シリア難民中継国ギリシャの苦悩
久保田弘信(フォトジャーナリスト)
【まとめ】
・ギリシャは2010年の通貨危機以来、経済状況は悪化、若者の失業率がほぼ約50%に。
・多くのシリア難民がギリシャに留まっているが今のところテロなどは起きていない。
・難民をサポートするギリシャ人のホスピタリティが報われる日を願う。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真の説明と出典のみ記載されていることがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=37364で記事をお読みください。】
■通貨危機から脱しきれないギリシャ
ギリシャというと多くの日本人が想像するのは、古代遺跡パルテノン神殿やアクロポリス遺跡群ではないだろうか。そして次に思い浮かぶのが、2010年の通貨危機だろう。ギリシャの通過危機はヨーロッパ全体だけでなく、遠くアジアの国々、日本にも影響を及ぼした。2度に渡ってEUとIMF(国際通過基金)から総額2400億ユーロの支援を受けたギシリャは、EUとIMFのオーダーにより、増税・年金改革・公務員改革・公共投資削減などの緊縮財政政策を行わざるを得ない状態に。また2015年には、25歳未満の若者の失業率が49.7%になり、ほぼ半数の若者が職につけなくなっている。
古代遺跡と通貨危機の国、そんなイメージが先行するギリシャに取材で訪れることになった。
写真:世界遺産としてしられるアクロポリス遺跡群
■落書きだらけの街、首都アテネ
ギリシャの首都、アテネの第一印象は“落書きだらけの街”だった。アテネはメトロ、トラム、バスが発達しており、料金は行き先ごとでなく時間単位で決まっている。24時間乗り放題のチケットが4.5ユーロ。日本円に換算すると600円弱。一駅乗っただけでも200円近くかかる日本と比較すると、かなりお得な価格設定になっている。
アテネの駅に改札はなく、買ったチケットを最初だけポストのような機械に入れ、使い始めの時間を印字する。その後は、何度乗ってもチケットを改札に入れることもなく、見せる必要もない。チケット無しで乗った場合、60倍の罰金があるそうだが、そんな取り締まりを見たことがない。まさに性善説で成り立っている国だ。
写真:大胆に落書きがされたメトロ車両
©久保田弘信
しかし、メトロやバスは落書きだらけ。メトロは港町ピレウスに向かう路線が、ほぼ全ての車両に落書きが施されている。その落書きがちょっとアーティスティックでカッコよく見えてしまうのが、良いのか悪いのか…。
2017年になっても通過危機の影響は残っており、アテネ中心部のオモニアスクエア、シンタグマスクエアというメトロの駅直結の一等地でさえ、一本裏路地を入るとシャッター街が広がり、閉店してしまった店のシャッターには至る所に落書きが施されている。通貨危機以前のギリシャを訪れたことがなく比較できないが、経済破綻の影響は拭いきれない。
写真:シャッター街が増えたアテネ中心部
©久保田弘信
いくつもの世界遺産が存在するアテネは、観光も大きな収入源だ。その観光客も減っているらしい。タクシードライバーと話したら、「日本人のお客さんを乗せるのは久しぶりですよ。3~4年前は、たくさんの日本人が来てくれていたけど、めっきり減ってしまいましたね」という。トルコや他のヨーロッパ諸国と違い、今のところ、テロの危険性は少ないギリシャ。それでも観光客が減ってしまったのは、経済破綻に対する悪いイメージからだろうか。
写真:歴史的な建物の周辺にまで落書きがされているのが現状。
©久保田弘信
■ギリシャを悩ませる難民問題
ギリシャが近年、新たに抱えているのが難民問題だ。シリアの内戦が5年も続き、トータルで500万人近い難民が発生している。その多くが、安住の地を求めてヨーロッパを目指す。
