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.国際  投稿日:2022/8/16

南シナ海名称変更 比議会に法案提出


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・中国が一方的に設定した「九段線」は東アジア諸国及び欧米諸国の反発を招いた。

・フィリピンの西側に広がる南シナ海を「西フィリピン海」へと名称を変更する法案が提出され、法案の中には国内外での公的文書で「西フィリピン海」という言葉の使用が義務付けられる。

・フィリピンの領土問題をめぐってドゥテルテ前大統領による「弱腰外交」から、マルコス新大統領による「領土保全」への新たな対外姿勢の転換が見られる。

 

フィリピン上院にフィリピンの西側に広がる南シナ海についてその名称を「西フィリピン海」と正式に変更することを求める法案が8月10日に提出されたことが11日地元メディアの報道で明らかになった。

南シナ海は中国が一方的に設定した「九段線」がその大半の海域と重なり、自国権益が及ぶ範囲と中国が主張して周辺国と間に領有権争いを生じさせている。

その南シナ海では中国の漁船による違法操業、中国海警局船舶による領海侵犯や排他的経済水域(EEZ)内への侵入、周辺国民間船舶の航行妨害や放水銃による放水など「好き勝手し放題」の状況が続いており、周辺国などに「脅威」を与えている。

欧米諸国もこの中国の一方的な「九段線」の存在とその海洋権益という主張は「国際法違反である」として海軍艦艇や空軍航空機による南シナ海での航行を強行する「航行の自由作戦」を展開、中国を苛立たせている。

こうした欧米やフィリピンなど周辺国による主張は2016年7月にフィリピンからの提訴を受けてオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が下した「中国が主張する九段線は国際法上根拠がなく国連海洋法条約に違反する」という裁定に基づく国際海洋法の範囲内の正当な主張であるが、中国政府はこの裁定を「無効であり受け入れず認めない」として完全に無視して、国際社会を「敵」に回して孤立している。

 

★ 名称変更の意味と背景

 フィリピンの上院議員フランシス・トレンティーノ氏は8月10日に南シナ海から西フィリピン海へと名称を変更する法案「上院法案405」を提出したことを明らかにした。今後上院での審議が行われる。

 法案ではフィリピン周辺のルソン海峡、北方のカラヤン諸島群周辺海域そして西方230キロにあるフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内のスカボロー礁を含む海域などを「西フィリピン海」の海域とすることが明記されている。

 さらに今後「西フィリピン海」という名称をフィリピンの全ての公的文書を含む文書で使用し、通信でも使用、国内外でも使用を義務付けるという内容も含んでいる。

 フィリピン外務省は「西フィリピン海」という呼称はすでに2012年に提唱されているが広く普及するには至らなかったとしている。

 マリア・テレシタ・ダザ外務省報道官はトレンティーノ上院議員の法案提出について「この法案の内容は2016年の常設仲裁裁判所の裁定に沿ったものであり、可能な限りバックアップしたい」と歓迎を明らかにしている。

 2012年にすでに一度提唱されている「西フィリピン海」の呼称だが、ドゥテルテ前大統領は中国への配慮から使用に消極的だったこともあり、ドゥテルテ前大統領が任期満了で退陣し6月30日にフェルディナンド・マルコス新大統領が就任した機会をとらえての法案提出となった。

 南シナ海という名称に関してはベトナムも反発しベトナム東方海域を「東海」と呼んでいるほか、インドネシアも南シナ海のほぼ南端にあたるインドネシア領ナツナ諸島の北方海域を「北ナツナ海」と独自に呼ぶなど中国の一方的な「九段線」に対抗する姿勢を示している。

写真)米国とフィリピンが共同水陸両用軍事演習を実施(2022.3.31)

出典)Photo by Ezra Acayan/Getty Images

 

★ マルコス新大統領の対中姿勢

 南シナ海の領有権問題に関してドゥテルテ前大統領は口では厳しい姿勢を示すものの、経済支援への依存から実質的な抗議活動は控えめだった。

 任期中の2021年11月にフィリピンが座礁船に海兵隊を常駐させて実効支配する南シナ海のアユンギン礁に中国の海警局船舶が海兵隊に物資を運ぶ民間船舶に対して進路妨害、放水銃による放水などで妨害する事件が発生した。

 この際も民間船舶はフィリピンのEEZ内にあるアユンギン礁に到達することができずにマニラに引き返さざるを得なかったが、ドゥテルテ前政権は中国への形だけの抗議で済ませたという経緯がある。

 そうしたドゥテルテ前大統領、前政権による中国への「弱腰外交」ともいえる姿勢がマルコス新大統領政権でどう変わるのかが注目されている。

 マルコス新大統領は選挙キャンペーン中に「南シナ海問題ではフィリピンの領土を1ミリメートルも譲らない」と中国に強硬な姿勢をみせ、7月26日に行われた初の施政方針演説でも「フィリピンの領土保全と国家主権に対する現在および将来の安全保障上の脅威に敏感な国軍の軍事構造の変革を図る」と述べ、直接中国や南シナ海の名指しを避けながらも「領土保全」への決意を新たにした。

 こうしたことからドゥテルテ前大統領よりマルコス新大統領は中国に強い姿勢を示すものとの期待が国民の間には広がっている。

 しかし中国の一帯一路」構想に基づく多額の経済支援や大型インフラ整備、投資などの経済支援がフィリピン経済の屋台骨の一部となっているという事実の前に、どこまで対中姿勢を変化できるのか疑問視する見方も強い。

 安全保障ではフィリピンは米国と同盟国であるものの、経済では中国への依存度が高いという現実の中でマルコス新大統領の外交安保と経済のバランスを取りながらの政権運営が求められている。

 「西フィリピン海」への名称変更は国際的には普及が難しいものの国内では徹底することが可能で、その点でも手腕が試されることになる。

 

トップ写真:軍事パレードを謁見するマルコス新大統領(2022.6.30)

出典:Photo by Ezra Acayan/Getty Images




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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