姜慶五教授から学んだこと
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・姜教授は福島を訪問、帰国後現状報告し、風評被害緩和に貢献した。
・我々は姜教授が信頼関係を築いている温州医科大学を訪問した。
・東日本大震災をきっかけに始まった福島と中国の草の根交流が着実に深まっている。
韓国政府の福島第一原発事故の汚染水視察団が来日した。現地を訪問し、処理施設などを見学するとともに、日本側の専門家と情報交換するようだ。マスコミには賛否両論が溢れているが、私は大きな一歩だと思う。それは、現場を見て、情報を共有することが相互理解に繋がるからだ。私にも同様の経験がある。それは復旦大学公共衛生大学院の姜慶五教授らとの交流だ。
姜教授は、中国を代表する公衆衛生の専門家だ。私が彼と知り合ったのは、約15年前のことだ。医療ガバナンス研究所の谷本哲也医師、谷本医師の九州大学医学部の同期で整形外科医の陳維嘉医師の紹介だ。陳医師は上海出身。お父上は復旦大学の整形外科の元教授で、姜教授の先輩に当たる。このような人間関係から、「信頼できる人物」として、我々に姜教授をご紹介いただいた。
初めて姜教授とお会いした印象は、まさに中国で言う「大人」だった。柔和な笑みを浮かべ、我々を立てながら、部下たちを差配して物事を進めていく。その周囲には他の教授や役人たちもいるが、大学生や大学院生が集う。姜教授が周囲から尊敬されているのが、よく分かった。
2011年2月には、我々の研究チームの児玉有子看護師(現星槎大学教授)が、上海を訪問し、上海の幾つかの病院との共同研究を取りまとめた。帰国した児玉看護師は、「姜先生の根回しのお陰で、どこの病院もとても親切に対応してくれました」と筆者に語った。
東日本大震災から数ヶ月後、姜教授から、当研究所の中国人スタッフである梁栄戎氏を介して、「日本のために何かできることはないか」と連絡が入った。当時、日本には多くの支援物質が届いていた。これ以上の物資は不要だ。また、姜教授は医師や看護師など医療従事者ではない。彼の専門は公衆衛生だ。私は、「福島に来て、現場を見て欲しい」と希望した。
その後、姜教授のチームは何度も来日し、福島に足を運んだ。写真1、2は2013年4月に福島県南相馬市の小高区の被災地を訪問し、その後、南相馬市役所で桜井勝延市長と情報交換をしている光景だ。
↑写真2( 南相馬市役所にて。左から二人目が谷本医師、ついで筆者、姜教授、桜井勝延市長、右端が梁栄戎氏)
筆者提供)
福島の様々な被災地を訪問した姜教授のチームは、見聞きしたこと、経験したことを事細かくメモした。随行した若手研究者は「毎晩、ミーティングし、姜教授にその日のサマリーを報告することを要求される」と筆者に語った。帰国後、姜教授は学術論文、学会、講義など様々な機会に福島の現状を報告した。このような発信が、福島の風評被害の緩和に大きな貢献をしたはずだ。
時に、我々のチームを上海に招聘してくれた。写真3は2019年5月、復旦大学で、医療ガバナンス研究所と復旦大学が合同シンポジウムを開催したときの光景だ。我々の研究チームは、東日本大震災から8年後の福島の復興状況や、放射線被曝で亡くなった人はいないのに、長期間にわたる避難のストレスなど間接的な要因により、大勢が命を落としている現状を紹介した。この発表は中国の研究者に衝撃だったようだ。
写真3 (復旦大学公共衛生大学院の正門にて)
筆者提供)
コロナ禍でも、医療ガバナンス研究所と復旦大学は毎月ZOOMを用いて、交流を続けた。1回2時間、3人の研究者が最新の研究状況を報告した。詳細は省くが、我々にとって、ゼロコロナ対策の現状を知る好機となった。
2023年に入り、日中ともコロナ規制を緩和した。5月13日、我々は姜教授の招待で、5年ぶりに上海を訪問した。今回の目的の一つが温州医科大学を訪ねることだ。
