[為末大]<近さと甘えと一体感>上下関係や組織の掟が厳しい場所には「強い甘え」が存在している
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
だいぶ昔、テレビで芸能人の方が、お世話になっている大先輩のことを「おとうさん」と呼んでいるのを見たことがある。人間関係が近くなりすぎて家族のようになっているのをみて、不思議と田舎を思い出して、それがすごく面白かったのを覚えている。
スポーツの世界もそうだけれど、誰かと仲がいいとか、どこどこ出身であるということなど、恩と義理が効く世界は、人間関係が近い。そこでは一体感を感じて心地よい一方で、空気を読めなかったり組織の戒律にしたがえないと排除される。
子供の頃から、自分も含め、人間が甘える瞬間にとても興味があった。声色が変わったり、相手をうまく立てたり。けれども一番の甘えは、「服従」というか「一体になろうとするような心理」だったように思う。「同化」しようとすることで甘える。
ヤンキーの友達の集まりにいった時も、暴力的で危険さが強調されている一方で、内部は、甘えと一体感の空気が充満していた。滅私奉公も、公に身を投げ出すことで安心感を得る側面がある。上下関係や組織の掟が厳しい場所には、だいたい強い甘えが存在している。
お母さんの言うことを聞いている間は、結果、責任はお母さんのせい。組織の掟に従っている間は、組織の責任。宗教の戒律に従っている間は、戒律の責任。自分で価値観を決め意思決定をした途端、とてもくるしい自己責任の世界がやってくる。
憧れのアイドルと「同じ」格好をする。「同じ」特攻服を着る。「同じ」シンボルを掲げる。「一体感」、「近さ」、「甘えたいという欲求」、「居場所があるという安心感」。せっかく母と一体だったのに、急に世間に放り出されて、一人にされた切なさで泣いているように見える、と言ったのは誰だったか。
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