ゴーンと司法
.社会  投稿日:2019/11/15

アニメと時代劇どこが違う? 横行する「危うい正義」その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・子供に暴力的なシーンは悪影響だという「アンパンチ論争」が話題に。

・娯楽作品が世間の無内容な批判にさらされることは後を絶たない。

・定義の曖昧な正義により暴力が称賛される風習は極めて危険である。

 

『アンパンマン』というアニメは、実はちゃんと見たことがない。

この夏、ネットなどで「アンパンチ論争」といった話題がよく取り上げられたので、一度見てみようかな、と思い、動画を探したりしたのだが、私が見たいと思ったシーンは見つからなかった。

今さらアニメなど……と思って、論争と言われてもピンと来ない、という読者も少なからずおられるだろうが、実は普遍的な問題がはらまれているらしい。

簡単に言うと(ネットニュース程度の情報しかないので、簡単にしか述べられないのが正直なところなのだが)、正義の味方アンパンマンが、毎度悪者に「アンパンチ」を食らわすらしく、そうした、私も見たかったシーンが、

「暴力で物事を解決するのはよろしくない」

「子供に見せたくない」

といった批判にさらされ、そのアニメを見て育った世代の芸能人らが一斉に反論したということだ。

検索してみたところ、正確には『それいけ!アンパンマン』というタイトルで、日本テレビ系列で1988年から放送していることが分かった。つまり、放送開始時点で5〜6歳だった子供も今や30代半ばということになる。

それだけの長寿番組であるからには、少なくとも子供からは根強い支持があったに違いないのだが……

この論争が、普遍的な問題をはらんでいるというのは、実は古今東西、この手の批判は娯楽作品について回るものなのである。

少林寺拳法連盟の中国人職員から聞いたのだが、かの国では、

「少年『西遊記』を読まず、青年『三国志』を読まず」

と言われるそうだ。

読まず、というのはこの場合、読んじゃいけません、というに近いニュアンスだろう。

『西遊記』は日本でもドラマ化されているが、要するに孫悟空らが暴れ回る話なので、こうした本に感化されると子供が暴力的になる、という。まさに「アンパンチ論争」と同じ構図ではないか。

『三国志』はと言うと、裏切りやだまし討ちの話がむやみと多いので、学生や若い人があれを読むと、ずるい大人になるのだとか。

▲写真 『三国志』 出典:周曰校(Before 1640) [Public domain]

善意に解釈すれば、子供の健全な成長を願う親の心に、国や言葉の違いなどない、ということになるのかも知れないが、文筆で生計を立ててきた者としては、やはりこういう考え方をされては、はなはだ困る。

そもそも『西遊記』『三国志』と言えば、これに『水滸伝』『紅楼夢』を加えて「中国四大名著」と称されるほど、長きにわたって読み継がれてきた。ちなみに、いずれも明朝から清朝の時代、17世紀から18世紀にかけての作品だ。

16世紀末に、かのシェイクスピアが世に出た当初など、主としてキリスト教会から、

「こんな血生臭い芝居を次から次に書くとは、一体なにを考えているのだ」

といった非難にさらされていたことは、本誌の読者であれば多くがご存じだろう。

▲写真 ウィリアム・シェイクスピア 出典:パブリックドメイン

彼が唐突に著作活動をやめて田舎に引きこもってしまったのは、こうした「逆風」に耐えかね、心が折れてしまったのではないか、と考える英文学者も、少なからずいる。

単に、安楽な老後を過ごせるだけのカネができたからだろう、と見る向きもあって、どちらが正しいかなど分かろうはずもないが、近年の日本に例を求めると、スラップスティックな作風で知られる筒井康隆氏が、世間の「良識」からの批判に、

「あたしゃキレました。プッツンします」

と述べて断筆を宣言したことがある。

古今東西、こうした例は枚挙にいとまがない。

どうしてそのようなことになるのかと言えば、世の中に、

「正義の姿を借りた、無内容な正論」

がまかり通っているからである。

簡単に言えば、こういうことだ。

悪がまかり通る世の中では、たしかに安心して暮らせないし、

「暴力はいけません」

と言われたならば、誰も正面切っての反論などできない。

だからこそ私は言いたいのだが、ここにはある矛盾がはらまれているのではないだろうか。たとえばイジメという救いがたい悪に対して、まあ「非暴力・不服従」という思想もあるけれども、やはり一般的には「無法な暴力を正義の力で制圧する」ような行為が賞賛されるのではないだろうか。他者を尊重できない人間は懲らしめられて当然、というのが普通の人たちの発想だろう。

言うまでもないことだが、なにが正義でなにが悪なのか、というのは、きわめて難しい問題である。しかしながら、いや、そうであるからこそアニメのアンパンチに対して、暴力反対という議論を持ち出す人は、いささか単純に過ぎると、私には思えてならない。

たとえば高齢者に根強い人気のあった『水戸黄門』などは、ある意味で「国家権力の横暴」であるし、間もなく映画やドラマが放送されるであろう(早いもので、もうそんな季節か笑)時代劇の定番『忠臣蔵』に至っては、もはやテロ行為ではないか。

▲写真 里見浩太朗が演じる「水戸黄門」(5代目)出典:photo by Jnn

日本人は師走になると、失業の憂き目を見た個人的な恨みから、元高級官僚とは言えリタイアした高齢者の自宅を襲撃し惨殺するというドラマを見て喜んでいるのである……などと私が書いたら、どう思われるだろうか。万一そんな議論が「周辺諸国」から発信されたら、たちまち大炎上するに違いない。

かなり話が回り道をした、と言うか第1回はほとんど前置きだけで終わってしまったが、本シリーズで取り上げるのは正義」という概念の危うさである。

なんでもかんでも「暴力はいけません」で片付けてしまうのも、住みにくい世の中にしてしまうという意味で、一種の危険思想だと私は思うが、だからといって、そこに正義がある限り、本来は法が許さない行為でも正当化されてしまうという発想は、もっと危険だ。

そして、残念ながら現在のネット社会では、後者の考え方がむしろ支配的になってきている。本当に、いやな世の中になったものだ。

トップ写真:イメージ“Justice”(正義)出典:Pixaby


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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