イランの対英仏独メッセージ
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2019 #28」
2019年7月8-14日
【まとめ】
・イラン、核合意約束事項再び公然と逸脱。
・イランは英仏独に対し対米圧力を期待。
・中国ミサイル発射実験で台湾有事の戦略的バランス中国有利。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46760でお読み下さい。】
日本政府が半導体製造に欠かせない化学物質3品目の対韓輸出管理体制を強化する方針を発表してから一週間が経った。韓国では日本の「報復」に対する反発が高まり、日本ボイコット運動が拡散しているとの報道もある。日韓両政府だけでなく、日本のマスコミでも意見や評価が割れており、ちょっとした騒ぎになっている。
▲写真 文在寅大統領 出典:ロシア大統領府
しかし、筆者にとってこの問題は所詮(と言ったら関係者には申し訳ないが)日韓の「売り言葉に買い言葉」に過ぎない。先週から起きた事件でもっと戦略的に重要な意味を持つのは、①イランが核合意の約束事項を再び公然と逸脱したことと、②南シナ海で中国が初めて対艦弾道ミサイル発射実験を行ったこと、の二点ではないか。
まずはイランから始めよう。8日、イラン原子力庁は「イランのウラン濃縮度が2015年の核合意で定めた上限(3.67%)を超え、4.5%程度になった」ことを明らかにしたという。1日のウラン貯蔵量300キロの上限超え措置に続き、今回は核合意義務停止の第二弾となる。実にイランらしい、考え抜いた対抗措置の内容と発表のタイミングだ。
今後は第3弾としてウラン濃縮度20%までの引き上げや遠心分離機の稼働数増加も検討するそうだ。一部のイラン核問題専門家は、「核武装はイスラム教で禁じられている」、「イランが本当に核兵器を作る気は全くない」などといった楽観論を垂れ流し、今回の措置は「絶望か八つ当たり」によるものだなどと分析する。本当にそうなのか。
コーラン(アル クルアーン)に核兵器のことなど書いてあるはずはない。イランの最高指導者が核兵器を禁止するファトワ(教義)を出しても、それがイスラム世界全体の規範になることはない。現にパキスタンは核兵器を持っているではないか。現在の国際政治の中で「核兵器は反イスラム」と言い切れる根拠など何一つないのだ。
更に、「イランには核兵器製造の意図がない」とする論者にも反論したい。イランの少なくとも強硬派の一部が、今は核兵器を作らないとにしても、必要が生ずれば、いつでも短時間で核兵器を作れる十分な技術能力を保持しておきたいと考える可能性は高い。イランには一定の順法精神があるが、脱法行為も結構得意である。
いずれにせよ、イラン側の一連の動きは、絶望でも、八つ当たりでもない。イランは英仏独に対し、「早く行動を起こせ、米国に圧力をかけろ」というメッセージを送り続けているのだ。問題は、英仏独がバラバラで一枚岩には程遠いことである。このまま欧州が動かなければ、イランが次の誤算に走る可能性が現実味を帯びるだろう。
▲写真 ブシェール原子力発電所前。ルーハニ大統領(左)とイランの原子力機関(AEOI)アリ・アクバル・サレヒ氏(右) 出典:タスニム通信社
続いて、南シナ海における中国の対艦弾道ミサイル発射実験についても簡単に触れよう。南シナ海は中国人民解放軍の第一列島線内の海域であり、同海域でいわゆる「空母キラー」ミサイルの発射実験が確認されたとすれば、南シナ海、特に台湾有事の際の戦略的バランスが一層中国に有利となることを象徴する大事件だ。
中国が発射したものが対艦弾道ミサイルであれば、東風(DF)21Dか新型のDF26の可能性が高いだろう。米海軍だけでなく、日本の海上自衛隊にとっても重大な脅威となり得る。これから米国は「航行の自由」作戦を更に強化するのだろうが、時既に遅し、かもしれない。後悔しないためには相当強力な対抗措置が必要となるだろう。
▲写真 DF26 出典:Wikimedia Commons; IceUnshattered
〇アジア
日本政府は今回の措置が(1)フッ化水素など規制3品目の韓国向け輸出について、7月4日以降、包括輸出許可制度から個別に輸出許可申請・輸出審査へ変更、(2)先端材料などの輸出について、外為法の優遇制度「ホワイト国」から韓国を除外する政令改正、からなるとしている。恐らくWTOパネルで負けないための理論武装だろう。
日本には、これを詳細に書く新聞と無視する新聞があるから面白い。一部識者は日本にすら、いわゆる対韓「輸出規制強化」措置を巡る誤解が生じていると主張する。当該措置は「禁輸」でも「規制強化」でもなく、あくまで輸出管理の「運用の見直し」であり、これまでの対韓優遇措置の一部を解除しただけだそうだ。ふーん、だから・・・?
〇欧州・ロシア
7日のギリシャ総選挙ではこれまで緊縮財政を進めてきた現政権が敗北し、政権交代する見通しらしい。報道によれば、現首相率いる急進左派連合が獲得した票は3割程度、最大野党「新民主主義党」が過半数の議席を獲得する見通しだという。チプラス政権のあの大騒ぎは一体何だったのか。ギリシャはまた危機を迎えるだろう。
▲写真 チプラス ギリシャ首相 出典:ロシア大統領府
〇中東
ある意味ではイランのウラン濃縮よりも重要な事件が先週起きた。7月4日、英海兵隊はEU制裁に違反しシリアに原油を輸送していた疑いのあるイランの大型石油タンカーを英領ジブラルタル沖で拿捕した。これに対し、イラン国防相は英国によるタンカー拿捕は「脅迫的で間違った行為だ」と指摘したらしい。
今回はイラン籍のタンカーが拿捕されたが、イランだけでなく、中国なども密かに制裁破りをやっているはずだ。例えば、中国籍の空のタンカーがホルムズ海峡付近で突然姿を消し、数日後、満杯で再び姿を現すことが少なくないのだという。このタンカーがイランで秘密裏に原油を買い付けている可能性は極めて高い。
先日の日本人所有タンカー攻撃事件については米国やイスラエル等の陰謀説があったが、米国だったらイラン原油を密輸する中国船籍タンカーを攻撃した方がはるかに効果的ではないか。これからは世界各地でイラン向けタンカーの拿捕や攻撃が頻繁に起きるようになるかもしれない。困ったことだが、これが中東の現実だ。
〇南北アメリカ
駐米イギリス大使がトランプ米政権は「無能」で「頼りにならない」などと報告した極秘外交電報が英メディアにリークされ、大騒ぎになっている。同大使はトランプ政権が「今後、より正常な状態に近づくことや、機能不全、予見不可能性、派閥ごとの分断、外交的なまずさ、無能さが改善されるとはまず考えられない」などと報告している。
これに対する英外務省の声明が素晴らしい。報道内容は否定せず、「英国民は各地の英国大使が任国についてありのままの正直な分析を外相に報告するよう望んでいる」と述べたのだ。万一、同様の報道が東京で起きたら、日本外務省はイギリス外務省と同レベルの矜持を示せるだろうか。それにしても恐ろしいことが起きたものだ。
〇インド亜大陸
特記事項なし。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きはキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:ハサン・ロウハーニー大統領 出典:Hassan Rouhani (@HassanRouhani)Twitter
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。