪戦車、機動戦闘車に関してマスメディアはその写真と簡単な説明をすれば足りてしまう。対して筆者は諸外国の同様の車輌と比較したり、機動性やネットワーク機能、あるいは部隊運用、調達予定などまで掘り下げる。主砲には何故105ミリ砲を採用したのだ、76ミリ砲や90ミリ砲などのより小さな砲や、30~40ミリ機関砲の方がいいのではないかなど、というような質問をするが、記者クラブの記者は通常このような質問を行わない。質問しても記事にはならない。
記者クラブの記者の質問と筆者ら専門誌の記者の質問はサッカーと水泳ぐらい異なるのだ。どちらが、正しい、間違った質問というものではない。それぞれ異なる媒体特性に沿った質問を行っているのだ。百歩譲って、筆者の質問に問題があるのであれば、鈴木記者は自分の所属と名前を名乗って、正々堂々と筆者に意見をすればよかったはずだ。わざとらしく本人に聞こえるように罵声を浴びせ、それを独り言だと言い張り、名前を聞くと走って逃げるのはまるで子供である。所属を名乗らなかったのは自分の発言が「皆様のNHK」としては適切ではない、と本人にも自覚があったからではないか。
逃げ出したのは筆者に恐怖を感じたそうだが、筆者は多少語気を強めたぐらいで別に拳を振り上げたわけでもない(因みに筆者は「一見善人風」の外見であるので、むしろ舐められ易い方なのだが)。ジャーナリストは時に権力と激しいやり取りをする場合もあり、度胸が無いと務まらない商売である。筆者は実際に過去陸幕広報室か不合理な理由で訴えるぞと脅かされたこともある。フリーランスの人間は時間や費用がかかる裁判を嫌うからだ。
また空自の広報室からは彼らの意にそぐわない記事を書いた時、筆者ではなく編集長が恫喝された。これまた編集部に圧力をかけると、書き手はその媒体からの仕事が来なくなるのではないかと萎縮するからだ。筆者は両方の件とも一切屈せず、相手から謝罪を引き出した。そういう胆力が必要なのだが、鈴木記者にはそのような度胸があるようには思えない。
防衛省、自衛隊は警察と並ぶ暴力装置である(最近は暴力装置という言葉は自民党の佐藤正久氏の言葉狩りにあって、実力組織と称するらしいが)。鈴木記者のような記者がこのような組織の取材をするのに十分な資質をもっているのか疑問である。そもそも仕事の場で自らを名乗らず、他人を罵倒するということは記者以前、社会人として失格だ。NHKでは取材現場で実名を隠して他人を罵倒せよと記者を教育しているのか。
今回の鈴木記者の言動は歪んだ記者クラブの特権意識の発露ではないだろうか。記者クラブというシステムは、自分たちと異質なジャーナリストを締め出している。それがこのような勘違い記者を生む温床になっているのではないだろうか。
もう一つの原因はマスメディアの匿名主義ではないか。新聞ではほとんどの記事が匿名で書かれている。これは他国の新聞と比べて極めて顕著だ。テレビでは原稿を書いた記者の名前がでることは更に少ない。つまり、個々の記者が自分の書いた記事に対して責任を取る必要がない。
これが記者の無責任体質を生んでいるのではないだろうか。本サイトでも書いたが、福知山線事故の時に、筆者は記者会見で暴言を吐いた読売新聞記者の氏名を調査し、公表した。後日読売新聞はその記者の行状を詫びる記事を掲載したが、そこにはその記者の氏名は載っていかった。
匿名記事では責任の所在が明らかにされず、●●新聞とか、●●テレビという組織で責任が薄められてしまう。しかも匿名をいいことに、視聴者や読者の指摘を退け、誤りを認めないこのような風潮がマスメディアにはある。
問題記事や事実上の間違いがあっても、マスメディアは担当記者やデスクの名前を出すことはない。筆者は専門のジャーナリストとして何度もNHKを含むメスメディアに対して記事の間違いを指摘したことがあるが、多くの場合担当記者の氏名も開示せず、訂正も出さなかった。
マスメディアは記者のプライバシーや身の安全を守るためだと主張するが、我々フリーランスのジャーナリストは自分の名前を出して仕事をしている。全責任は自分にかかってくるし、責任も負う。しかもマスメディアの記者のように会社が守ってくれているわけでない。そのようなフリーランスの人間がやっていることを、より有利な、より安全な立場にあり、リスクも低いマスメディアの記者ができないのだろうか。
今回の件は鈴木記者の個人的な資質に大きな要因があるにしても、これら記者クラブの歪んだ特権意識と、匿名性が背後にあるのではないだろうか。なお鈴木記者およびNHKからの反論を歓迎する。また筆者は公開討論にも応じる用意がある。
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