英国料理が美味しくないわけ
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・英国人にとっても美味しくない英国料理。
・英・19世紀以前はラテン文化を受容し、豊かな食文化があった。
・英の現代の食文化は産業革命がもたらした副産物。
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英国ロンドンで、現地発行日本語新聞の仕事をしていた話を、幾度かさせていただいたが、当時知り合ったSF作家の友成純一氏に、ロンドン暮らしをテーマとしたエッセイを連載していただいたことがある。後にその連載は『ローリング・ロンドン』というタイトルにて扶桑社より出版されたのだが、最初に英国料理を食べた感想は、「あまりにもまずかったので、なにを食べたか忘れた」という一節がある。
私自身、英国での生活を題材にしたエッセイはかなりの数を発表し、出版していただいているが、かの国の料理をほめたためしはない。そもそも英国内においてすら、自国の料理はあまり高く評価されていないのだ。
ロンドンに渡る前、東京・神田の岩波ホールで開講していた、ブリティッシュ・カウンシル公認という触れ込みの英語学校で特訓を受けたのだが、そこの講師(もちろん英国人)が、ロンドンの料理について、「ノット・ベリィ・エキサイティング」と表現していた。あまり楽しめたものではない、くらいのニュアンスだろう。
で、実際にロンドンで食べてみたら、たしかに、これはただ事ではない、というくらいまずかった。失礼ながら友成氏よりは記憶が確かなのか、なにを食べたか忘れた、とまでは言わない。ロンドンでは猫缶を人間に食わすのか、と言いたくなるようなミートローフに、くたくたになるまで煮込んだ野菜が添えられていたことまでは覚えている。
こんな按配だから、日本人と同じくらいか、それ以上に食にこだわりのあるフランス人が、英国料理をバカにすることと言ったら……「大英帝国は、まずい料理のたまもの」などと真面目に言う人までいるのだ。
フランス人は、たとえ海外に出ても、自国の料理が恋しくなるので永住はなかなか難しい。そこへ行くと英国人は、どこの国の料理を食べても,自国のそれよりはおいしいと感じるものだから、新たな領土に骨を埋めることができる。だから英国は、フランスよりもはるかに広大な植民地を得ることができたのだ、という理屈なのだとか。
▲写真 フランス料理(イメージ)出典:pixabay; takedahrs
アジア人に言わせれば、こんなものは負け惜しみに過ぎないし、そもそも、大戦終結後までインドシナ半島の支配に固執して、ヴェトナム戦争の原因を作っておきながら、よく言うわ、という話だが。
ただ、公平に見てロンドンよりもパリの方が食事が断然おいしいことは事実である。レストランだけではなく、そのへんの屋台のホットドッグや駅構内で買い食いするサンドウィッチまでが段違いだ。
問題はその原因だが、私は長きにわたって、英国人というのはそもそも食に関心が薄いのだろう、と半ば決めつけていた。『A Year in Provance 南仏プロヴァンスの12か月』(ピーター・メイル著・邦訳は河出文庫)という本がベストセラーとなりTVドラマ化もされた時、旧知の英国人ジャーナリストに、「僕はロンドンに10年いたけど、あの人(著者)みたいに食べ物にこだわるイギリス人に会ったことがないよ」と言ったものだ。
その時は、相手も苦笑しただけだったが、その頃から(20世紀も終わり頃の話だが)、私はひとつの疑問にとらわれるようになった。
もともと英国は、属領ブリタニア(これがブリテンの語源である)としてローマの支配下にあったわけだし、英国王室の歴史をひもとけば、フランス北部のノルマンディー地方から侵攻してきた(いわゆるノルマン・コンクェスト=1066年)征服王朝に、その起源が求められる。
▲写真 ノルマン・コンクェストを表したタペストリー 出典:Flickr; Dennis Jarvis
つまりはラテンの文化を大いに受容する下地はあったはずなのに、どうして「独特の」食文化が育つに至ったのか。世上よく言われていたのは、南ヨーロッパのように食材が豊富ではないため、どうしても食に対する関心が薄くなったのだ、ということだが、実際に住んでみた経験から、そこまで言い切ってしまうのは躊躇する。
たとえばスコットランドだが、たしかに北海からの冷たい風にさらされて気候は厳しく、荒涼たる風景が広がっている。しかし、この風のおかげで、塩分を豊富に含んだ牧草が育ち、これが結構な飼料となるので、おいしい牛肉や羊肉が得られる。
それに、メキシコ湾流のおかげで実は緯度が高い割には温暖だし、日本列島周辺と同様、ブリテン島を囲む海も、暖流と寒流がぶつかるので、良質の漁場だ。
つまり、食材の点でも、さほど条件は悪くないのである。そこで色々と調べてみたところ、やはり英国の農村では、貧しくはあったけれども、それなりに食事を楽しむ文化がちゃんとあったことが分かった。
ところが19世紀に入り、英国社会に大きな変化が訪れる。言わずと知れた産業革命だが、これが英国の都市部における食生活にも大いなる変化をもたらした。
多数の工場労働者に、重労働にも耐え得るだけの栄養を、手っ取り早く採らせねばということで、朝食にはベーコンエッグ、昼食にはフィッシュ・アンド・チップス、というのが英国料理のスタンダードになったのである。夜はと言えば、チーズなどを少しつまみながらぬるいビールで腹を満たすというもので、これは昔からそうであった。
▲写真 イギリスの代表的な朝食ベーコンエッグ(イメージ)出典:pxhere
日本ではディナーと言えば夕食のことと思われているが、もともとは昼食がディナーすなわち一日のメインの食事で、夜は軽食=サパーと呼んだ。英語の授業などで習った方も多いのではあるまいか。
それはさておき、質より量だと言わんばかりの「食文化」は、決して英国の伝統と呼び得るものではなく、産業革命の副産物、それも権力側の都合で定着させられたものだったのである。
この知識を得てから、私は英国料理を悪しざまに言うことに、ますます躊躇しなくなった。労働者を機械の部品と同様にしか考えないのと同根の思想によって定着した食べ物など、それこそ「人類の食い物として認めたくない」と言って、なにが悪いか。
トップ写真:イギリスの家庭料理ミートローフ(イメージ)出典:pixabay; congerdesign
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。