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.国際  投稿日:2017/5/5

朝鮮戦争は「誤算の連鎖」 金王朝解体新書 その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・1950年北朝鮮軍はソウルを占領。

・米・韓軍、戦略見誤るも、結局1953年に停戦成立。

・朝鮮戦争から独裁者らの「誤算の連鎖」が見て取れる。

 

■未だ終結していない朝鮮戦争

1950年6月25日、北朝鮮軍は38度線を突破。韓国領になだれ込み、わずか3日後にはソウルを占領した。

1953年7月23日に停戦が成立するが、現在もこの状態が続いており、言い換えれば戦争は未だ公式に終結していないのである。

3年あまりの戦争期間中、北朝鮮軍が半島南端のプサン付近まで迫ったかと思えば、米軍を中心とする国連軍がピョンヤンを占領した上、中国との国境地帯まで迫り、最後は38度線付近で膠着状態となって停戦に至る、というように、ローラーをかけるように戦線が半島全土を往復した。この結果、250万人以上の人的被害(うち170万人が民間人)が生じ、多くの家族が南北に離散することとなってしまった。

 

■開戦に至る経緯

まず、開戦に至る経緯だが、キム・イルソンが開戦を決意したのは、1949年3月にモスクワを訪れ、ソ連の独裁者だったスターリンと会談し、武力統一の方針を承認されたからであるとも、1950年1月の「アチソン・ライン演説」を受けてのことであるとも言われている。米国のディーン・アチソン国務長官が、

「合衆国は、アリューシャン、日本列島、沖縄、フィリピンを結ぶ線を、共産主義に対する防衛線とする」

と演説したのだ。

ソ連の勢力が太平洋にまで拡大することは許さない、との主旨であったが、これが結果的には、キム・イルソンとスターリンに対する、誤ったメッセージとなってしまった。

御用とお急ぎでない向きは、地球儀か世界地図と照らし合わせていただきたいが、朝鮮半島はこの「防衛線」の外側に位置している。

たとえ北朝鮮軍が南進しても、米軍は直接介入しないのではないか、と考えられたのだ。

この考えは、あながち荒唐無稽と笑い飛ばすこともできない。

なぜならば、当時の米軍筋は、むしろ韓国軍が北進して武力統一を企てるのではないか、と真剣に心配し、その事態を防ぐため、戦車や重砲の供与を見合わせていたからである。

もともと創設当初の韓国軍には、旧日本陸軍の士官学校で教育を受けた者が相当数おり、その分だけソ連製近代兵器の威力を過小評価する傾向があったようだ。人口において韓国が北朝鮮の二倍を超えていることを根拠に、

「ソ連がでっち上げた〈共和国〉など、簡単に制圧できる」

などと大言壮語する向きが多かったと伝えられている。

対する北朝鮮の側は、たしかに人口では韓国に劣るが、もともと朝鮮半島においては、鉱工業が北部に集中し、南部は農業地帯であったという事情があって、発電量や工業生産高の面では、韓国を圧倒していた。加えて、南進統一を支持したソ連から、200輌近い戦車をはじめ、大量の近代兵器を供与されていたのである。

さらには、朝鮮族の中国人兵士が、3万人以上も北朝鮮軍に参加した。

彼らの多くは、日本軍と国民党軍を相手の実戦で鍛え上げられており、ソ連の戦車学校で教育を受けた者までいたと伝えられるほどスキルも高かった。

 

■スターリンの目論見

こうした軍事的優位に加え、1949年に中国革命が成功した(同年10月1日、毛沢東が北京の天安門上において、中華人民共和国成立を宣言)の余勢を駆って、一挙に東アジアを共産化できるというのが、スターリンの目論見であったと衆目が一致している。

その上さらに、韓国内の政治不安という要素もあった。独立直後の政治的混乱は、南北ともに見られたのだが、北朝鮮においては、当初からソ連の信任を得ていたキム・イルソンが、いち早く朝鮮労働党を旗揚げして権力争いを制し、独裁体制を確立していた。

そして、地主階級はじめ富裕層の財産を没収して農民に分配し、権力基盤を固めたのだ。すでに述べたように、産業やインフラでも韓国を圧倒しており、その生産力を背景に、

「格差も貧困もない〈地上の楽園〉が実現しつつある」

などと、さかんに宣伝した。

一方の韓国だが、イ・スンマン政権は、前述のような事情で北朝鮮において迫害され、韓国領内に逃れてきた旧富裕層を、優先的に公職に就けるなど優遇した。高等教育を受けた者が多いから、という理由づけは一応あったのだが、庶民の不満は高まり、共産主義者の宣伝とも相まって、ついには反政府デモが頻発し、暴動に発展する事態が頻発するようになったのである。

当時キム・イルソンのもとには「南朝鮮における革命的情勢」についての報告が連日届いていたことは疑う余地がない。やがて彼と、彼の後ろ盾である毛沢東やスターリンは、

「人民軍(=北朝鮮軍)が南進し、3日でソウルを制圧したならば、たちどころに20万人の共産主義者が武装蜂起し、統一が達成できる」

と信じ込むようになった。そして事実、38度線を越えて韓国になだれ込んだ北朝鮮軍は、3日後にはソウルを占領する。

 

■独裁者らの判断の誤り

しかし、共産主義者の武装蜂起などおきなかった。イ・スンマン首相ら韓国政府首脳がソウルから脱出する際に、多数の市民を見捨てて橋を爆破するという醜態を演じたにも関わらず、である。

私見ながら国家でも企業でも、独裁的な権力を振るうような人には、自分にとって都合のよい情報しか信じない、という傾向があるように思う。当時のキム・イルソンやスターリンもそうであったし、かつてはアドルフ・ヒトラーが、スターリンの恐怖政治によってソ連国民の団結など失われており、

「ドアを蹴破るだけでよい」

と信じてソ連に侵攻した。結果は、ご承知の通りである。

独ソ戦にせよ朝鮮戦争にせよ、その犠牲の規模たるや、独裁者の判断の誤りで済まされる話ではない。

こうした歴史から、現在の我々が学ぶべき事柄は、まだまだ数多く残されている。

(本記事は、その1その2の続き。その4に続く)


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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