温州市は、上海の南、浙江省東南部に位置する人口約910万人の都市だ。上海から約450キロ、鉄道で4時間半を要する。今回の訪問も、姜教授と医療ガバナンス研究所の梁栄戎氏が調整したのだが、当初、梁氏は温州訪問に反対だった。姜教授に「多忙な先生方を中国に連れていくのに、往復9時間もかけて地方都市を訪問する意味はあるのか」と繰り返し、姜教授に訊ねたらしい。これに対して、姜教授は「絶対に先生方には後悔させない」と答え、半ば強引に今回の温州医科大学訪問を実現させた。
結論から言うと、今回の温州医科大学の訪問は良かった。上海とは違う中国の地方都市の姿を見ることができたからだ。
私が驚いたのは、現地のスタッフの熱意だ。我々が訪問したのは、温州医科大学第二病院だが、最寄りの平陽駅に降り立つと、駅前には5名ほどのスタッフが我々を待ち受けていた。車で10分ほど、医科大学の玄関前に到着すると、共産党委員会書記で産科主任である王娜医師、脳外科医である李先鋒病院長をはじめ、幹部が勢揃いしていた。そして、一緒に昼食をとった後の情報交換会での発言は直接的で積極的だった。
↑写真4(温州医科大学第二病院でのミーティングの風景 左から二人目の女性が王娜医師。右から坪倉正治・福島医科大学教授、筆者、姜教授)
筆者提供)
王娜書記は「中国国内での、この病院の格を上げるためには、診療と並び、研究実績を上げなければならない。是非、協力してほしい」と言う趣旨の発言を繰り返した。
人口910万人、日本で言えば神奈川県や大阪府と同レベルだ。その基幹病院である温州大学病院には、十分な症例数とデータがある。ところが、分析できる専門家がいない。研究につきものの国際交流も少ない。
筆者が「病院で海外からの留学生はどれくらい受け入れているのか」と訪ねると、「一人もいない」と回答した。つまり、組織としてのノウハウの蓄積が不十分なのだ。まさに、姜先生のような人材との共同研究が望まれる。
私が不思議に思ったのは、中国を代表する公衆衛生の専門家とどうやって関係を構築したかだ。温州医科大学のスタッフは、さまざまな試行錯誤をしたそうだ。「共同研究のことで色々と売り込みがありましたが、信頼できる方はいなかったです。それは金目当ての方が多かったからです」と説明してくれた。いきなり100万人民元、日本円にして約2000万円の費用を請求した研究者もいたらしい。私の経験でもそうだが、まず金を要求する医師や研究者は信頼できない。
その後、ある会合で別の温州医科大学関係者が姜教授と知り合い、共同研究を提案したところ、「データや資料の処理は協力しますので、その権限をください。お金は一切要りませんから、一緒に発表しましょう」と言われたそうだ。そして、足繁く、温州医科大学まで足を運んでくれたらしい。日本の状況に直せば、東京大学や京都大学の有名教授が、一緒に研究できるなら、報酬はもちろん、共同研究費も要らないからと言って、地方大学に足繁く通ってくれるのと同じだ。普通ではあり得ない。
私は、このやりとりこそ、姜教授が私に見せたかったものだと感じた。公衆衛生は何のためにあるのか。それは住民のためだ。問題は上海より地方都市にある。そのような問題を解決したければ、現地を訪問し、その場で活動する専門家と共同作業をしなければならない。これが姜教授の基本的な考え方だ。今回の温州訪問を経験し、彼が福島訪問を続ける理由を再認識した。
今回の訪問は、我々にとってもありがたかった。それは、公衆衛生専門家にとり、温州医科大学は宝の山だからだ。姜教授が現地スタッフと信頼関係を構築しており、若手にとっては実績を上げやすい環境が整備されている。これは中国の若手に限った話ではない。日本人の医師・公衆衛生専門家にも通じる。私が、王娜医師に対して「日本人の若手医師が来たら、診療と研究はできるか」と訊ねたところ、即座に「もちろん、可能です」と返事があった。
帰国後、私は福島で働く若手の医療従事者に「上海、温州に留学して、診療・研究をしてみたい人はいないか」と問うてみた。何名かからは、「是非」と回答があった。姜教授を中心とした復旦大学チームの尽力により、東日本大震災をきっかけに始まった福島と中国の草の根の交流が、着実に深まっている。
トップ写真:(南相馬市の津波被災地にて。右から姜教授、筆者 )筆者提供
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。