漫画に描かれるスポーツについて スポーツの秋雑感 その7
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・世界中で絶大なる影響力をもつ日本アニメ。
・本質的な議論なしに漫画の良し悪しは語れない。
・漫画文化が否定される陰に、現実と区別ができない大人の存在。
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剣道の大会では、実は二刀流が認められている。なんでもヨーロッパでは、宮本武蔵の本を読んで剣道を始めたという若者が多く、二刀流が結構盛んなのだとか(誰が教えているのだ?)。面白いな、と思って調べて見たところ、宮本武蔵の本とは、どうやら『バガボンド』(井上雄彦・著 講談社)という漫画のことであるらしい。
これはまったく、驚くべきことではない。スペインに語学留学した時に知ったのだが、スペイン語にもcomicとかanimadosという単語はあるものの、mangaとanimeはそのまま通じる。日本製は、別格の扱いを受けているのだ。
私自身、日本ではTVアニメなど何十年も見ていなかったのに、マドリードの下宿では、土曜の午前中は毎度Shin-chanを見て笑い転げていた。『クレヨンしんちゃん』(臼井儀人・著 双葉社)が人気を博していたのである。もちろん台詞はすべてスペイン語に吹き替えられていたのだが、描かれているのは子供の世界であるし、絵があるから、どのような状況なのか非常に分かりやすい。つくづくアニメは語学習得の強い味方だと思った。
これはなにも、スペインだけの現象ではない。
当メディアでもおなじみの、軍事ジャーナリストの清谷信一氏には『ル・オタク』(講談社文庫)という著作がある。タイトルの通り、フランスにおける日本のアニメ文化の浸透ぶりをレポートした佳作だ。海外でこうだから、わが国における漫画の影響力たるや、絶大という表現でも追いつかないほどである。
サッカー日本代表が、初めてワールドカップ出場を果たしたのは1998年フランス大会であるが、それ以降の代表選手は、ほぼ全員が『キャプテン翼』(高橋陽一・著 集英社)を読んでサッカーを始めた、という事実が、雄弁に物語っているのではないか。
ディフェンスでの「顔面ブロック」くらいは、まだ現実にあり得るとして、サッカーのキックでブロック塀を破壊するとか、キーパーが、ゴールの隅に飛んできたシュートを、わずかに手が届かないかと思いきや帽子ではじき飛ばすとか、前述の『クレヨンしんちゃん』とはまったく違った意味で笑ってしまう描写も多いのだが、それが人気の秘密でもあるのだろうし、小学生が、(練習すれば、こんなことができるようになるのかも)と考えてサッカーに励むのなら、それはそれでよいのではないか。
▲写真 サッカー(イメージ)出典:Frickr; ..Russ...
しかしながら、漫画を不良文化財と見なす人は昔からいて、「子供がすぐ真似をする」というのがその論理だが、私はこうした意見には、昔から反対してきた。漫画と現実の区別をつけられるようになることが、すなわち成長すること、学ぶことの意味ではないのか、と。私が中学生だった頃、体育の正課で柔道があり、つまりは授業で柔道をやらされたわけだが、真面目にやる気にもなれなかったので、悪友と棒組になり、技などかかっていないのに、自分から派手に飛んで受け身を取る、ということを交互にやって喜んでいた。
はるか後年、20世紀も終わろうという頃に『柔道部物語』(小林まこと・著 講談社)という漫画を読んでみたら、まったく同じ事をする柔道部員が出てきたので、笑ってしまった。漫画の影響があろうがなかろうが、スポーツ精神や学校の授業を笑い事にしてしまうガキは、昔も今も大勢いるのだと思う。
ただ、矛盾したことを言うようだが、私自身がこの『柔道部物語』という漫画を読んで、あまり感心しないなあ、という感想を持ったことも事実だ。たとえば団体戦で、先鋒で出場した主人公が1勝をあげると、後に続く4人(次鋒、中堅、副将、大将)は、引き分け狙いで1−0の勝ちを目指す、という描写。柔道も今やれっきとしたスポーツなのであるから、ルールの範囲内でどのような勝ち方をしようが、非難されるいわれはないだろう。それは大前提として認めるけれども、人生の半分以上、武道の修練を積んできた身としては、こういう漫画が全国の柔道少年に歓迎されている限り、柔道が古来の武道の精神を取り戻す日は来ないのだろうな、というように考えてしまう。
この話は裏を返せば、漫画が与える影響というものを無視はできない、ということで、このように本質的な議論に踏み込むことなく、「勉強しないでスポーツや漫画に熱中する子供など、将来ろくなものにならない」などと決めつけても、そこからなにが生まれるものでもない、と私は言いたいのである。
話を戻して、昭和の子供たちにとって、みんなで楽しむスポーツと言えば野球であった。私が生まれ育ったのは東京の板橋というところだが、戦後の高度経済成長の時代、すでに都市化が急ピッチで進んでいて、かろうじて残った空き地で草野球をやるくらいしか、屋外の娯楽がなかった、と言った方が実態に近い。
そうしたわけで、野球漫画は皆が愛読しており、中でも『巨人の星』(原作・梶原一騎 絵・川崎のぼる 講談社)は、野球少年たちのバイブルと呼べる存在だった。
▲写真 少年野球 出典:Wikimedia Commons
ただし私自身は、俗に「スポ根=スポーツ根性物」と呼ばれた、梶原一騎原作の世界観が好きになれず、中学に進むと同時に、野球はやめ、陸上競技部に入部した。それも長距離を選んだのだが、これは、一人で黙々と走り続ける方が自分には合っている、などと考えたためである。
とどのつまり、こんなことは現実にはできっこない、とわきまえつつ『キャプテン翼』に描かれるサッカーで高揚感を得る分には、なにも問題はないのだが、わが国では、あろうことか与党の大物政治家が『ゴルゴ13』(さいとうたかを・著 小学館)を読んで国際情勢を勉強した、などと公言する始末だ。
『クレヨンしんちゃん』が海外でも人気を博しているからと言って、日本の子供がみんなバスの中でお尻を出して踊り狂うのかと思われたら、迷惑どころの話ではあるまい。それと同レベルのことをいい大人(それも、もう一度言うが与党の大物政治家)が発信してどうするのか。
いずれも、スポーツと直接の関わりはない話題だが、こういう大人がいる限り、漫画文化を排撃しようとする声も絶えないであろう。子供の問題ではないのだ。
トップ画像:剣道二刀流(イメージ)出典:Wikipedia
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。