レーダで敗北 日本護衛船団
文谷数重(軍事専門誌ライター)
【まとめ】
・日本敗北の原因は船団護衛の失敗である。
・船団護衛の失敗はソーナーやヘッジホッグの遅れではない。
・日本はレーダの遅れにより米潜水艦の浮上活動許し、結果敗北した。
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日本は船団護衛の失敗により敗北した。米海軍による無制限潜水艦作戦で日本船団は壊滅し海上輸送は途絶した。その結果、日本の戦争経済は崩壊し敗北したのだ。(*1)
その原因は日本の対潜技術の遅れとされる。通俗的にはソーナーでの遅れや前投爆雷ヘッジホッグの不在、専門家向けでは垂直水温分布の測定不能、戦術と訓練の未徹底が挙げられる。「日本は対潜技術で遅れていた。だから米潜水艦を沈められずに敗北した」との理解である。(*2)
それは本当だろうか?
間違いだ。米潜水艦に敗北した原因はレーダ普及の遅れだ。それにより米潜水艦の浮上行動を許したため敗れたのである。
▲写真 XBT測定。ソーナー探知距離の把握には垂直方向の海水温度変化を測定する必要がある。だが日本海軍艦艇には測定機材はない。そのため戦争末期には統計データから夏と冬の期待探知距離係数を記した海図を作った。実際には午前と午後で垂直温度は変化するので役立たない代物であった。写真は使い捨て測定器XBTの投入状況。米海洋大気局NOAAのコレクションより。(撮影:Robert A. Pawlowski)
■ 浮上活動を阻止できなかった
日本護衛船団が敗北した理由はレーダ普及の遅れである。
日本海軍はレーダで遅れていた。見張は目視である。当然だが遠くは見えず夜にも弱い。そのため米潜水艦は日本支配海面でも浮上して行動できた。潜水艦は水上状態でも小さい。よほど近寄らない限り見つからないのだ。米潜水艦はこの機会を活かした。浮上活動により攻撃機会を増やして日本商船を沈め尽くしたのである。
「日本船団護衛はなぜ敗れたか?」の回答はそれだ。レーダ不備で米潜水艦の浮上行動を防止できなかったたためだ。
その悪影響は次のとおりである。第1に浮上レーダ捜索を許したこと。第2は浮上通信による集団攻撃を許したこと。第3は浮上先回りによる再攻撃を許したことだ。
▲写真 米海軍潜水艦にはレーダが搭載されていた。写真は44年11月のガトー級ガトー。米海軍写真を元に筆者がレーダ部を拡大挿入して利用。
■ 米潜水艦にレーダ捜索を許した
レーダ普及の遅れは日本船団護衛に悪影響を与えた。
その第1は浮上潜水艦による自由なレーダ捜索を許したことだ。
本来、潜水艦の捜索能力は相当に低い。潜望鏡は見落としが多く遠くも見えない。当時のソーナーも長距離探知は厳しい。そのため浮上目視捜索を実施した。ただ、やはり不確実であり目標の取りこぼしも多い。
だが米潜水艦は浮上レーダ利用でそれを克服した。距離30kmでの安定探知により日本船を確実に発見できるようになったのだ。
つまり、レーダにより船団発見数と接敵機会を大幅に増やせたのだ。
日本護衛船団は米国のレーダ捜索を阻止できなかった。レーダの遅れから浮上潜水艦を早期に発見できなかった。そのため護衛艦を差し向けて追い払えなかったのだ。
これが日本船団壊滅の理由の第1である。米潜水艦はレーダにより従来以上に攻撃機会を増やしたのである。
▲図
■ 集団攻撃を許した
第2は集団攻撃を許したことだ。それにより日本船団は一度の攻撃で大被害を出した。
米潜水艦は浮上により集団行動が可能となった。水中では通じない無線が使えるためだ。
そして日本船団に集中攻撃を仕掛けた。船団を発見した米潜水艦は無線で味方潜水艦を呼び小艦隊を作り集団で攻撃した。
結果、日本船団は大損害を被った。従来の潜水艦1隻の攻撃ではあまり被害は出ない。攻撃回数はほぼ1回、多くても2回だ。つまり船団被害、沈没・脱落は出ても1~2隻である。それが3~6隻の同時襲撃により一変したのだ。
これは昭和19年8月のヒ71船団で顕著である。米潜水艦6隻の集中攻撃で5隻が沈没したのだ。しかも船団を発見したUSSレッドフィッシュの戦果は撃破1隻であった。つまり無線集結がなければ「沈没なし」で終わっていたのだ。
▲図
■ 再攻撃を許した
第3が再攻撃を許したことだ。それにより日本護衛船団は全滅するまで攻撃を受け続けたのだ。
