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.社会  投稿日:2019/6/28

医療の可能性と若手医師育成


上昌広医療ガバナンス研究所 理事長)

【まとめ】

・医師の育成の在り方が議論されている。

・「兼業」は医師の生産性を上げる可能性がある。

・若手医師を育てながら地域医療を守っていかねばならない。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46462でお読み下さい。】

 

医師の育成の在り方が議論されている。本稿では詳述しないが、一般社団法人日本専門医機構が中心となって、カリキュラムおよび研修する病院を「統制」しようとしている。これは衰退する大学医局の復権を目論んだものだ。

さらに、医師不足に悩む地方からの要望に応える形で、厚労省が医師偏在対策を、この制度に盛り込み、東京などの都心部の定員は制限された。病院経営者にとって、若手医師は安い給料でよく働く貴重な労働力だ。医師確保は容易に利権化する。新専門医制度でも、日本専門医機構からはデータ改竄を示す内部資料が流出した。

当初、地方の医師不足を緩和するために、東京などの定員を制限したが、結果は正反対だったすべての診療科で東京一極集中が加速した。例えば、内科の場合、東京は77人増加し、周辺の千葉(30人減)、埼玉(10人減)、神奈川(5人減)から医師を吸い寄せた。11の県(秋田、富山、福井、鳥取、島根、山口、徳島、香川、高知、佐賀、宮﨑)では内科志望者が15人以下となった。高知にいたっては5人だ。

このようになったのは、地域医療の中核である内科や外科ではへき地勤務を義務づけられるため、眼科や泌尿器科に研修医が流れたこと、および都市部の定員にキャップがかかるため、都市部の病院が過去の実績を「水増し」して要求したことが原因だ。なにやら喜劇のような話だ。

このような議論を通じて感じるのは、医学界の重鎮や厚労省が「若い医師はへき地勤務を嫌がる」と信じ込んでいることだ。必ずしもそうではない。日本専門医機構が推奨する大学医局の指示に従って関連病院をローテションするやり方が現状にそぐわないだけだ。やり方次第で、地方での勤務を希望する医師はいる。その代表が福島県浜通りだ。本稿では、福島県浜通りで活躍する若手医師をご紹介したい。彼らの働き方は、これからの医師の在り方を考える上で示唆に富む。

「南相馬と広島・上海で働かないか?」

坪倉正治医師嶋田裕記医師に提案した。坪倉医師は福島県浜通りで診療する傍ら、福島県立医科大学の特任教授として、大学院生を指導している。坪倉医師の専門は血液内科。福島では震災直後から被曝対策に従事し、福島県立医大では公衆衛生学も教えている。嶋田医師は博士課程の大学院生の一人だ。

嶋田医師は2012年に東京大学医学部を卒業後、千葉県の名戸ヶ谷病院で初期研修を終え、2014年5月に南相馬市立総合病院に就職した。専門は脳外科だ。前述したように、昨年4月福島県立医大の博士課程に進んだ。南相馬市立総合病院で診療の傍ら、臨床研究を行う。

▲写真 南相馬市立総合病院にて。左から坪倉正治医師、嶋田裕記医師 出典:著者

彼が研究テーマに選んだのは、遠隔画像診断だ。かつて脳卒中は「東北地方の風土病」と言われた。以前ほどではないが、現在も脳卒中の頻度は高い。

この領域の診断・治療は近年、急速に進歩したが、東北地方ではその成果が充分に患者に還元されているとは言いがたい。脳外科および放射線科の専門医が少ないからだ。

南相馬市内の民間病院に勤務した経験がある山本佳奈医師は「夜間、当直中に意識障害の患者にCTを撮っても、専門医に読影してもらうことは出来ません。転院を受けてくれる病院はほとんどなく、そのまま保存的に診るしかありません。(脳卒中の後遺症を大幅に減らす最新の治療である)血栓溶解療法などやったことはありません」という。これがへき地医療の実際だ。

遠隔画像診断は、この状況を変える可能性がある。萌芽的な営みは既に始まっている。山本医師は「脳卒中の患者でCT画像をスマホで写真にとって、嶋田先生に送ったことがありました。すぐに読影してくれて、そのときは南相馬市立総合病院に転院させてくれました」という。

