[山田厚俊]<政治家は入念なスピーチ対策が不可欠>安倍晋三首相が広島・長崎の平和記念式典でスピーチ原稿をコピペ
山田厚俊(ジャーナリスト)
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コピー・アンド・ペースト、いわゆるコピペは、STAP細胞問題で世界中で注視された理化学研究所の小保方晴子氏だけではなかった。安倍晋三首相が8月6日に行われた広島市の平和記念式典、さらに9日の長崎市での平和祈念式典のスピーチ原稿が昨年と同じだったと指摘された問題だ。
さまざまな議論が沸き起こっている。
「被曝者を軽視した無神経なあいさつ」と一刀両断する意見もあれば、「重箱の隅をつつくような議論」と一笑に付す意見もある。「パフォーマンスのように言葉を変えるだけの方が不謹慎。儀礼的で同じ言葉でも思いは伝わる」との声もある。
問題は「政治家の言葉」だ。言葉だけが浮ついて、行動が伴わなければ、政治家として失格なのは言うまでもない。しかし、政治家の言葉はとても重要で、その時の一言一言が喝采を浴びたり、支持を得たりする。一方で、政治生命を落とすことだってある。
日本の政治家は、スピーチを重要視してこなかったとの指摘もある。確かに、国際舞台のなかで、日本の首相の言葉が他国のメディアで大きく取り上げられることはあまりなかった。手に持った文章を読むため、ずっと俯きながら話すさまは、見栄えもよくない。
原稿のうまい下手は、誰にでもある。米国では「専属のスピーチライターが大統領選のカギを握る」とまで言われているのだから、自ら書かなければいけないとは思えない。
だからこそ、今後は入念なスピーチ対策が不可欠だと思うのだ。「コピペをして何が悪い」との声には、コピペだったと知った被曝者たちがどう思うのか、そのことに思いを馳せれば、自ずと、違った表現にするなり、「昨年も同じことを申しましたが」と一言断りを入れる配慮が出来ただろう。
安倍首相本人とともに、ブレーンたちの配慮ミスは否めないのだ。しかし、他の政治家は他山の石ではなく、自らを律して今後はスピーチ対策も十分にしてほしいと願ってやまない。
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