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.国際  投稿日:2019/12/16

かくして労働党は自滅した 速報・英国総選挙2019(中)


林信吾(作家・ジャーナリスト)

 林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・英・労働党の大敗はコービン党首の責任。

・労働党は財界や富裕層を敵に回す「計画経済」を公約に。

・21世紀以降、中道路線に傾斜しすぎて労働党は低迷。

 

個人的な思い出から語り始めることをお許し願いたいが、実は私は、今次の総選挙で労働党を率いたジェレミー・コービン党首とは「ご近所さん」であった。

かれこれ30年近く前の話ということになるのだが、彼の選挙区であるロンドン北東部のイズリントンという街(選挙区名はイズリントン北部)で、しかも同じ通りに住んで、車をいつも停める場所(裏道だったので、路上駐車が黙認されていた)は隣同士だった。

当時私は30代になったばかりで、1949年生まれの彼は40そこそこであったが、労働党左派の論客として、時折TVのインタビューを受けていた。

それを見て、あのオッサンMP(メンバー・オブ・パーラメント=下院議員)だったのかい、と思い、同時に、MPがガレージもない安アパートが密集しているような場所で清貧に暮らしていることに感銘を受けたものだ。停めてある車ひとつとっても、私のはアウディ80で、彼のはもっと小さくてボロい(失礼)、たしかプジョーであった。

たまに道で顔を合わせると、笑顔で挨拶してくるので(当時も髭は生やしていたが、今より柔和な印象だった)、私も挨拶を返していた。後年、彼が労働党のリーダーとなり、私がこれが英国労働党だ』(新潮選書)などの著作をものすことになったのは、一体なんの因縁なのか。

ほどなく私は『地球の歩き方・ロンドン編』を書くなどして、少し金回りがよくなったので、北西部のゴールダーズ・グリーンという街に、2部屋のアパート(英国ではフラットと呼ぶ)を借りて引っ越した。ここもガレージはなかったが、建物の前に専用の駐車スペースがあった。

そればかりか、帰りが遅くなってもさほど緊張感なく道を歩けるのでうれしかった。イズリントンでは、酔っ払いに絡まれたり、人種差別主義者にツバを吐かれたり、カッターナイフを突きつけられたことまであって、暴力沙汰が大嫌いな私でさえ、万やむを得ず少林寺拳法で鍛えた成果を披露する羽目になったほどだ。繰り返し言うが、MPが治安もよくない労働者階級の街で暮らしていたのだ。

結局「ご近所さん」だったのは2年に満たない期間で、顔見知りと言うのもはばかられるのだが、個人的に悪感情など抱くはずもなく、むしろ逆である。

しかし、今回の総選挙で労働党が大敗(解散前の244議席から、203議席に激減)したのは、コービン党首の責任以外のなにものでもない。

まずは、選挙の最大の争点であったブレグジットに対して、離脱すべきなのか残留すべきなのか、明確な指針を示すこともなかった。これは前回述べた通りである。

しかも、他にどのような公約を掲げていたのかと言えば、なんと「計画経済」だった。

大企業や富裕層から税金を取り立て、さらには一部の基幹産業を国有化して、政府の財源を確保し、雇用の増大と福祉や教育への投資拡大を図る、というものである。

さらには労働時間の短縮を図り、労働党政権になれば週休三日制、などという宣伝もしていたが、これでは公共サービスなどがもたなくなるし、富裕層が一斉に英国外に出てしまっては元も子もない、と非難された。

そもそも、これまでブレグジットの実行を押しとどめていたのは、単一市場から抜けることで大いにダメージを受けるとする、財界からの強い圧力だった。

労働党左派、すなわち社会民主主義者が財界に媚びることなどできない、という論理なのかも知れないが、ブレグジットに対しては優柔不断、それでいて財界や富裕層を敵に回すという政策では、自分から挟み撃ちに遭いに行くようなものではないか。

ここで、読者は疑問に思われないだろうか。

英国労働党は、なんだってまた、そんなオールド・ボルシェビキ(高齢の、あるいは古いタイプの共産党員)みたいな考え方をする人物を、党首に選んだのか、と。

1990年代、それまで新自由主義に基づく規制緩和と、炭鉱などの労働組合運動に掣肘を加えるなど、英国経済の立て直しに功績があったサッチャー元首相の前に、手も足も出なかった労働党は、新自由主義でもなければ、もはや時代遅れとなった、労組に頼っての社会主義国家建設路線でもない「第三の道」を提唱するトニー・ブレアを党首に選んだ。

▲写真 トニー・ブレア元首相 出典:ウクライナ政府

そして、1997年の総選挙で、18年ぶりの政権奪回を果たしたのである。

しかし、2010年の総選挙で保守党に政権を明け渡して以降、またしても「万年野党」かと思われるような低迷期に入ってしまった。とりわけ経済政策をめぐる党内論争がなかなか決着せず、マスメディアで映えるようなリーダーも輩出できなかった。

そして2015年に、またしても保守党に敗れた後、最大の支持母体である労組の中から、あらためて左派のリーダーをかつぐべきだ、との声が起こったのだった。

要するに、21世紀に入ってからの労働党は、中道路線に傾斜しすぎて保守党との対立軸が見えにくくなり、これが低迷の原因だと考えられたのだ。労組の後押しに加え、各種の世論調査でも「コービン推し」の声が高いことが伝えられ、最終的に党首選を制した。

党首として最初に戦った2017年の総選挙では、選挙前の232議席から262議席と躍進し、保守党を単独過半数割れに追い込んだが、しかしながらこの結果、テレーザ・メイ前首相が退陣し、ボリス・ジョンソン首相の登場となったわけである。

▲写真 ジョンソン首相 出典:Boris Johnson Twitter

前回述べたように、やると言ったらやる、というように「強いリーダー」という印象を有権者に植え付けたジョンソン首相に対し、党内事情や、自身の過去のEUに対する見識との整合性から、国民投票のやり直しを政策に掲げるしかなかったコービン党首が、太刀打ちするのは難しかった。

それでも、再訴の国民投票を呼びかけた労働党に、EU残留派の自由民主党とスコットランド国民党、 それにジョンソン首相のブレグジット案で、言わば切り捨てられた形になった北アイルランド諸派の得票率を合計すれば、保守党を上回っていたのが事実である。

別の言い方をすれば、残留派の勢力をうまく結集すれば、またしても保守党を過半数割れに追い込むことは十分に可能であった。げんに自由民主党などは、もしもハング・パーラメントになった場合は、労働党と連立してもよい、と語っていた。コービン党首の交替が条件とされていたので、現実には難しかったと思えるが。

そもそも英国の自由民主党と言うのは、かつて「極左に牛耳られた労働党」には我慢がならないとして、割って出た右派が旗揚げした社会民主党と、旧自由党が大同団結したものである。左翼嫌いという点では、むしろ保守党より徹底している感がある。

ともあれコービン党首は辞意を表明し、労働党は今度、新たなリーダーのもと新たな路線を模索することになるだろう。

事実上のやり直し国民投票とも言える今次の総選挙で、来年1月末にブレグジットが実施されることは。まず確実となった。

ただ、それで今次の騒動に最終的な決着がついたのかと言われると、それはまったく違う。詳しくは、次回。

トップ写真:ジェレミー・コービン党首(2019)出典:Flickr; It’s No Game


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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