これは山本医師と嶋田医師が旧知でスマホで連絡を取り合える仲だったからできたことだ。どこでも、誰でも利用できるようにシステム化するにはどうすればいいか

この問題に取り組んでいるのが、広島市内で霞クリニックおよび株式会社エムネスを経営する北村直幸医師だ。CTMRIの遠隔診断システムを開発している。

▲写真 画像診断の様子 出典:エムネス / MNES Inc.Medical Network Systems Facebook

北村医師のことは、多くのメディアで取り上げられており、ご存じの方も多いだろう。総合情報誌『選択』は2018年9月号で「グーグルが支配を狙う日本の医療」という記事を掲載し、その中でエムネスのことを紹介している。北村医師の活動の世界的な意義が理解できる。ご興味のある方はお読み頂きたい。

ポイントだけを紹介すると、エムネスの売りは画像データをクラウドに集約していることだ。彼らが利用するのがグーグルクラウドプラットフォームで、グーグルはエムネスを「テクノロジーパートナー」に認定している。

エムネスのシステムを導入した医療機関では、撮影されたCTなどの画像はクラウドにアップされ、エムネスと契約する放射線診断専門医が読影する。結果は、画像に読影レポートをつけて、クラウドを介して、医療機関に戻される。

エムネスの売りは料金が安いことだ。それは画像の保管にはグーグルクラウド、やりとりにはインターネット回線を使うため、経費を圧縮できる。医療機関は専用回線や専用サーバなどの初期費用を負担する必要がない。負担する費用はMRICT 1台あたり月額3万円で、読影は一件で3,000だ。

エムネスは急速に顧客を増やしている。楽天OBたちが銀座に立ち上げた「メディカルチェックスタジオ」という脳ドック専門のクリニックに導入されている。脳ドックの値段は1万8900だ。通常の値段は4〜8万円程度であり、破格の安さだ。開業後1年半で2万人が受診したという。エムネスのシステムが脳ドック業界に革命を起こしていると言っていい。彼らの活躍は国内だけに留まらない。モンゴルなど海外からの画像も受け付けている。

▲写真 メディカルチェックスタジオ-スマート脳ドック 出典:Flickr; TAKA@P.P.R.S

こうなると大量の画像データがエムネスに蓄積される。これは研究者にとって宝の山だ。特に人工知能関係者からは注目されている。エムネスは、東京大学発のベンチャーであるエルピクセル社と共同で、人工知能診断を臨床現場に導入している。嶋田医師は、大学院のテーマとして、エムネスと協力して、この領域を専攻したいと希望している。

現在、嶋田医師は岐路に立たされている。彼は南相馬市立総合病院で脳外科の診療を続けながら、新しい可能性にもチャレンジしたい。彼が希望する研究は、専門医不足に悩む浜通りの脳外科診療の改善に直結する。

ところが、彼が南相馬市立総合病院で働きながら、エムネスで診断業務に携わると「兼業規制」に抵触する。どうしてもやりたければ、南相馬市立総合病院を辞めるしかない。

従来、他施設が有する先進的な技術を学ぶなら、研修目的で出張するのが通常だった。嶋田医師も、南相馬市立総合病院からエムネスに研修にでかければいいとお考えの読者が多いだろう。なぜ坪倉医師は南相馬市立総合病院とエムネスの二ケ所勤務にこだわるのだろうか。

それは、エムネスとの共同研究が長期にわたり、かつ嶋田医師がエムネスで「研修生」や「見学者」でなく、画像診断という実務の「当事者」として関わらなければ実効性のある仕事ができないと考えているからだ。我々が従事しているのは臨床医療という実学だ。文献を読んで机上の空論を弄ぶのではなく、実際に現場で試行錯誤しなければ、研究は進まない。そのためには、一定期間、現場で当事者として働かねばならない。そのためには、南相馬市立総合病院とエムネスで「兼業」しなければならない。

