[為末大]子供のままでいる安全性〜“いい子”になるとは“思った事”ではなく“どう思われるか”を中心に考える事
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
子供の頃、友達の家に泊まりに行った時のこと。優しそうなお父さんとお母さんが迎え入れてくれて、御飯を食べた。気になったのは、友達があまりにも普段と違う事。いつもはちょっと“ひねくれ屋”で、思った事を言うタイプなのに、家では前向きで皮肉なんて言わない。
何年かしてまた、友達の家に遊びにいった。彼はもう中学生になっていて、お父さんとも少しよそよそしかった。ふとした他愛もない話でお父さんが言った事に、友達は「でも僕は・・・」と意見しようとした。いつもは優しいお父さんが急に、「お前はそんな子じゃないだろう」と諭して、友達はすっと口を閉じた。
友達の両親が笑顔で「愛しているよ。お前がそのままでいる間は」と言っているような気がした。家にいる時の彼は、極端な子供っぽさと素直さが強調されて僕は気味が悪かった。今考えてみれば、彼は生き抜く為に適応したんだろうと思う。
そのままの自分でも安全だと思えるからこそ、私達は“私達”を出すのだと思う。ところが“周囲の力を持った人”が、期待を強く持つタイプだとすると、相手に期待されるままでいる間は安全で、「それからずれると愛を失ってしまうのではないか?」という恐れを抱く。
子供の頃に刷り込まれた、いい子でなければ愛されないという感覚は、大人になって根強く刷り込まれる。ふとした時に“いい子”になってしまう。“いい子”になるという事は、“思った事”ではなく“どう思われるか”を中心に考えるという事で、そこには無邪気な自分がいない。
“いい子”ではなく“戦えない子”、“素直”ではなく“従順”、“みんなに好かれている”のではなく“嫌われる勇気がない”
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