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.国際  投稿日:2019/11/2

12月12日総選挙へ ブレグジットという迷宮 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・英国議会は「身分制議会」として、13世紀から独裁防止のため誕生。

・英国の選挙制度の歴史そのものが古いため、政党の歴史も古い。

・英国下院の単純小選挙区制には制度的問題がある。

 

英国下院は、12月12日に総選挙を行う、との法案を可決した。

……マスコミ報道ならこの一行で済まされてしまいそうなのだが、これだけの情報でも、あらためて考えてみると、日本ではあまり知られていないことが多いようだ。

この秋、わが国では突然のラグビー・ブームが起きたわけだが、そもそも、「ラグビーは1チーム15人、40分ハーフで戦われる」というルールの一番初歩すら知らずに熱狂していた人も多いと聞く。

まあ、それはそれでよい。よく「にわかファン」をバカにする者がいるが、それこそ愚かな半可通だ。誰もが最初は「にわか」ではないか。とは言え、スポーツであれ海外からの情報であれ、基礎知識があれば一段と興味深く、そして深くウォッチングできることは事実であろう。

そこで今回、シリーズの締めくくりとして

「今さら人に聞けない英国議会」をお届けしよう。ただ、なにぶん700年以上の歴史を誇っているので、ここでの紹介は「超ダイジェスト版」に留まることを、あらかじめお断りしておく。

まず、英国の正式な国名は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」なので、議会の名称も本当は「連合王国議会」とすべきなのだが、私は日本の読者の便益を考えて「英国議会」で統一している。二院制で、これも本当は貴族院と庶民院(もしくは衆議院)だが、同じ理由で「上院・下院」と表記している。

13世紀に、国王の独裁に歯止めをかけるべく、貴族や地方の大地主が政治的発言の場を求めたことから議会が招集されるようになった。つまりこれが起源だが、当時から爵位を持つ者は貴族院、持たざる者は庶民院と分け隔てされていた。そう。当初から二院制だったのだ。上院・下院という俗称も、この「身分制議会」に由来する。

前述のように、議会の歴史は700年以上前までさかのぼれるのだが、現在の連合王国が誕生したのは1800年のことなので、現在の議会、という意味では、200年とちょっとの歴史ということになる。それでもかなり長いが。

したがってまた、長きにわたって上院が優位で、立法権はもとより司法権の一部まで掌握していたのだが、幾度かの選挙改革を経て、次第に身分や財産に関わりなく投票できるようになり、その結果、世襲の貴族や聖職者から成る上院に対して、選挙で選ばれた議員から成る下院の優位が確立して行くのである。

▲写真 イギリス上院(貴族院)出典:Wikimedia Commons;UK Parliament

いわゆる普通選挙権が認められたのは第一次世界大戦終結後(1918年)のことであるが、この時点ではまだ、男性は21歳以上、女性は30歳以上で、戸主または戸主の妻であることが条件だった。このため、これは普通選挙ではなく「戸主選挙制」に過ぎないと見なす歴史学者も多い。現在では、18歳以上の英国民すべてに選挙権がある

これに先駆け、1884年にも選挙制度改革が行われ、それまで無権利だった小規模自営農民(ただし男性のみ)に選挙権が与えられたのだが、その際、有権者3万5000人について1人の議員が選出できるよう、選挙区制が再編成された。

ひとつの選挙区から当選者は1人で、他の者は1票及ばなくても落選、比例代表制はないので日本の総選挙のように「比例で復活当選」もない。この単純小選挙区制というシステムもまた、現在まで引き継がれている。

このように、選挙制度の歴史そのものが古いため、政党の歴史も古い

もともと、議会が貴族や地主によって占められていた時代には、王位継承権者をプロテスタントに限るか、カトリックにも認めるか、という形での派閥抗争があり、これが政党の起源だと言われるが、産業革命期に、地主階級の利害を代表して保護主義をとなえる保守党と、新興ブルジョアジーの利害を代表して自由貿易を主張する自由党という二大政党制の図式が、まずは確立した。

労働党は、1900年に、労働代表会議(労働組合運動の全国組織。わが国の連合に相当すると思えばよい)を母体として、つまり労働組合運動の政治部門として旗揚げされた。

これが自由党にとって代わり、保守党・労働党の二大政党制となるのは第一次世界大戦後のことだが、これについては、前述のように女性に選挙権が(限定的ながら)付与されたことが大きな理由のひとつだとされる。

多くの女性票が、大戦後の混乱の中で、大英帝国をどのように再構築するべきか、という小難しい党内論争に明け暮れていた自由党ではなく、「大砲よりバターを」という分かりやすい反戦平和主義をとなえた労働党に流れたのだ。

実は単純小選挙区制の問題点もここに集約されている。

自由党の没落と労働党の台頭は、女性票の動向だけが理由ではもちろんなく、20世紀に入って英国の階級構造にも変化が見られ、中産階級の利益を代表するのは自由党ではなく保守党だと見なされるようになったことが底流にある。つまり、中産階級の利害を代表する保守党に対して、労働者階級の利害を代表するのが労働党だ、と考えられるようになったわけだ。ただし、英国の階級社会というものはかなり複雑で、厳密に言うとこれもステレオタイプに過ぎないということは、シリーズ第2回の中で指摘させていただいた。

ついでに言っておくと、英国下院に議席を持つ政党は全部で10以上あり、そもそも二大政党制という表現自体、本当に実態を反映していると言えるのか、疑問が残る。

実はここに、単純小選挙区制の問題点が凝縮されているのである。

総選挙でも、2万票くらい集められれば当選できるため、特定の支持基盤を持つ政党は圧倒的に有利である反面、たとえば自由民主党が典型だが、教育程度の高い層に支持者が多く、全国に分散しているような場合、得票率に見合う議席を得ることができないのだ。

「英国にも自民党があるの?」という声が聞こえてきそうだが、実はこの政党は、1980年代に、左翼路線を強めていた労働党を割って出た右派が旗揚げした社会民主党と、旧自由党が大同団結したものである。かつては俗に連合とか自由民主連合党などと呼ばれていた。

最近ではEU残留を強く主張して存在感を示しているが、全国レベルでは20パーセントを超す得票率でありながら、前回総選挙で得た議席はわずか12.2パーセントにも満たない。

今回、12月12日に投開票が行われる(どういうわけか、伝統的に木曜部が投票日に選ばれる)総選挙においては、この自民党に大いに注目すべきだと私は見ているが、これについては、年末の新シリーズで稿をあらためさせていただこう。

乞うご期待。

その1その2その3。全4回)

トップ写真:英国議会 出典:Flickr; Maurice


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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