医療に限らず、先端的な研究は学際的な分野で発展する。いい仕事がしたければ、一ヶ所で縦割りの狭い世界に閉じこもるのではなく、様々な経験を積むべきだ。「兼業」は医師の生産性を上げる可能性がある。

私たちのチームでは複数箇所で働く若手医師が多い。坪倉正治医師自体がそうだ。相馬市の相馬中央病院特任副院長を「本職」に、福島県立医大の特任教授および南相馬市立総合病院・ひらた中央病院(福島県平田村)・ときわ会常磐病院(福島県いわき市)、さらにナビタスクリニック立川(東京都立川市)で非常勤医師として診療している。担当するのは高齢者を対象とした内科診療、都内での「コンビニクリニック」での診療から被曝対策まで幅広い。さらに今年の末にはフランス政府から招聘され、4ヶ月間、現地で被曝対策に従事する。

尾崎章彦医師も同様だ。2010年に東大医学部を卒業したあと、千葉県内の病院を経て、竹田綜合病院(福島県会津若松市)に就職した。その後、2014年10月に南相馬市立総合病院、2018年1月に青空会大町病院(福島県南相馬市)、2018年7月にときわ会常磐病院(福島県いわき市)に移籍した。

現在、ときわ会常磐病院での乳がん診療をメインに、大町病院でも診療している。また、週末は東京にもどり、私どもの研究所で研究する。

山本佳奈医師の働き方は坪倉、尾崎医師とは少し違う。2015年に滋賀医科大学を卒業後、南相馬市立総合病院で初期研修を修了した。その後、福島県内の大町病院、ときわ会常磐病院の勤務を経て、2018年10月からはナビタスクリニック新宿に拠点を移した。彼女の目標は「女性を総合的に診療できる医師」になることだ。30代の女性が多く受診するナビタスクリニック新宿が格好の修業の場だが、現在もときわ会をはじめ、福島県内の複数の施設で非常勤医師として勤務している。

彼らの特徴は、一ヶ所の病院に留まることなく、複数箇所で勤務することだ。勤務先は自ら開拓した。大学病院に勤務しながら、医局の関連病院でアルバイトをしているのとは違う。

私は尾崎医師や山本医師の進路相談に乗ってきたが、彼らが南相馬市立総合病院を辞職するにあたり、公務員の兼業禁止規定は大きく影響した。幅広い分野で経験を積みたい彼らにとって、この規制が大きな障害となった。あまり議論されることはないが、若手医師にとって公務員になることは、さまざまな弊害がある。公的病院は地域医療で中核的役割を担うことが多い。私は、この兼業規制が地域の公的中核病院の経営の足を引っ張っていると考えている。

若手医師の中には「海外との兼業」を始めた者もいる。それは森田知宏医師だ。2012年に東大医学部を卒業しており、嶋田医師の同期だ。千葉県の亀田総合病院での初期研修を終え、相馬中央病院(福島県相馬市)に内科医として就職した。現在は日曜の当直から水曜までを相馬中央病院で勤務し、木曜と金曜は東京のベンチャー企業miupに取締役として勤務する。

miupの主たる業務はバングラデシュでの医療ビジネス、特に臨床検査ビジネスの立ち上げだ。森田医師は、毎月一週間程度、バングラデシュで勤務する。仕事柄、地元の医師と交流する。会社の業務の一環として臨床研究を進めるとともに、経済的な側面も含め、バングラデシュの若手医師を支援する。昨年はアビデュラ・ラーマン医師が福島医大の病理学教室に留学した。

▲写真 バングラディシュでの医療の様子 出典:PIXNIO

坪倉、尾崎、山本、森田医師、いずれもが福島をベースに国内外で「兼業」している。これは私がグランドデザインを描いたわけではない。東日本大震災直後から福島で診療を続ける中で、自然に確立した働き方だ。彼らは「福島で働き続けるためにはどうすればいいか」を考えて、「複数ケ所勤務」の方法を確立していった。

