日朝合同調査委員会のわな
島田洋一(福井県立大学教授)
「島田洋一の国際政治力」
【まとめ】
・拉致問題を日朝国交正常化の「障害」と見る勢力から「日朝合同調査委員会」案出る。
・旗振り役は田中均元外務審議官、実働部隊は超党派の日朝国交正常化推進議員連盟。
・合同調査委員会は、実質的には「もみ消し委員会」に他ならない。
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拉致問題を日朝国交正常化の「障害」と見る勢力の口から、「日朝合同調査委員会」案が再び盛んに出だした。
旗振り役は田中均元外務審議官(小泉第一次訪朝時の交渉担当者)で、超党派の日朝国交正常化推進議員連盟(日朝議連。会長は自民党の衛藤征士郎元衆院副議長)が政界における実働部隊を務めている。
▲写真 田中均元外務審議官(後列左から1人目)、英国駐箚特命全権大使林景一(前列左から1人目)、小泉進次郎氏(前列左から2人目)、長島昭久氏(前列右から2人目)ら(2013年5月2日)出典:Foreign and Commonwealth Office
6月21日に、約10年ぶりに開かれた同議連総会では、田中氏と朝鮮総連幹部が講師に呼ばれた。田中氏はメディアに出る頻度も高い。
「安倍首相は北朝鮮への強い姿勢をかざし首相への階段を上ったが、国内に威勢のいいことを言うのが外交じゃない。拉致問題で結果が出ているか」「(日朝が)合同で調査を徹底的にするのが一つの道筋ではないか」「徹底的な調査をせず、生きているに違いないとか死んでいるとか言うのは無責任だ」などと、田中氏の主張の柱にあるのが合同調査委員会である。
外務省で田中氏の後輩に当たる藪中三十二氏も、日朝交渉を担当していた現役時代、繰り返し合同調査委員会案を持ち出していた。日朝議連は7月27日の総会で、日朝首脳会談の早期開催を促す決議を行ったが、この場に藪中氏が講師として呼ばれている。
▲写真 藪中三十二氏 出典:Ann Thomas
安倍首相は事前に日朝議連の幹部と会い、「北朝鮮に高めのタマを投げてほしい」と釘を刺していたというが、結果は北に何ら厳しい要求も突きつけないゆるい棒玉(ぼうだま)となった。
北朝鮮に調査させるのでなく、日本からも乗り込んでいって調査に参加させろと要求すべきだなどと「威勢のいい」言い方をされるとつい頷いてしまう政治家も多い。例えば青山繁晴参院議員(自民)は、対北宥和派ではないはずだが、合同調査委員会を最近、事あるごとに唱えている。
「拉致事件の解決にしても、北朝鮮は内幕を知ってしまった被害者は帰さないので、選別する。そうさせないために日本は調査隊を入れなければならないが、日本単独では受け入れられない。日朝共同では北朝鮮ペースになるので国際調査団を送り込まなければなりませんが、調査団の背後に実力がないと解決しません。自衛隊の実力も活用できるようにすべきです」 (産経新聞7月27日付のインタビュー)。
「国際調査団」「自衛隊の実力も活用」などと一見踏み込んだ議論のようだが、言葉の空回りという他なく、北に利用されるだけに終わろう。
日朝議連の顧問格、石井一元自治相となると、「交渉の入り口から拉致問題を外さねばならない。(小泉訪朝時に)北朝鮮は拉致被害者13人のうち8人が死亡と通告した。最高権力者が首脳会談で発した言葉であり、重く受け止めるべきだ。金正恩委員長が父親の言葉を覆すとは考えにくい」ともはや親北発言の歯止めなき垂れ流しである。
石井氏もやはり、「国交正常化し、北朝鮮に連絡事務所などを設けられる環境をつくる。日本の警察や拉致被害者の家族が北朝鮮で調査をした方が、丸投げするよりはるかに良い」と合同調査委員会を提案している。しかし合同調査委員会は、実質的には「もみ消し委員会」に他ならない。なぜか。
北朝鮮が正直に全被害者を返せば、そもそも北朝鮮における「調査」など必要ない。合同調査委員会は、北が死亡通告を出してくることを前提とし、それを受け入れる枠組として構想されている。
北も様々に「協力」してくるだろう。「拉致被害者Aさんの交通事故死現場に居合わせた証人2人を呼んである。我々がいると、また北朝鮮当局が無言の圧力を掛けたなどと言う人々が出てくるので、別室で控えている。どうぞ日本側だけで自由に尋問して下さい」等々の光景が目に浮かぶようだ。
監視カメラと盗聴器が仕掛けられた「取調室」で、「証人」役を割り振られた人物がシナリオをはずれた発言をするはずもない。「お父さん(お母さん)は確かに亡くなりました。おじいさん、おばあさん、なぜ会いに来てくれないのですか」などと、以前横田めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんが強いられたと同様の科白を言わされる拉致被害者の子どもたちも現れるかも知れない。彼らをそうしたつらい状況に追い込んではならない。
かつて小泉第二次訪朝の際、「ジェンキンスを呼んである。小泉さん自ら意思を確かめてくれ」と金正日に促された小泉首相が、日本に来るよう熱を込めて説得した例がある。ジェンキンス氏は誘いを断り、逆に妻(曽我ひとみさん)を北に戻すよう求めた。後に北朝鮮脱出が叶ったジェンキンス氏は、あの場で日本に行きたいなどと言えば命はなかっただろうと述懐している。
一切の言論の自由がなく、すべてが捏造された国でまともな証人尋問も証拠収集もあり得ないことは自明である。にも拘らずそれを日本から持ち出すなら、「死亡通告で構わない。一緒に調査を尽くした形を作り、日本世論の沈静化に努める」というメッセージだと北は受け取るだろう。
「日本側は様々なルートで拉致被害者の生存情報を得ている。正直に全員を出せ。誤魔化しには圧力強化で応じる」が、あくまで日本側の基本姿勢でなければならない。本来は、アメリカ同様、「圧力」の中に斬首作戦なども含まれるべきだが、その点、戦後日本は自らの手を縛ってきた。解きに掛かる気配はまだ政界に見られない。
国としてのこの弱さが、「日本は何の実力手段もないのだから、合同調査委員会で国民に拉致被害者死亡を納得させ、宥和政策を進めていくしかない」といった発想を生むことにもなるのだろう。問題の根は深い。
トップ画像:握手を交わすトランプ大統領、金正恩書記長 2018年6月12日 出典 facebook White House
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。