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.政治  投稿日:2015/1/2

[西田亮介]【今の政治は「潮止まり」の状態】~人口減少社会到来に目を向けよ~


西田亮介(立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)

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「潮止まり」という言葉を知っているだろうか。知っているのは、きっと海好きの人に違いない。海には、潮の満ち引きがあり、海面の高さが動いていることはよく知られている。引きいっぱいを干潮、上げいっぱいを満潮という。干潮から満潮にかけて、少しずつ海面は高くなり、満潮から干潮にかけて、少しずつ低くなっていく。

ところが、干満潮を挟んで、潮位の変化がほとんど感じられない時間帯がある。感覚的には、30分にも満たない時間だろうか。その時間帯のことを「潮止まり」という。釣りの世界では潮が動かないので、釣果が期待できない時間帯として知られているし、サーフィンを始めとするマリンスポーツでは、波がこない時間帯とされている。

2015年はどのような年になるのだろうか。マクロのトレンドで見ると、日本社会は確実に、政治、経済、社会保障、いずれの面から見ても相当に厳しい少子高齢化の道を歩んでいる。

出生数が200万人の規模を超える、おそらくは最後の世代となる団塊ジュニア世代も、40代になろうとしている。しかし彼らの結婚出産にとっての生物学的に適した時期を、政治的にはほぼ無策のまま通過してしまった以上、人口減少社会も、少子高齢化社会も避けることはほぼ不可能に近い。

2020年の東京オリンピックを控えた特需も、そしておそらくはアベノミクスもカンフル剤にはなれども(むろんカンフル剤は必要だろうが)、人口動態上の変化を完全に覆い隠すことはできない。

このような文脈に照らすと、2015年は、一つの節目である。巷では戦後七十周年が話題になっているが、裏を返せば、戦後生まれが70歳代に突入し、制度的には高齢者の仲間入りを果たすことを意味する。数年の後には、人口ボリュームが極めて大きい団塊世代が高齢者になり、換言すれば、介護医療等社会保障費の支出急増が予想される。

内閣府が2014年に公開した『平成26年版 高齢化白書』は、このような社会について、以下のように記述している。

「昭和25(1950)年には1人の高齢者に対して12.1人の現役世代(15~64歳の者)がいたのに対して、平成27(2015)年には高齢者1人に対して現役世代2.3人になっている。今後、高齢化率は上昇を続け、現役世代の割合は低下し、72(2060)年には、1人の高齢者に対して1.3人の現役世代という比率になる」(内閣府『平成26年版 高齢化白書』p.6より引用)

かつての厚労省の言葉に倣えば、我々は、多くの若者が高齢者を支えた「胴上げ型」の社会から、少数の若者が高齢者を支える「騎馬戦型」を経て、「肩車型」の社会に踏み入れようとしている。(厚労省「今後の高齢者人口の見通しについて」)

もちろん、このような比喩は、現行の制度から見たときのものであるという留保が付くので、必ずしも妥当なものではない。たとえば、戦後すぐの時代は、人口構成こそ厚労省の指摘のとおりだが、現在のような制度が存在しなかったので、当時の高齢者は、現代日本のような社会保障に組み込まれていたわけではないからだ。

だが、負担の変化に想像力を向かわせるという意味では、よくできている。経済成長不要論や定常社会論も流行しているが、社会保障費の増加がほぼ確定している以上、経済成長のロジックがないことには、この社会は現状を保ち続けることさえ困難といえる。

もう一つ、少子高齢化社会を若年世代の側から眺めてみると、近い将来のトピックとしては、大学業界で「2018年問題」として恐れられている問題がある。近年百数十万人で安定していた18歳世代の人口が2018年頃から再び減少を始めることに端を発する。

これまで人口の減少を大学進学率の伸びで大学業界はかろうじて補ってきたが、現在でさえ私立大学の約4割で定員割れが指摘されている。大学進学率の伸びは人口減少に対して顕著ではないので、このままいくと大学経営の悪化がいっそう進むといわれている。

人口動態の変化は、これまで当たり前だった社会インフラを支え続けることを困難にする。このように少子高齢化の影響は、いろいろな業界でより顕著なものになっていくだろう。

問題は、人口動態の変化とその影響の顕在化が少しずつ進行することだ。潮の満ち引きのように確実に生じているのだが、メディアの特集や政治的な介入など、ある閾値を超えるまでは、人々に意識されることはない。そして、それらが本格化するのは、大半の高齢化した日本の政治家の政治的寿命よりも先の話だ。

負担の分配に関する政治的決定は、日本では政治の鬼門とされている。たとえば、これまで幾つもの政権が、消費税問題の処理を間違えたことがきっかけで倒れてきた。記憶に新しいのは、2010年の参院選直前の、当時の菅直人首相の発言だ。唐突に、消費増税の可能性について言及し、直後の参院選で敗北を喫した。この敗北で再び衆院と参院の第1党が異なるねじれ国会となり、民主党政権にとって命取りになった。政治家、あるいは政党にとって、負担の分配に関する話題は触れたくない話題に決まっている。

2014年の衆院選も、政策論争なき選挙だった。少なくとも前述のような人口動態の変化にどのように向き合うか、また社会保障の改革をどうするかという問題に対する展望は全くといって良いほど争点となることはなかった。

2014年の解散は、政治評論家田崎史郎の『安倍官邸の正体』(講談社、2014年)によれば相当に用意周到に計算されたものであったとされているが、野党の態勢も整わず、今後の政治日程に目を向けても、確かに絶妙な時期の解散だった。

筆者と毎日新聞社の衆院選に関する共同研究「イメージ政治の時代――毎日新聞×立命館大「インターネットと政治」共同研究」によれば、有権者の多くが現在の政治に対するいらだちを感じているにもかかわらず、選択肢不在のなか、そして政策論争さえ生じないなかで、与党を支持する/支持するほかない、という一見、不思議な知見が観察された。

制度設計や政策設計の手腕が重要な時代局面を迎えているにもかかわらず、それらが正面から議論される機会は多くはない。同時に、政治に対する印象形成とその技法は、ますます高度化していくなかで、まともな政策論争がないままに、政治的選択を行っているようにも見える。

政治日程としては、2015年以後も、政治と直接的な政治参加の機会としての選挙は数多く控えている。代表的なものとしては、多くの地方選挙が実施される4月の統一地方選挙、関係者に限られるが秋の自民党総裁選、2016年の参院選である。

せめて、どの政党と政治家が前述のような人口動態上の問題を含め、とくに負担の分配が必要になる主題を取り上げているのかについて、関心を向けてみたい。

いろいろな議論があるが、物理的な1票が直接明日の政策を変える可能性は、少なくとも定量的には極めて小さい。だが、今、享受している生活と社会が、大きなダウントレンドにおける一瞬の「潮止まり」のようなものであることを思い起こしてみてもよいのではないか。

 

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