厚労官僚や有識者が頭の中で想像したことを、国家や業界の力を用いて、現場に押しつける新専門医制度とは全く違う。どちらが実情に即しているかは議論の余地がない。

福島の地域医療に従事するのは、やりがいがあるが、症例数も少なく、十分な経験を積めない。幸い福島と東京は近い。我々の研究所が存在する東京の高輪から南相馬市立総合病院に行くのに要するのは約4時間だ。毎日の通勤は無理でも、二ヶ所勤務は十分な可能な距離だ。

このような勤務を続けるうちに、彼らは「東京から南相馬に行くのも、上海に行くのも変わらない」と言い出した。

これまで私たちのグループは上海の復旦大学と共同研究を続けてきた。2017年には森田・山本医師が復旦大学に約一ヶ月間留学した。

上海はダイナミックだ。意志決定は速く、規模は大きい。上海に足りないのは有為な人材だ。現在、ノウハウを有する人材を求めている。これまで、我々のグループは谷本哲也医師や加藤茂明・ときわ会常磐病院先端医学研究センター長、いわき明星大学教授(元東大分子生物学研究所教授)が中心となって、復旦大学の研究者と共同で『ランセット』のレターなども含め10報以上の学術論文を発表してきた。

最近、加藤教授は復旦大学公共衛生学院の客員教授に就任し、谷本医師と復旦大学との交流は同学院のホームページで紹介された。

5月24~26日まで、我々のチームは復旦大学を訪問した。筆者に加え、谷本、坪倉、森田、嶋田、山本医師、加藤教授も参加した。

▲写真 復旦大学で講演する嶋田裕記医師 出典:著者

先方から「学術論文が着実に出ていることが高く評価された。益々、交流を加速したい」と提案があった。

そこで坪倉医師が提案したのが冒頭の嶋田医師の働き方だ。とりあえずは脳卒中の共同研究から入るが、やがて診療まで拡充させたいと考えている。

上海は近い。東京との所要時間は約3時間。費用は格安航空券を使えば往復で3万円だ。南相馬と東京を往復するのと大差ない。やる気になれば、すぐにでもできる。

超高齢化が進むわが国で、脳外科のような高度先進医療のニーズは急速に減少する。人口減少が進む南相馬はなおさらだ。若手医師が南相馬で働きながら、症例数を積むのはどうすればいいか。私は国内はもちろん東アジアと連携することだと考えている。

冒頭にご紹介したように、現在、我が国では地域の医師不足を解決するため、若手医師を地域に強制派遣する議論が盛り上がっている。私は東日本大震災から8年にわたり浜通りで活動しているが、このようなやり方が上手くいった例をみたことがない。若手医師が派遣されても、その期間が短ければ、職場になれたころに異動となる。少なくとも数年間は腰を落ち着けて活動しなければ、実力はつかないし、研究成果もでない。若手医師も長期的に関わるとなれば、仕事先を本気で考える。坪倉医師をはじめとした若手医師が浜通りで成長できたのは、立谷秀清・相馬市長をはじめとした優秀な方々がいて、彼らを指導してくれたからだ。だからこそ、彼らはこの地で活動を続けている。

ただ、このようなケースは稀だ。僻地医療の議論は、医師数の辻褄合わせで終わることが多い。このことを熟知した大学医局の中には、へき地の病院を不都合な人材を派遣するポストとみなしているところもある。浜通りには何人も前職で問題を起こした医師が派遣されてきた。つい最近も破廉恥行為が発覚し、処分された医師がいた。この医師が勤務する病院長は管理責任を問われて処分されたが、派遣元の教授は頬被りを決め込んでいる。これがへき地の病院の実態だ。

なぜ、このような医師しかこなかったかと言えば、公務員医師の場合には兼業規制が大きいだろう。

嶋田医師は「給料は減らされてもいい。非常勤でもいい。この地域に軸足をおいて、さまざまな経験を積みたい」と言う。彼の理想は、週の前半を南相馬市で、後半を広島と上海で隔週で働くことだ。先だって、及川友好・南相馬市立総合病院長に正式に要望を伝えた。

どうすれば若手医師を育てながら、地域医療を守れるか、既成概念にとらわれず柔軟に考えねばならない。

トップ写真:X線写真(イメージ)出典:Pexels; Pixabay


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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