本音が言えない社会のリスク

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
よく日本人は本音を言わないというけれど、最近発言が本音だと考えられすぎているのではないかと思うようになって、その経緯を誰から頼まれたわけでもないけれど書いてみたい。
例えば、仮にあるプロジェクトが厳しい状況に置かれている時に”このプロジェクトは失敗する可能性があるのでシュミュレーションをしておきましょう”と発言するとする。そうすると”このプロジェクトは絶対に成功させなければならないのだから、失敗したときのシュミュレーションなんてする必要はない。そんなことを考えていたら本当に失敗するぞ”と言われたりする。言ったことは思っている(望んでいる)ことにされるとしたら、基本的にみんなにとって都合が悪いことを言えなくなる。
・私はこうであってほしい
・現実はこうではないか
・着地点
だいたい私が考えた感じだとこの三つぐらいが発言する時には混ざっている。例えば私の得意技の努力は報われるかという話でいくと
・努力は報われるべきだ。頑張った人は全てうまくいってほしい
・努力は報われるとは限らない。成功の要因は幾分か運に左右されている。
・子供は夢を持つべきだが、人生のどこか(10代から20代の間)で、諦めやすいきっかけをつくり、ただ頑張っても報われないということを受け入れ、自分は何が得意か、現実的にはどれをやれば価値を提供できて仕事になるかを考える仕組みがあった方がいい。
口に出したことは現実化するということを比較的日本では信じていると思う。言霊の国。負けかもしれないと言ったら、その言葉が出るくらい弱気になったんだから本当に負けるぞと言われる。だから最悪の想定というのが非常に議論しにくい。
最悪を想定し言葉にし、議論をしていること自体が、弱気そのものに見える。言えば現実に起きるから、現実に起きてほしいことを議論する癖がつく。結果として前向きな空気ではあるが、みんなが薄々気づいているもっとも根深い問題点や最大のリスクは議論されないまま空気が流れていく。
確かに言葉に出したことが現実化するというのはある程度本当だろうと思うけれど、大東亜戦争の終盤に日本が負ける可能性を口に出さなかったところで大逆転はなかっただろうと思う。ある程度は言霊の力はあるが、マクロに勝てるほどではないと思う。
議論は見方の提示だと思う。日本人は自分の意見がないとよく言われるが、自分の意見しかない問題もあるのではないかと思う。
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

