民政移管のタイ総選挙、タクシン派vs軍政 王室絡み複雑化
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・プラユット軍政の民政移管後、最大の障害は海外逃亡中の2人の元首相。
・改名や王女の出馬など各党は究極の「奇手」に打って出ている。
・過半数獲得が困難な状況で、各党は選挙後の動きを画策。
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タイは3月24日に投票が行われる総選挙(下院・定数500議席)に向けて政治経済社会の全てが急激に動きだしている。これまで各政党が立候補者と政党が擁立する首相候補者をそれぞれ中央選挙管理委員会に届け出を済ませ、現在は選管による正式な立候補者の発表を待っている段階で、今後発表を経て本格的な選挙戦がスタートする。
非公式な数字では議員に80政党から13846人が立候補し、首相候補には45政党が69人を届け出ている(首相候補は各党3人まで可、国会議員選挙後に上下院で選出する仕組み)。
2014年5月に軍によるクーデターで政権を奪取した軍政のプラユット首相は長年の国民の願いであった民政移管のための総選挙実施を決断するにあたり、親軍政政党の結党とそこから首相候補として出馬することで民政移管後も政権を維持する環境を整えた。
プラユット軍政の民政移管後の政権維持の最大の障害となるのは軍政の訴追を逃れるために海外で「逃亡生活」を送るタクシン元首相とその妹インラック前首相である。
タクシン元首相派北部や東北部の農村地帯、さらに貧困層の根強い支持を得ており、タクシン支持派の「タイ貢献党」とその分党である「タイ国家維持党」は反軍政票を取り込み政権奪取への道筋をつけようとしている。
▲写真 プーチン大統領と面会するタクシン元首相(2005)出典:ロシア大統領府
■ 各政党による選挙戦術、王女擁立も
親軍政、タクシン派に両者と距離を置くアピシット元首相率いる「民主党」、実業家出身のタナトーン党首の政党「新未来党」などによる激しい票の奪い合いが予想されており、単独での過半数維持は困難とみられている。
そこで各政党、支持派による選挙戦術が公示前から空中戦を展開する状況となっている。
候補者届け出締め切りが近づくにつれて、タクシン支持派が多い地方で「タクシン」候補や「インラック」候補が林立する事態となった。これは知名度のある2人の名前にあやかろうと候補者が改名した結果で、男性の「タクシン」候補が10人、女性の「インラック」候補が4人出現した。選管や軍政などは「改名は違法ではない」としながらも、知名度を「悪用」した手法には苦虫を噛み潰すしかなかった。
さらに2月8日にはタクシン支持派が究極のウルトラCとも言える「奇手」に打って出た。ワチラロンコン現国王の姉、ウボンラット王女を「タイ国家維持党」が首相候補者として届け出たのだ。
▲写真 ウボンラット王女(2018)出典:ウボンラット王女Facebook
同党はタクシン支持派の「タイ貢献党」の分党で、タクシン支持派の牙城でもあるため、王女担ぎ出しはタクシン元首相も絡んだ軍政打倒の切り札として練られた作戦だった。
タイでは王族、王室への批判はタブーで「不敬罪」に問われる可能性が高く、選挙に出馬した場合(もちろん前例はない)、対立候補や他の政党は王女を批判することが事実上不可能になることも考えられたのだ。
この王女擁立はプラユット首相、軍政、他の野党、そして王室への尊敬を抱く国民各層をも仰天させる事態となった。
海外で成り行きを見守っていたタクシン元首相も「王女が首相になれば帰国の道が開け、その先に政界復帰も見えてくる」と内心密かにほくそ笑んだのは間違いない。
■ 国王声明で事態は急転直下の展開
ところが、ウボンラット王女の出馬、つまり王族の政界への進出という異例の事態に最も怒ったのが弟のワチラロンコン国王だった。
▲写真 ワチラロンコン国王 出典:Open Educational Resources
届け出のあった8日の夜、タイのテレビ局は全ての番組を中断して国王の「王族の政治関与は許されていない」との異例の声明を放送した。
ウボンラット王女は米国人と結婚して王室籍を離脱し、離婚後タイに帰国して父のプミポン前国王の外戚として王位に準じた扱いを受けていた。王女は「私はもはや一般人、首相候補になる自由がある」と主張していたが、国王は「王室籍を離れてもプミポン国王の家族という王族の一員であり、政治への関与は許されない」と一刀両断のもとに覆したのだった。
タイでは国王はある意味「絶対権威」であり、その意向は最優先されるのが慣例である。国王のそれこそ「鶴の一声」でタクシン元首相、タクシン派の思惑は瓦解してしまった。
その後は雪崩のように軍政側による反タクシンの動きが次々と展開。王女の候補届け出は正式に拒否され、2月13日には「タイ国家維持党」による王女擁立が「立憲君主制に対する敵対とみなされる」と選管が判断して、「同党の解党」を憲法裁判所に申し立てた。
選管、憲法裁ともに一応中立の機関ではあるが当然、軍政というより国王の意向を「忖度」する可能性が極めて高く、憲法裁が解党を認めると同党の幹部は一定期間公民権が停止されることになるとされ、実質的な選挙戦に入る前に、軍政側の優位が強まっている。
■ タクシン元首相の次の一手は
タクシン元首相は最近主に中国に滞在していることが多いとされているが、こうした急転直下の展開にさぞ驚き、歯ぎしりしていることと思うが、どうも各種情報を総合すると、新たな次の一手を模索中という。
それは現在の状況で選挙が実施された場合には親軍政党、タクシン派支持党、中立の党に大別される各政党の激戦が予想されるものの、どの政党も過半数獲得は難しいとみられている。そこで、選挙後に予想される合従連衡の動きの中でタクシン支持派は「反軍政、民主主義で経済最優先の政権」を前面に押し出して大同団結の道を模索しようと、すでに水面下での動きを見せているという。タクシン側には農民、貧困層の強い支持とともに巨額の資金力があることもそうした動きの背景にあるといわれている。
対する親軍政政党側も閣僚ポストなどを条件にした連立作戦を練っているとされ、場合によっては「再クーデター」のシナリオもありうるとさえみられている。
だがその辺の軍政の思惑はすでにワチラロンコン国王の知るところとなり「国王が滞在するドイツに軍高官が招集された」との未確認情報もあり、その場で「国王の承認なしのクーデターの禁止」を誓約させられたとの情報も流れている。
とりあえず一件落着した形の王女擁立騒動で、タクシン・インラック兄妹の早期の帰国と政界復帰のシナリオは崩れたものの、選挙戦とその後の連立模索で各政党間の駆け引きが一段と複雑さと激しさを増しそうなことは確実な情勢といえる。
そうした中でプラユット首相は政権維持を目指し、タクシン元首相も変わらずに虎視眈々と帰国のチャンスを伺っているという構図には基本的に同じだ。
政治的混沌の中で、極力政治には口を出さずにいざ国難という際に底力を発揮してタイという国の行方を示してきたプミポン前国王と異なり、軍政の憲法改正案に修正を求めたり、今回の特別声明で王族の政治介入を諫めたりと活発な動きをみせているワチラロンコン国王の動向も注目の的となっている。
トップ写真:プラユットタイ王国首相(2016)出典:ロシア大統領府
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。