マルコスは独裁者か英雄か フィリピン“英雄墓地”埋葬問題
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
9月28日はフィリピンの故フェルナンド・マルコス元大統領の命日である。1989年に亡命先のハワイで死去して以来、毎年巡ってくる命日だが、今年は例年とは異なり命日を前にマニラ市内などで「反マルコス」の集会やデモが頻発している。それはマニラにある「英雄墓地」にマルコス元大統領を埋葬することの是非についての賛否が渦巻いているからで、いわば「英雄」なのか「独裁者」なのかという評価を巡る熱い議論が噴出、今なおマルコス評価が「棺を蓋いてなお定まらず」状態にあることを示しているのだ。
マルコス元大統領の遺体は、ルソン島北部北イロコス州バタックにある実家敷地内の「マルコス記念博物館」に隣接する特設霊廟に冷凍保存されており、いつでも英雄墓地に移動して埋葬が可能な状態を維持している。遺体はマルコス一族、そして熱烈な支持者の熱望でもある「英雄墓地」という安眠の地への埋葬を実に27年もの長い間待ち続けて今も仮の眠りについているといえる。
冷凍遺体は一般公開されており、荘重な音楽が流れ冷気に満たされた廟内部で特殊保存措置がほどこされた遺体と対面することができる。以前イメルダ夫人が訪問してガラス越しにキスをする写真がネットに流出してから監視が厳重になり、内部は撮影厳禁となっている。
■ドゥテルテ大統領の容認で事態が急転
9月22日、マニラ首都圏ケソン市ウェルカム・ロトンダ広場からマニラ市メンジョラ橋まで約5000人の市民が行進した。掲げたプラカードや横断幕に「マルコスは英雄ではない」などと書かれていたように、マルコス元大統領の英雄墓地反対を訴える市民のデモ行進だった。
こうした英雄墓地埋葬反対のデモや集会は8月14日にもマニラ市のリサール公園で開かれ約1500人が参加。この日同じような反対集会はルソン島北部のバギオ、ミンダナオ島のダバオ、ビサヤ地方のセブなどでも開かれ、フィリピン各地で市民が反対の声を上げた。
これは6月30日に就任したドゥテルテ大統領がマルコス元大統領の遺体の英雄墓地埋葬を容認したことがきっかけとなっている。フィリピンの歴代大統領に対し、妻のイメルダ下院議員、長女のアイミー北イロコス州知事、長男でこの間の大統領選で副大統領に出馬したフェルディナンド・マルコス・ジュニア(愛称ボンボン)上院議員ら政界に依然として影響力を残すマルコス一族、出身地の北イロコス州を中心とする熱烈なマルコス信者らは「英雄墓地埋葬」を長年強力に要請してきた。しかし、マルコス時代に抑圧を受けた学生、人権活動家、野党勢力など幅広い市民の間に残る根強い「反マルコス感情」に配慮して、どの大統領も決断することができなかった経緯がある。
過激な発言と強硬手段で何かと物議を醸し、国際舞台でのニュースメーカーとなっているドゥテルテ大統領が容認姿勢を明確にしたため、一気に「英雄墓地埋葬」が具体的に動き出し、命日を前にした9月18日の移送・埋葬が一度は決まったのだった。
■最高裁が埋葬を一時凍結
ところが反対派をまとめる市民連合バヤンなどが中心になってフィリピン最高裁に「英雄墓地埋葬の一時差し止め」を求める訴訟を起こしたところ、最高裁がこれを認め10月18日までの「埋葬凍結」が決まった。
このためドゥテルテ大統領が推し進める英雄墓地埋葬は約1カ月延びた形になっているものの、反対派はさらなる法廷闘争と運動の拡大で「絶対阻止」を目指しており、最高裁の凍結期限切れの10月18日に向けて混乱が予想される事態となっている。
地元紙などによると歴代大統領がやろうとしなかった「火中の栗」をあえてドゥテルテ大統領が拾おうとする理由は「父親がマルコス内閣の閣僚を一時期務めたことがあり、恩義を感じているため」と説明、個人的感情に基づく措置に対し「広く国民の感情を反映したものとは言えない」としている。
■天皇皇后両陛下も訪問した英雄墓地
マニラ国際空港の東側ダギッグ地区に広がる広大なフィリピン英雄墓地には独立戦争や太平洋戦争などで祖国に殉じた約4万1500人の兵士が眠る。兵士以外にもガルシア大統領、マカパガル大統領など国家英雄も埋葬されている。今年1月にはフィリピンを公式訪問した天皇皇后両陛下も慰霊のために訪れている。こうしたフィリピン人にとって「聖なる領域」に戒厳令を布告して自らの政権に対立する組織や人物への容赦のない弾圧を繰り返し、最後は米国に「亡命という逃亡」をしたマルコス元大統領を埋葬することは許されない、と反対勢力は主張する。
コラソン・アキノ元大統領らによる1986年の「ピープルズパワー革命」を知るフィリピン国民が共有する感情でもあるのだ。しかしその一方でマルコス時代を知らない若い世代が増え、マルコス元大統領を「強い指導力の大統領」とする見方が広がっていることも事実である。
麻薬犯罪撲滅、南シナ海領有権問題と内外に課題山積のドゥテルテ大統領がタイムリミットの迫る中「マルコス埋葬問題」をどう解決するのか、国民は注目している。
トップ画像:The Wandering Angel
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。