繰り返すが日本護衛艦のレーダ普及は遅れた。対水上見張はまず目視頼りである。特に夜は厳しい。潜水艦は浮上しても小さい。距離10kmでも発見できない可能性もあった。
対して米潜水艦はレーダを活用できた。既述のとおり船団の動静を30km先から把握できた。米潜水艦はこの状況を活かし日本船団への再攻撃を実施した。攻撃後に日本護衛船団の外縁、視程外を水上航行して先回りしたのだ。
先回りは容易である。日本船団の速力は通常8kt、15km/h程度である。しかも針路も把握されている。米潜水艦は水上20kt、36km/hの優速で大回りに追い抜けられた。
結果、日本船団は全滅まで再攻撃を受けた。好例はUSSシャークによる三五三〇船団攻撃である。1隻撃沈後に先回りで2隻を沈め、その上で3回目の先回りが試みられたのだ。
これは日本船が潜水艦を恐れた理由でもあった。「空襲は15分で終わる。だが潜水艦攻撃は一晩中続く。翌日も続く」と言われた。
▲図
■ 相乗効果
以上が日本船団全滅の原因である。
なおこれらの効果は相乗する。レーダによる攻撃機会の拡大、集団戦術による交戦数の増大、再攻撃による襲撃機会の増大は互いに乗数効果で増加するのだ。
比喩的に述べれば次のようになる。レーダ登場以前には年間に100攻撃しか実施できなかった。それがレーダ捜索で2倍の200攻撃が可能となる。また集団戦法で攻撃数はさらに倍の400攻撃となる。その上、再攻撃の繰り返しで攻撃数は3倍の1200攻撃となる。「ゆで理論」を借りて示せばそうなる。
対潜技術の遅れ以前の話だったのだ。
仮に日本護衛艦に英米対潜技術があっても負けた。国産ヘッジホッグで潜水艦を実戦果の2倍、40隻を沈めたとしよう。それでも状況は変わらない。対日戦に投入された米潜水艦は250隻である。事故含めて喪失50隻で日本船478万トンを沈めた。その損失数が70隻に増えるだけだ。大勢は変わらない。
逆に早期にレーダが普及していれば被害は軽減された。米潜水艦は日本護衛艦に発見されれば即座に潜航する。水上砲戦では勝てない。つまり護衛船団の近くでは浮上できなくなるのだ。そうすれば米潜水艦攻撃の相乗効果の発揮は防止された。浮上レーダ捜索も浮上通信も浮上先回りもできないからだ。
(*1) 決戦敗北、本土空襲、機雷封鎖、原爆投下も含めて各地での敗北もすべて船団護衛失敗の結果である。いずれの敗北も日本戦争経済の太宗である海上輸送困難に起因するためだ。
① まず、航空戦力整備が滞った。海上輸送困難により日本軍用機製造は停滞し、訓練や実戦投入に必要な航空燃料の入手も難しくなった。
② また、艦隊戦力整備も停止した。海上輸送困難を改善するため商船建造や護衛艦建造に力を注いだ結果、巡洋艦以上の建造が不可能となった。
③ そして陸海軍の決戦敗北の原因ともなった。直接的には海上輸送困難による作戦輸送力の減退、間接的には①の航空戦力の不足による航空敗戦、そして②の艦隊戦力の不足を加えた艦隊決戦不利の結果、最終的にマリアナ・比島決戦の敗北に至った。
そしてマリアナが取られなければ本土の本格空襲、機雷封鎖、原爆投下はない。また「マリアナが取られれば負け」は戦前や戦時中でもコンセンサスであった。
(*2)最近では「日本商船暗号が解読されたから負けた」も加えて説明される。ただベースは「潜水艦を沈められなかったために敗れた」である
尚、日本船団護衛と米潜水艦のレーダの関係については詳しくは以下の筆者記事参照:
文谷数重「なぜ対潜戦は失敗したのか!? –日本船団壊滅の理由」『丸』2018年6月号、通算866号(光人社,東京,2018)pp.119-127.
トップ写真:USSワーフーの攻撃により沈む日通丸。太平洋戦争では日本商船団は米潜水艦により沈没478万トンの損害を受け壊滅した。出典:米海軍
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この記事を書いた人
文谷数重軍事専門誌ライター
1973年埼玉県生まれ 1997年3月早大卒、海自一般幹部候補生として入隊。施設幹部として総監部、施設庁、統幕、C4SC等で周辺対策、NBC防護等に従事。2012年3月早大大学院修了(修士)、同4月退職。 現役当時から同人活動として海事系の評論を行う隅田金属を主催。退職後、軍事専門誌でライターとして活動。特に記事は新中国で評価され、TV等でも取り上げられているが、筆者に直接発注がないのが残念。