朝鮮戦争特需、米国にも 金王朝解体新書 その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・第二次大戦後、日本企業は朝鮮特需で息を吹き返した。
・実はアメリカの軍需産業も大いに潤った。
・戦争で経済が潤ってもそこに「真の豊かさ」はない。
わが国では、戦後の復興と経済成長について多少なりともする人であれば、朝鮮戦争による特需を見逃すことはない。
ただ、すでに60年以上も前の話で、とりわけ若い世代にとっては、アジア太平洋戦争と同様、歴史の彼方のような話と成ってしまっていることも、また事実のようだ。
敗戦で焦土と化した日本の製造業が、軍需によって息を吹き返したという事実、それを象徴するのがトヨタだと聞かされると、驚く人が多い。
トヨタ自動車工業(当時の社名)は、1950年6月に入った時点では、1億3000万円近い赤字を抱え、倒産寸前の状態だった。ちなみにこの年、大卒銀行員の初任給は3000円ほどである。給与の未払いや人員整理が繰り返された結果、4月以降はストライキが頻発し、工場はまともに稼働していなかった。
そこへ、6月25日の朝鮮戦争勃発である。米軍用のトラックを大量に受注した同社は、驚くなかれ、7月中には赤字を解消してしまった。そればかりか、翌年1月から3月までの四半期決算においては、2億4930万円の純利益を計上した。戦後初めて株主への配当も行われている。
これはほんの一例で、金属加工業(有刺鉄線など)や繊維産業(毛布、テント、麻袋など)に大口の発注が相次いだ。ある年代以上の読者は「金へん景気、糸へん景気」という言葉を、耳にしたことがおありだろう。こうして流れ込んだ資金は設備投資に還元され、昭和30年代(朝鮮戦争勃発は、元号でいうと昭和25年)の高度経済成長を下支えすることとなったのである。
一方、こちらは日本ではあまり知られていない事実だが、米国の軍需産業もまた、朝鮮戦争によって大いなる恩恵を被った。
第二次世界大戦終結後、米国は大規模な軍縮に乗り出し、反共の旗印を掲げていながら、再びアジアで戦うことはよしとせず、中国大陸の共産化を阻止することができなかった。戦勝国においても、戦争はもう嫌だ、という声は広範囲かつ根強かったのである。
ところが、朝鮮戦争の緒戦において、まずはソ連製戦車の威力を思い知らされた。米軍が保有していた戦車に比して、機動力・防御力・手法の威力すべてにおいて、ソ連のT-34が勝っていた。あとは読者ご賢察の通り、米軍は新型戦車や対戦車兵器を開発し、大量生産に乗り出す。
ここでもうひとつ、ソ連の独裁者スターリンが犯した誤算について述べねばならない。戦争勃発直後の6月27日、国連安全保障理事会が招集され、北朝鮮を侵略者と断じ、武力制裁が決議された。
この国連安保理だが、ソ連は出席していない。国連における「中国代表」の座が、未だに台湾国民政府のものであることを不服として、ボイコットしたのである。出席してさえいれば、当時のソ連は常任理事国で拒否権を持っていたわけだから、少なくとも国連軍による武力制裁という「錦の御旗」を与えることはなかったはずだ。
もっとも、この時の教訓から、米ソは安全保障理事会において、自国の国益に反すると見なした決議案には拒否権を発動したり、非協力的な態度に徹するようになり、この状況はソ連が崩壊してロシアとなっても変わることはない。国連が、侵略行為に対する抑止力の機能を自ら葬ったとも言える。
国連の問題はさておき、米国の軍需産業が朝鮮戦争で大いなる利益を得た、という話を、もう少し続けよう。
米軍を中心とする国連軍の反攻は、1950年9月15日、インチョン(仁川)上陸作戦によって始まった。この時点で、すでに補給などが限界に達していた北朝鮮軍は、たちまち敗走。28日までにはソウルの奪還に成功する。10月1日には、韓国軍が独力で38度線を突破した。
ところがその後、戦局は再び大きく動く。中国が、「国連軍が38度線を越えたなら、参戦する」と警告を発したのだ(10月2日)。しかし国連軍側は取り合わず、20日にはついにピョンヤンを占領した。
かくして中国は、義勇軍の派兵を決定。義勇軍と言っても少人数の助っ人ではなく、後方支援まで含めると100万人を超す規模で、空軍まで持っていた。しかも、後日明らかになったところでは、中ソ国境付近の基地にいたソ連人パイロットも参戦したのである。
北朝鮮軍は、未だ最新式の空軍を持つに至っていなかったが、いちはやくソ連の支援を受けた中国や、ソ連人パイロットが操るのは、当時最新鋭のジェット戦闘機ミグ15。実は「人海作戦」に頼る義勇軍より、このミグ15の方が、国連軍にとっては脅威であったのだ。
それまで、制空権は完全に国連軍のものであり、戦争を体験した世代の日本人にとっては忘れられない(もしくは、思い出したくもない)名前であろうB29戦略爆撃機による「北爆」も始まった。ところが、スーパー・フライング・フォートレス(超・空飛ぶ要塞)の名に恥じぬ防御力を誇るこの爆撃機も、ミグ15の37㎜機関砲の前には顔色なしであった。大戦初期に連合軍のパイロットを震撼させた零戦(海軍零式艦上戦闘機)の主武装である20㎜機銃より、はるかに大威力なのだ。
結局米軍は、B29を昼間爆撃任務から外さざるを得なくなる。従前のレシプロ(プロペラ式)戦闘機など、ミグ15の敵でなかったことは言うまでもない。言い換えれば、第二次世界大戦を勝利に導いた米軍の航空兵力が、一挙に陳腐化してしまったのだ。
そこで米軍は、F86ジェット戦闘機の大量生産をはじめ、航空兵力のジェット化に莫大な予算を投じることになる。生産力をもてあましていた軍需産業にとって、まさに干天の慈雨であった。
まさか当時の記憶があるせいではないだろうが、昨今の北朝鮮危機に関して、戦争となったら大量の難民が日本にやってくるのではないかとか、東アジアへの投資が激減するのではないか、日中貿易は一体どうなる、といったように、経済的な問題ばかり心配する人が見受けられる。
心配すべきでない、などと言うつもりは毛頭ないが、こういう態度は、ひとつ間違えば、日本人というのは自国経済のことばかり頭にあって、隣国の人々の生命財産などどうでもよいと考えている、といった受け止め方をされかねない。
戦争は二度と嫌だ、と多くの人が言うのだが、戦争で経済が潤っても、そこに本当の豊かさなどはないと、どうして誰も言わないだろうか。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。