シリア難民がヨーロッパへと向かう代表的なルートが、トルコのイズミルからギリシャのレスボス島へ。そこから首都アテネへと渡る道のりだ。ギリシャはヨーロッパの中でも、とくにドイツを目指す難民の中継地点になってしまったのだ。
写真:ドイツに向かうシリア難民の少女
©久保田弘信
あまりの難民の多さにヨーロッパ各国が国境を閉鎖すると、行き場を失った難民は、ギリシャに留まらざるを得なくなった。通貨危機から抜け出し切れない状況のギリシャが、難民という新たな重荷を背負うことになったのである。
多くの難民は、ギリシャまで辿り着けば、ドイツなど比較的豊かな国まで行けると信じ、命懸けでトルコからギリシャへの海を渡った。ところがギリシャから先のルートは閉ざされてしまい、難民のほとんどが動くことができなくなってしまっているのだ。
不安と不満が募るばかりのシリア難民は、「ギリシャが嫌いなわけではないです。ギリシャ人は偏見もなく、私たちに優しくしてくれます。でも見てください、ギリシャ人でさえ仕事がないのに、私たち難民が、この国で仕事ができるはずがありません」と語っている。
この1年、ギリシャに留まるしかなかった難民に再びチャンスが訪れ始めた。EUが各国の難民の受け入れ人数を相談し、ギリシャからのリソケーションプログラムがスタートしたのだ。
UNHCRのオフィスへ行くためにオモニアスクエアからメトロに乗ろうとした時、何台もの観光バスが停まっていて、アラビア語が飛び交っていた。中東の人達の団体旅行かと見てみると、バスにはIOM(国際移住機関)のステッカーが貼ってあった。
偶然にも、難民たちの移動に出くわしたのだ。すぐにIOMのスタッフにインタビューすると、今日だけで650人ものシリア人がドイツへ行くと教えてくれた。
オモニアスクエアの周りには、ドイツへ行くことになったシリア難民と、それを見送るギリシャに滞在中のシリア人でいっぱいになっていた。その中にはご近所だったのか地元のギリシャ人の姿もあり、長く滞在していたギリシャからの旅立ち、その別れを惜しむ姿があちこちで見られた。
写真:ドイツへ移住するシリア難民を見送りにきた仲間たち
©久保田弘信
一時期、ユーロからの離脱もあるかと思われたギリシャは、EUとIMFの支援によって、なんとか経済を持ち直そうとしている。ギリシャ人のいいところは、楽観的で明るいところだ。経済の話をすると、「そのうちなんとかなるよ」と笑顔で答える人が多い。EUの他の国々からすれば、「もっとシリアスに考えて、早く経済を立て直しなさい!」と言われそうなほど、楽観的というより能天気な面があるのかもしれない。
近年、ヨーロッパのあちこちでは難民排斥運動が起き、それに呼応するようにテロ事件が頻発している。ギリシャは多くの難民を抱えているにも関わらず、大きな事件が起きていない。それこそが、ギリシャ人のホスピタリティの為せる業なのかもしれない。自国の経済が良くないにも関わらず、難民を受け入れている…。そんなギリシャの未来に期待したい。
TOP画像:通貨危機後、首都アテネの中心部でさえシャッターが閉まり、閑散とした街並みに。
©久保田弘信
あわせて読みたい
この記事を書いた人
久保田弘信フォトジャーナリスト
岐阜県出身。大学で物理学を学ぶが、スタジオでのアルバイトをきっかけにカメラマンの道へ。パキスタンでアフガニスタン難民を取材したことをきっかけに本格的にジャーナリストとしての仕事を始める。9・11事件の以前からアフガニスタンを取材、アメリカによる攻撃後、多くのジャーナリストが首都カブールに向かう中、タリバンの本拠地カンダハルを取材。2003年3月のイラク戦争では攻撃されるバグダッドから戦火の様子を日本のテレビ局にレポートした。2010年戦場カメラマン渡部陽一氏と共に「笑っていいとも」に出演。